このシリーズ記事を書くのは本当に久し振りである。1972年に上京し、1979年に俳句と遭遇したところまで書いたように思う。私の上京は70年安保闘争とその周辺の情況への参加のためであり、俳句との遭遇は事実上の【俳句批判】との遭遇であった。つまり、坪内稔典氏の【過渡の詩】という俳句観である。俳句を含む【日本近代】の未成立と、新興俳句から戦後俳句の展開という新たな歴史観と人間観の提示である。その詳細をたどる前に、私は1980年代に何をしていたのだろうか。確かに《俳句》は常に私の周辺に浮遊していたはずだが、1985年だったか、最後の所属結社の【地表】を辞めるまであちこちへ投句・投稿を繰り返したわけだが、俳句はついに私の在り方の中心には存在し得なかったように記憶している。時代は俳句などという曖昧なものより、1970年代の終焉という、より確かなものに激しく流れていったように思う。・・・《続く》
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