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安倍強権支配に抵抗せよ 再び「官僚たち」に告ぐ! 国民の怒りと公僕の誇りが、政治を動かす〔倉重篤郎のサンデー時評・サンデー毎日7月2日号から〕

2017-06-22 01:13:53 | 加計疑惑

 

https://mainichi.jp/sunday/articles/20170619/org/00m/070/006000dより転載

拡大版 安倍強権支配に抵抗せよ 再び「官僚たち」に告ぐ! 国民の怒りと公僕の誇りが、政治を動かす

 
インタビューに答える前川喜平・前文部科学事務次官=東京都千代田区で2017年6月3日、宮間俊樹撮影

伊東正義、後藤田正晴を「範」に…

 加計学園問題で、文科省がようやく内部文書の存在を認めた。追及をかわすために共謀罪を強行採決して国会を閉じた安倍政権に、国民の怒りは高まっている。官僚の中から、前川喜平前次官に次ぐ告発者は出てくるのか。かつて公僕の誇りを貫いた伊東正義、後藤田正晴両氏に学びつつ、現政権への抵抗を探る。

 

 加計(かけ)学園問題の嘘(うそ)と傲慢に国民が怒り出した。

共謀罪の強行採決は、その怒りに油を注ぐであろう。

 選良である国会議員たちが、その怒りのマグマの蠢動(しゅんどう)を感じ取っている。

 自民党の古川禎久(よしひさ)衆院議員もその一人。当選5回、石破派(水月会)事務総長だ。石破茂氏を担ぎ、次期総裁選で「ポスト安倍晋三」を狙う立場だ。短期間ながら建設官僚も経験、霞が関の動向にも気を配っている。

 物言えば唇寒しの中、森友、加計政局以降の国民世論の変化をどう感じるか。安倍1強の驕(おご)りへの懸念を率直に語ってくれた。

「自民党が驕っている。そういう空気が出ている。地元でも出張先でも見聞きする話というのはそうだ。自民党所属の地方議員から、一体、どうなっているんだと言われる。彼らもまたどうなっているんだと地元で言われており、どうやって説明するんだと聞かれる。その頻度が増えている」

 一連の問題の背景には、官邸の人事権に対する霞が関官僚の忖度(そんたく)、という側面がある。

「総裁3選を容認、この政権があと4年続く可能性がある中で、霞が関の課長クラスからすると、自分たちが局長になれるか、なれないかというところにかかわってくる。そこが気にならないほうがおかしい。結果的に良くない話が上がっていかないようなことが起きている。萎縮効果が出ている。官僚と話をしていてもそういう印象がある」

「加計にしても森友にしても、事実かどうかはさておいて、(政治が官僚に)嘘の発言を強いるのであるとすれば、それはあるべき姿ではない。人を用いる時には信頼して任せることだ。信なくば立たず」

 内閣人事局という制度で霞が関を締め上げ過ぎている?

「要は運用だ。組織のことは組織に任せるほうがいい。拒否権は持っているが、めったなことで用いてはいけないと思う」

 もし、あなたが官房副長官になったらどう運用する?

「役所そのもののメカニズムをできるだけ尊重したい」

「それよりも嫌な感じがするのは、自民党がその原点を忘れかけているのではないか、ということだ。原点というのは、2009年の政権交代だ。自民党に対する政治不信、自民党はダメだという声が激流のように動いて政権交代となった。これに対して、自民党は下野、政治の原点に戻ろうという反省の中から立ち上がった。全国の山奥に行って小さな集会から始めた。谷垣禎一総裁の時で、それが原点だったはずだ」

不正を憎む「官僚道」に立ち返れ!

「ところが、今の自民党はその時のことを忘れている。あの時、衆参合わせて200人だった国会議員も、今や400人。ということは半分の自民議員は野党の時を知らない。勝った瞬間に与党だった。だから、いろいろ不祥事も起きた。これは引き締めなければダメだと思っていたが、(森友、加計問題で)またしても『どうなっているんだ』『自民党はもう応援せんぞ』という声が聞かれるようになってきた。これはものすごく危ないと思っている」

「というのも、今の日本には大きな政治課題がある。例えば、現下の厳しい財政状況の中で社会保障費用をどうまかなっていくか。こういう大仕事をしなければならないのに、政治が不安定になり、また政権が変わるかもしれないという状況になると、本当に日本は危ない」

 他の自民議員の方々も同様の認識か?

「心ある人は皆そう思っているのではないか。またここで緊張感を失って、国民の不信を買うことになると、一体、日本の政治はどうなってしまうのか」

 古川氏の憂国の念は深い。だが一方で、この国民の怒りが政治を動かし始めた。文科省がようやく内部文書の存在を認めた。

 国会での追及を恐れた安倍官邸が、強硬策で国会を会期内で閉じた。

 内閣支持率が明確に落ち始めた。

 都議選結果(7月2日投開票)は、加計問題が尾を引いて自民が惨敗する公算が大きくなってきた。

 そのうねりの中で霞が関官僚たちはどう動くのか。

 現職官僚の中に、前川喜平前文科事務次官に次ぐ告発者が出てくるのか否か。

 現時点で筆者の取材ネットワークには、まだ第二、第三の前川が引っかかってこない。

 さもあらん。7月の霞が関定期異動直前のこの時期である。匿名であろうと、メディアに登場した途端、官邸の諜報(ちょうほう)網に特定され、むざむざポストを棒に振ることになりかねない。この時期は静かにしていることが肝心なのであろう。まさに、面従腹背の世界である。加計問題の対応で傷ついた形になっている菅義偉官房長官、萩生田光一・杉田和博両官房副長官ラインが今度の人事にどう臨むかも注目に値する。官僚のリークを恐れてその圧迫路線を手仕舞いするのか、それともさらにふかすのか。

 この政官バトルについてはまたリポートするとして、霞が関から声が上がらないのであれば、筆者のほうから霞が関に訴えかけたい。

「官僚道」を伊東正義、後藤田正晴両氏から学んでほしい。

 伊東正義氏(1913年12月15日~94年5月20日 農林事務次官から衆院議員9期。副総理、外相を歴任、リクルート事件で竹下登首相が辞任した後の首相候補に挙げられたが「表紙を変えただけではダメ」と断った)については、農水省後輩の荒井聰衆院議員が語る。

「伊東さんが農地局長時代のエピソードがある。土木事業その他を所管する利権局だったが、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった河野一郎農林相との間でバトルがあった。要は、自分の息のかかった業者を使えというのに対し、一歩も引かずそれを拒んだ」

「その結果、伊東氏は本省の農地局長から地方農政局長に飛ばされた。それをまた伊東氏は従容と受け止めた。それだけの腹があった。ただ、伊東氏を慕う部下が帰還運動を展開し、また本省に戻り、事務次官まで上り詰め、政界に転出した」

 この話は「官僚道」の美談として農水省に連綿と伝承されているという。

 荒井氏が現役官僚時代に、直接伊東氏から聞かされたことがあるし、荒井氏も若い後輩官僚たちと接する際には「役人としての矜持(きょうじ)を持つように」と説話する、という。

 伊東氏の政治家になって以降の清廉さ、進退の潔さは今振り返っても新鮮さを感じるが、ここで言いたいのは、「官僚道」の正義である。公平中立であるべき行政を歪(ゆが)めるものに対する怒りである。不正を憎むという、極めて単純ではあるものの、「官僚道」の基本中の基本に今一度立ち返ってほしい、ということである。

 今回の加計問題では、まさにこの基本部分がないがしろにされかかった。あるもの(文科省内部文書)がないものにされかかった。黒が白とされかかった。事実がなきものにされかかった。官邸はそれをごり押ししようとしたが、前川氏の良識ある告発と、国民世論の常識がそれを阻止した。前川氏の動きがなかったらどうなっていたか。考えるだに恐ろしいが、最悪の事態は免れたと、とりあえずは評価しよう。伊東氏ほどまでにはいかないまでも政治に対し、官僚としての矜持、気骨を忘れないでほしい。

軍と警察の肥大化を警戒した後藤田

 後藤田正晴氏(14年8月9日~2005年9月19日 内務・警察・防衛・自治官僚。警察庁長官の後、衆院議員7期。中曽根康弘政権時の官房長官)からは、権力を持つ者の抑制的な姿勢と、右にも左にもぶれないバランス感覚を学びたい。

 これは後藤田番であった私に語らせてほしい。

 後藤田氏が最も警戒していたのは、軍と警察組織の肥大化であった。軍については、彼の戦争体験があった。軍隊組織というものは、膨れ上がっていくものであり、これを民主的に規制するのがいかに困難であるかを身をもって体験していた。警察については、自らの出身母体ではあったが、その予算、権限、組織拡大要求には目を光らせ、抑制する側に回っていた。

 もう一つ後藤田氏が重視していたのはバランス感覚だ。日本国民は総じてある一つの方向に一斉に走り出す傾向がある。先の軍国主義がそうだったし、あのバブル経済もそうだった。従って、官僚も政治家も権限を持つ者は、常に行き過ぎを警戒すべきだ、という使命感を持っていた。

 そのスタンスに比べて、である。今の官邸には権力や権力行使に対する恐れ、慎重さが感じられない。バランスも右に傾き過ぎだ。

 軍(自衛隊)について言えば、武器三原則の解体、新安保法制の制定、南スーダンPKOの新任務付与、米艦防護と、ひたすら拡張路線を走っているし、警察権力にしても、特定秘密法制定、共謀罪の新設など、警察監視国家になるのではないか、と思うほど露骨な拡大路線に手を貸している。

 後藤田氏が見たらどう思うであろうか。特に、官邸の中枢で官僚たちの指揮を執る杉田官房副長官は後藤田官房長官時代の警察出向の秘書官を務めた人物でもある。前川氏によると、前川氏が出会い系のバーに通っていた問題で、その杉田氏に昨秋呼び出され「あのような店に文科次官である君が出入りしているのはどうなんだ」と忠告を受けていた(『文藝春秋』7月号)というのだ。まるで秘密警察張りのやり方ではなかろうか。後藤田時代にはとても考えられなかったことである。

 もう一つ、真の国益官僚になれ、とも言いたい。

 内閣人事局創設の背景には、省益代表者としての官僚を、国益官僚にするという大義名分があった。だが、森友、加計問題では、国益官僚というより、政権益官僚になりかけている姿が浮き彫りになった。特に、財務省にそれを感じる。

 江田憲司民進党代表代行が語る。江田氏は、橋本龍太郎政権時代の首相秘書官として、当時の大蔵省(財務省の前身)の強大なパワーと猛烈なバトルを展開した人物だ。辛口の財務省ウオッチャーでもある。

「森友問題では財務省もふがいない。人事を握られ身動きが取れない。官邸から働きかけを受け、そう動いた、としか思えない。そうでないとこんなに異例づくし、初物づくしの手続きは進まない」

財務省に真の“国益官僚”はいるのか?

 江田氏の指摘を待つまでもない。ここは、財務省にとっては正念場だ。というのも、安倍政権が憲法改正を優先するがゆえに、これまで2度先送りしてきた消費増税10%(19年10月引き上げ予定)をまた先延ばしする可能性が出てきたのだ。20年に財政のプライマリーバランスを黒字化するという看板を下ろし始めたのはその表れとみられる。

 財務省はそれで日本の財政に責任を持てるのか、というのが私の率直な疑問である。前号でも書いたが、アベノミクスの異次元緩和策が日銀の出口問題という大きなネックを迎えている。ここで再び増税を見送るようなことになると、国債の暴落という日本経済メルトダウンの引き金がより早く引かれることになる。

 そのことは財務官僚が最もわかっているはずである。速やかに政権益を切り捨て、国家の危機に処するため真の国益官僚に立ち戻ることを心から求めたい。

 政治家にも注文したい。官僚たちが不正を憎み、権力を抑制的に行使し、バランスを失うことなく、真の国益官僚になるには、政治家自身も範を示すべきだ。

 岸本周平衆院議員があるエピソードを明かした。

 中曽根政権時、大蔵官僚だった岸本氏が官邸に首相秘書官補佐として出向していた時の話である。当時の大蔵省には、予算編成の最終段階で余裕があれば、時の首相に対し予算面で一つだけ希望をかなえる、という慣例があったという。

 ある日、中曽根氏にもその注文を聞く日が来た。

「そろそろ計数整理しますので、何かあればおっしゃってください」

 てっきり、何かしら地元関係の陳情が出てくると思いきや、中曽根氏の口から出たのは全く別物だった。

「日仏会館がボロボロになっている。日仏の文化の懸け橋として重要だ。これを改修してほしい」

 岸本氏曰(いわ)く。「その時私は、こういった政治家の下で官僚をやることができてよかったと、つくづく思いました。それに比べて、森友、加計。格が全く違う」

「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。高貴さは義務を強制する。つまり、地位には、それに応じた責任や倫理が必要とされるということである。政と官の関係、役割を考える上で今一度この言葉をかみしめてもらいたいと思う。


くらしげ・あつろう

 1953年、東京生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部。2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員


ふるかわ・よしひさ

 1965年生まれ。衆院議員。水月会(石破派)事務総長


あらい・さとし

 1946年生まれ。衆院議員。内閣総理大臣補佐官、衆院内閣委員長などを歴任


えだ・けんじ

 1956年生まれ。衆院議員。民進党代表代行。


きしもと・しゅうへい

 1956年生まれ。大蔵・財務官僚を経て、衆院議員。

(サンデー毎日7月2日号から)

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