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カーニバルの生贄(Anno Kazuki)…野党四党が尊皇ファシズム教育の復活を目指す過激右派と仲良く記念写真、それを取り囲むメディア。

2017-03-20 01:09:02 | 森友学園疑惑

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 野党四党の代表が尊皇ファシズム教育の復活を目指す過激右派となかよくならんで記念写真を撮っている。かれらを取り囲んでいるのはメディアだ。

 

 
 カーニバルの生贄

Anno Kazuki  2017.3.19
 
永遠につづく政権はない。どんな政権でもべつの政権にいつか置き換えられる。ここで大切なのは、いつかではなく、その置き換えられ方です。
 
たとえば、イギリスの左派・進歩派はサッチャー政権を退陣へと追い込めなかったことを後悔している。サッチャーは党内に起きた反乱によって表舞台を去った。後悔とは、有権者が選挙において自らの意思を示し、サッチャーを敗北させられなかったことだ。
 
 
April 12, 2013
Decay and Ruin in Mrs. Thatcher’s England
by Tariq Ali
http://www.counterpunch.org/…/decay-and-ruin-in-mrs-thatch…/
 

 野党四党の代表が尊皇ファシズム教育の復活を目指す過激右派となかよくならんで記念写真を撮っている。かれらを取り囲んでいるのはメディアだ。
 
貪欲なメディアの食欲は真実では満たされない。視聴率と発行部数の増大を乞いもとめる。だからメディアは、よい獲物が見つかるたびに欲情カーニバルを開催して、自ら司祭をつとめる。
 
そのメディアの食卓にはわたしたちがいて、カーニバルの生贄を無遠慮に食い散らかす。もうなんども経験してきたことだ。

 
 わたしたちの失敗
 
野党の代表たちは主義や理想をわすれて、過激右派の人物を味方とみなしている。つまり、かれらは安倍晋三を退陣させることしかかんがえていない。
 
だが、たとえ安倍政権がスキャンダルにまみれて退陣を強いられても、保守から過激右派へと変貌した自民党の政権はつづく。次はより温和でより狡猾な政権が立つかもしれない。次の次は安倍政権よりも遥かに凶悪な政権になる可能性もある。
 
そして経済のうえではネオリベラリズムがどっかと居座ったままだし、政治においては尊皇ファシズムがひたひたと戦争へと進行する。
 
これがどうして成功といえるのか。
 
安倍晋三に屈辱をあたえても、かれの思想や政策を否定したことにはならない。安倍が政治生命をうしなったとしても、かならず継承者はあらわれる。

 
 問題の核心
 
カーニバルに踊らされて、生贄の血に舌なめずりしているうちに、なにが問題なのか、なにを求めていたのか、すっかりわすれてしまう。
 
政治家や官僚の不正はどこの民主主義にもある。それは法に基づき処罰されればよい。より大きな問題は内閣総理大臣および閣僚が尊皇ファシズムによって幼児を洗脳し、虐待し、中国人や韓国人を差別する過激右派のウルトラ・ナショナリストの「教育家」と親交があっり、森友学園のファシスト教育に賛同していたことだ。
 
すなわち、安倍政権も森本学園も過激右派による革命運動の一端だとみなしてよい。
 
これこそゆゆしき事態だが、このあたりまえのことをあたりまえだと、どうして英ガーディアン紙や米ニューヨーク・タイムズ紙からおしえられなければならないのか。なさけない。

 
Ultra-nationalist school linked to Japanese PM accused of hate speech
Justin McCurry in Tokyo
Wednesday 15 March 2017
https://www.theguardian.com/…/ultra-nationalist-school-mori…
 
Shinzo Abe Hurt by New Disclosures Over Ties to Extreme Right-Wing Group
By JONATHAN SOBLE
MARCH 16, 2017 
https://www.nytimes.com/…/japan-shinzo-abe-scandal-ties-rig…

 
 これからの3年、それからの30年
 
フィデル・カストロの演説が何時間つづいても、聴衆はよろこんでいた。だって、大笑いさせてくれるからです。フィデルは超大国から半世紀にわたって攻撃されつづける弱小国家の人びとを勇気づけるために長大な演説をくりかえした。
 
でも、あるときしんみりと、こう言ったことがある。
 
「革命には、すこしばかり、時間がかかるものです」
 
わたしたちは、フィデルの時代とはちがって、SNSというコミュニケーションの場をもっている。それを心地よい繭や不満のはけ口にしてはならない。
 
安倍政権をなじるだけでなく、批判するだけでなく、まず3年の短期を目標として、自民党よりもよい政策をつくり、その政策をもとに選挙に勝利すべきだ。それなら成功といえる。
 
知識人はアベノミクスを批判するが、よりよい経済政策を提唱するものはいない。過激化した資本主義であるネオリベラリズムのなにが問題で、どうやって克服すべきかを説こうとしない。
 
大新聞社はネオリベラリズムということばさえ出てこない。この過激な経済思想は当然のことのように受け入れられている。
 
だったら、わたしたちがよくかんがえて、よく話しあい、よりよい経済システムと社会システムをみつけよう。
 
3年あれば、政策はつくれる。ビジョンも示せる。世界中の市民たちが探求をつづけています。わたしたちは次の選挙で勝てないかもしれないけれど、道のりはながい。あきらめることはない。
 
400年つづいた資本主義は、内在する矛盾によって、終焉をむかえようとしている。次の世界システムへ移行するにはまだ30年ほどかかるでしょう。いまわたしたちは分岐点に立っています。
 
この混乱の30年こそ、わたしたちひとりひとりの意思と行為が大きな影響をもたらすときです。どんな行動も、どんな努力も、ちいさすぎるということはありません。
 
家庭で、学校で、工場で、職場で、地域社会で、できることはたくさんあります。これらの共同体はみな全体主義的な傾向をもっているからです。
 
未来はだれにもわからない。次の世界システムは、いまよりも不自由で、より不平等で、より不公平で、より不正義なものになるか。あるいは、より自由で、より平等で、より公平で、より正義が実現できるものになるか。このどちらかです。
 
次の世代に、よりよい社会を手渡せるかどうかはすべてわたしたちの意思と行為にかかっています。
 
欲情カーニバルで踊っているひまなんかないですよ。

 

 

 


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