今日は日曜日。
今週末は1人で過ごしたから過食してしまった。

《朝から夕方までに食べたもの》
かりんとう 1/2袋
シュークリーム 1
ご飯1膳+明太子
ハーゲンダッツ ミニカップ 1
特大コーヒーゼリー 1
さつま揚げ 2枚
チョコ 3個
あめ 3個

今日はかなり少ないほう。
DVD「私はラブ・リーガル」を見ながら、これらを食べ、合間に長めの昼寝を挟んで、目が覚めたらゾンビのようにまた食料を貪る。

こんな風にしか過ごせないけど、身体が何もしたくないということ。
エネルギーが枯渇した結果がこの過ごし方なのだから、責めずに受け入れてあげることで「自分」は少なくとも癒しの方向に向かうはず。
「責める」ことをやめるだけで、そこにスペースが生じて、いい方向に向かうはずなのに。

私の「頭」は全力でこの自然な成り行きを否定して自分を責める。
私は自ら不安に追い込んで自分を疲れさせ、さらに無気力となる。

「頭」は「エゴ」と言ってもいい。
エゴというのは社会のルールの枠組みの中での自分勝手のレベルだけでなく、自らを檻に閉じ込めて精神性の成長を阻害してしまう働きもしたりする。
なぜ、そんなことをするのでしょうね。
人類が賢く大らかに生きると何か不都合なことでもあるのだろうか?と思うほど、多くの人が自分を責めて苦しんで能力の大半を無駄に消費しているように思う。

しかし、慣れ親しんだエゴの声はオートマティックにこだまするもの。
自分を「責める」ことがあまりにも当たり前で、「見守る」という行為はせっかちな私には難しい。

自分を鬱から守るために、ひんしゅくを買いながら自分1人だけ定時上がりしても、とても罪悪感を感じながらの行動だ。
過食や無気力と同様に。

もっと、自分を許してあげたい。