性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【シンプル合理主義と雪景色のなかの灯り・温もり】

2017年12月12日 07時52分51秒 | Weblog


札幌という街は、日本人が「長く続く厳しい寒さ」のなかで、
その民族の北の都として、どうあったらふさわしいか、
考え続けてきた都市だろうと思い続けている。
他の日本の地域では、その地の自然との人間の対話が
ながい歴史を刻んできていて、それが長調的であれ単調的であれ、
ある基本旋律が、アプリオリに、先天的に存在する。
ところが札幌では、そうした日本の伝統も「見よう見まね」でやってみて、
そもそも「見よう見まね」としての問題点か、
そうではなく、本質的なマザーの問題点なのか、
やってみなければわからない、そういった必然的フロンティアスピリットがある。
建築の世界で言えば、たとえば国費を使った函館奉行所再建工事で、
その「文化的価値」を重視して、創建当時の技法にこだわって
断熱的手法をとらなかったとされているけれど、
そのメンテナンスには難しい問題を抱え、結果として選択した「床暖房」が
多くの構造的問題も起こしているように感じられる。
たしかに伝統工法の技術については本州地域の伝承が重んじられるだろうけれど、
さりとて、それがその地にふさわしくない場合、
地域としてマイナスの資産化せざるをえない。

写真は、先日のアース21の住宅見学から。
北海道では構法技術が進化して、断熱気密のレベルが向上した。
それにふさわしい「考え方」は、まさに合理主義に基づく考え。
そうしてくると、造形感覚もモダニズム的考え方になってくる。
カタチの作り方もあまり「伝統」というようなものは感じられない。
ただ冬の光景の中で、こんな暖色系の照明による雪洞〜ぼんぼり〜は、
なにかのイメージを訴えてくるように感じた。
外観的に北海道らしい、ということを考えたら、
凍てつく寒さの中で、帰り着くものへのあるいは道行く人への思いやり、
あるいは人間的な温もりの表現として
このようなありようは時間記憶の中で、メッセージ性があるのではないかと
そんな風に思わされていた。
雪の背景の中では灯りには、地域独特の表現可能なものがあると思う。
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