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憲法9条についてガルトゥング教授は「反戦憲法ではあっても、平和憲法ではない」と・・・伊藤千尋「反戦憲法と平和憲法」 / 緊急提言「日本人のための平和論」

2017-06-16 23:14:35 | 憲法

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  「反戦憲法と平和憲法」


  2017.6.16

 「平和学の父」ガルトゥング教授のお話の続きです。憲法9条について教授は「反戦憲法ではあっても、平和憲法ではない」と語ります。反戦と平和の何が違うのでしょうか。ここが教授が唱える「積極的平和」の核心なのです。
 日本では「平和とは戦争がない状態を指す」とよく言われます。しかし、戦争がなくても放っておけば戦争や紛争につながりかねない要素が社会にはたくさんあります。男女の不平等、賃金の格差、人種差別、領土問題などです。これを放置した状態を、教授は「消極的平和」と呼びます。一方、問題を一つ一つ解決していき、真にもめごとのない社会にすることを「積極的平和」と呼ぶのです。これこそ本来の平和です。

 コスタリカは軍隊をなくして、余った予算を教育や福祉、医療、貧困撲滅に回し、社会の不安要素をなくしてきました。積極的平和を国内で実践したのです。さらに周辺の3つの国の戦争を終わらせ、国連に核兵器禁止条約を提案し、今やその交渉の議長国になるなど、世界に平和を輸出してきました。世界の平和にも貢献したのです。まさに積極的平和を実践しました。
 しかし、日本は国内でも国外でも、このような努力をしていません教授は著書『日本人のための平和論』の中で「9条があるために、これまで日本では現状を変えるための平和政策が生まれてこなかった。…9条は崇高な理念を謳っているが、それゆえにつまずきの石となり、安眠枕となっていた」と主張します。9条があったために、かえって国民が努力を怠ったというのです

 僕は、教授の主張のうち、戦争がない状態に胡坐をかいて真の平和をもたらす努力をしなかったというのは、そのとおりだと思います。本当は国内で民主主義を発展させ誰もが安心して暮らせる福祉国家にすべきだったし、被爆国として国外に平和を広めるべきでした。
 しかし、そうはいかない政治的、社会的な事情があったのです。ドイツと違って日本では戦前の保守勢力が戦後もそのまま生き残りました。彼らは現行憲法を明治憲法に戻したいと考え、行動してきました。平和を主張する人々にとって、平和を積極的に進めるどころか、9条を守るのが精いっぱいでした。長く自民党の独裁のような政治が続いた中で、9条が今も残っていることが奇跡だと思えるほどです。9条があったがゆえに自衛隊をつくっても海外に派兵することはなかなかかないませんでした。今でも好戦的な政府の思惑は9条によって阻まれています。9条は立派に役割を果たしてきました。

 9条について教授はまた、「アメリカが日本を懲罰するために作った」と語りました。戦後の占領軍がそうした意図を持っていたことは一つの側面です。でも、そもそも軍隊の廃止を提案したのは日本政府の幣原首相です。マッカーサーの日記にも書いてあります。そしてもう戦争をしたくないというのが当時のほとんどの日本国民の意思でした。そこから9条が生まれたのです。
 内戦の反省から軍隊をなくしたコスタリカと、その過程は同じです。教授は「9条はアメリカの押し付けだ」という保守勢力の主張をそのままうのみにしていませんか?平和を求めた日本人の自主性を無視すべきではありませんよ、教授。ここは事実関係の認識を改めていただきたい。

 こうした主張のうえで教授は、9条を変えて積極的平和の意志を明確に打ち出す条文に憲法改正すべきだと提案します。いいえ。今の憲法を変えなくても、政策によって積極的平和を実現することができます。国内での男女差別、賃金格差の撤廃、世界の舞台での平和に向けての提案など積極的平和に向けての行動は、現行憲法となんら矛盾しません。それに、この時期に憲法を変えよ言えば、9条さえもなくしてしまいます。こうした日本の現状を踏まえていただきたいと思います。
 教授だって日本の実情すべてを知っているわけではないから誤解も生じるのです。そして教授も言うように、誰かの意見をうのみにするのでなく、議論することが大事なのです。教授だって、こうして反論されることを望んでいるでしょう。教授の意見をもとに、おおいに議論していこうではありませんか。

 具体的に日本がどう積極的平和を進めることができるのか。また、教授は自衛隊をスイスのような国防軍に改組すべきだと踏み込みますが、自衛隊をどうするか。これらについて、僕は僕で持論があります。長くなりましたので、また別の機会に。

 

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伊藤 千尋さんFBより  6月12日

 

「日本人のための平和論」

 「平和学の父」と呼ばれるノルウェーの紛争調停人、ヨハン・ガルトゥング教授が書き、この7日に発行されたばかりの『日本人のための平和論』(ダイヤモンド社)を読み終えました。実は明日、都内で行われるガルトゥング教授の講演会とコスタリカの映画上映会に僕も参加します。本人のお話を直にうかがうのは初めて...ですが、この本をあらかじめ読んでおいてよかったとしみじみ思います。
 訳が抜群にいいのです。普通、この種の翻訳物は日本語にすればわかりにくくて途中で放り投げたくなりますが、とてもこなれた言葉でスラスラ頭に入ります。訳者は御立(みたち)英史さんで、実はそのご本人からできあがったばかりのこの本を贈られました。御立さんはこの2月に相模原市の教会でコスタリカの講演をしたさいに聴きに来られ、そのときにお会いしたのが縁です。

 読み進めるにつれて、数々の国際紛争を経て来たガルトゥング教授がたどりついた発想と僕の主張がそんなに違っていないことを知り、僭越ながらうれしくなりました。同時に、僕の視点にない国際的な発想がとても参考になりました。領土問題の解決の方法(共同管理)や日本の現状認識(今も米国の占領下)で僕は教授とは別の考えを持っており、その点も刺激的です。
 おおいに共感するのは「平和は過去を反省するだけでは実現しない。未来をつくろうとする意思によって実現する」と真の「積極的平和」の必要性を強調する点です。それは単に反対を唱えるだけでなく、市民側が政府とは別の案を出して世論づくりをすることで政策を替えさせることが必要だという僕の持論と一致します。教授が編み出した「積極的平和」の概念と安倍首相の言う偽の「積極的平和主義」を対比させながら、僕自身がこのところ主張していることでもあります。

 護憲派からすれば驚くような発言もあります。「日本にとっての得策は、安保を維持しつつ、安保の無意味化を目指すことだ」と言います。「憲法9条は反戦憲法ではあっても、平和憲法ではない」とも語ります。9条があるおかげで国民はその上に胡坐をかき平和を構築する努力を怠ってきたというのです。そう見えるのももっともだと僕も思います。ようやく加害に目を向けるようになりましたが、もっぱら原爆の被害者を強調するのが過去の日本の平和運動でした。
 とはいえ、戦前の軍国主義に芯まで侵されていた過去の日本の精神風土を考えるなら、9条が戦前回帰を防ぐ大いなる役割を果たしてきたことをもっと評価すべきだと僕は思います。こうした点を含めて、おおいに議論すればいい。そのためには格好の書です。
 
 この本を読んでいて、初めて読んでいるという気がしませんでした。おそらくあちこちで彼の論文や主張の断片を目にしてきたからでしょう。それをこうして体系づけて知ることで、頭がまとまります。すばらしい本です。世界の平和に向けて人生を通して追求してきた碩学の知恵を土台に、私たちはどうすればいいのかを議論しようではありませんか。ぜひ、みなさん、読んでほしいと思います。

 

 

 


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