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イエメンの武装勢力組織「フーシ派」をサウジアラビアが空爆。新たな火種に困惑する西側諸国。

2015年03月29日 15時21分12秒 | 日記
 中東地域がまたもや戦闘状態で、きな臭さを増してきている。

 アラビア半島の南端にあるイエメンで政変が発生している。北に接するサウジアラビアがシーア派武装勢力「フーシ派」を標的とした空爆を行ない、ハディ大統領の政権の支援を行っている。

 CNNの報道では次のように報道してる。

『サウジ主導のイエメン空爆続く ハディ大統領はエジプト入り』
 2015.03.28

サヌア(CNN) サウジアラビアが主導する中東諸国の軍は27日、前日に続きイエメンのシーア派武装勢力「フーシ派」を標的とした空爆を行った。

 フーシ派が掌握する首都サヌアでは同日夜、大きな爆発音が聞こえた。空爆による負傷者の数や被害の程度は分かっていない。サヌアの他にも国内15カ所で空爆が行われており、フーシ派の拠点である北西部のサーダでは少なくとも10人の死者を出した。

 空爆の標的となっているフーシ派は先ごろ、イエメンの首都サヌアを制圧。25日には同国のハディ大統領が逃れていた南部の港湾都市アデンの主要地帯を支配下に収めた。

 フーシ派の進攻を受けアデンを脱出したハディ大統領は27日、アラブ連盟の首脳会議に参加するためエジプトに到着した。アラブ連盟の加盟国の多くは今回の空爆に参加しており、ハディ大統領の復権をもくろんでいるとみられる。

 イエメンは実質的に内戦状態に陥っており、ハディ政権を支援するサウジアラビアと、フーシ派と連携するイランの代理戦争の様相も呈している。空爆を主導するサウジアラビアとしては、シーア派の大国イランを警戒しており、イエメンがシーア派に支配される事態は避けたい意向だ。

 サウジアラビアは、ハディ大統領が書簡で軍事介入を要請してきたと主張している。書簡の内容は同国外務省によって公開された。

 サウジアラビアの関係筋によれば、他に軍事作戦に参加しているのは、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、バーレーン、カタール、ヨルダン、モロッコ、スーダン、エジプト。米軍は情報活動や後方支援といった分野で作戦に参加しているとされる。

(貼り付け終わり)

 イスラムのスンニ派とシーア派の宗教的な対立は、西側諸国や、我々日本人には、非常に理解が困難である。

 イスラムに関しての第一人者と言える中田 考氏のスンニ派、シーア派の解説をネット上で検索したが、余りピッタリの内容が、今回は見つからなかった。

 どうも各宗派の中身をみると、世俗的なものや、政治利用されているいる宗派、過激思想の宗派など、外部の人間には、非常に分かりにくく、筆者も正直なところ理解できていない。

 筆者には、中東問題を単純に、『テロとの戦い』などと大見えを切らない方が良いように思えた。

 ここは日本の学者ではほとんど存在しないが、イスラム世界に身を入れており、イスラム各国や過激派組織等を詳細に理解している中田氏のような学者に、外務省や官邸も教えを請うべきではないかと思えてくる次第だ。

(中田 考氏のイスラム スンナ(スンニ)派とシーア派の解説(Twitter形式)より貼り付け ただし2013年頃の記述です)

 情況が変化したのは1979年のイラン・イスラーム革命。イランの革命輸出をシーア派の革命輸出と捉え、サウジアラビアは元々超反シーア派のワッハーブ派を動員して反シーア派プロパガンダを世界的に展開。これ以降、特にパキスタンではスンナ派とシーア派の衝突が頻発するようになる。

 国民の多数派がシーア派の隣国イラクでは、当時は世俗主義を謳っていたバアス党サダム・フセイン政権は、世俗主義とアラブ民族主義の立場で、イランの革命輸出をペルシャ帝国主義と規定して対抗。

 当時のシリアの(父ハーフェズ)アサド政権は同じ世俗主義バアス党の内紛で対立していたイラクと対抗するために、イランと同盟。これ以降、サラフィー主義者は、シリアのアサド政権(エスニックにはシーア派アラウィー分派)をイラン(シーア派12イマーム派)の支配下のシーア派とみなす傾向が定着。

 ムスリム同胞団は、狭義の教義に拘泥しない社会改革運動として、ホメイニ師に使節を送るなどしており、親イラン・イスラーム革命であったが、それはサラフィー主義者の目には親シーア派と映った。情況が悪化するのはアメリカのイラク侵略によるサダム・フセイン政権崩壊後。

 サダム・フセイン政権崩壊後、イラクは本格的な宗派対立に突入。現在スンナ派サラフィー主義のイラク・イスラーム首長国が、イラク政権をシーア派イランの傀儡として内戦中。シリアのヌスラ戦線はこのイラク・イスラーム首長国からのシリア人帰還兵が立ち上げたもので、徹底した反シーア派。

 同胞団は反シーア派色は薄く、事実エジプトでは、イラン革命後初めてエジプト人大統領としてムルスィがイランを訪問し答礼でイランのアフマディーネジャード大統領がエジプトを訪問した。これは同胞団の親シーア派性の証左と見做され、普段不仲なサラフィーと伝統主義のアズハルが連帯して反同胞団化。

 無知な西欧や日本のメディアも研究者も全く報じていないが、現在のムルスィ政権が危機的なのは、「世俗派」の跳ね上がりのせいではなく、サラフィーとアズハルというエジプトの二大イスラーム勢力が揃って明白な反同胞団の姿勢を打ち出したからで、その主要な理由が前記の同胞団の「親シーア派性」。

 ところが 同胞団が引き起こしたとされる1982年の「ハマ暴動」で数万人が虐殺されたシリアでは全く事情は異なり、同胞団はアサド政権と敵対的である。同胞団の最高指導者と目されるユースフ・カラダーウィーはエジプト人ながらシリア内戦当初よりアサド政権打倒を訴えていた。

 レバノンのヒズブッラーがアサド政権側に立ってシリア内戦に参入すると、カルダーウィーはヒズブッラーを悪魔の党と呼び、はっきりと反シーア派に転向した。アラブのスンナ派の中心のエジプトでは既述の通り二大イスラーム勢力サラフィーと伝統主義の牙城アズハルははっきりと反シーア派化していた。

 同胞団の最高指導者のカラダーウィーが反シーア派の立場に転向したとすれば、スンナ派三大イスラーム勢力の中で唯一比較的親イラン親シーア派だった同胞団の反シーア派化が確定し、スンナ派とシーア派の対立の構図がはっきりする。これは20世紀以来の世界イスラーム運動の布置を変える大事件である。

 日和見同胞団 @YasserYabani: カラダーウィー師がダマスカスに来たのは2004年か2005年か・・ダマスカス市内の、政府寄りの某モスクで同師を目にしました。アサド大統領は同師と会談するなど、国賓並にもてなしていました。体制派、反体制派双方にとって消したい思い出か・・。

 こういう裏表がある同胞団(伝統派ウラマーも同じだが)が私は大嫌いだ→ @YasserYabani カラダーウィー師がダマスカスに来たのは2004年か2005年か・・ダマスカス市内の政府寄りの某モスクで同師を目にしました。アサド大統領は同師と会談するなど国賓並にもてなしていました。

●スンニ派、シーア派に関して補足

【スンナ派とシーア派について補足】スンナ派とシーア派の相互認識に関しては、信仰隠し(タキーヤ)の問題もあり非常に複雑なのですが、以下にザックリ纏めてみましょう。

 但し、 その前に、前提として、イスラームには教義を決定する制度は無いので、教皇や公会議の言葉を引用すれば済む、というようなわけにはいかないことを確認しておきます。古今の教義学の権威ある古典を参照するしかありませんが、その古典の選択、範囲も個人の選択に任されます。

 アッラーの前にただ独り立つ個人の自己責任による選択に耐えられず、教皇や公会議や文部科学省などの公的なお墨付きが与えられたものでないと信用できない偶像崇拝者は、そもそもイスラームを理解することは出来ず、イスラームについて語る資格もありません。

 この問題を論ずるに当たっては、イスラーム学の以下の三カテゴリーの理解が重要。
(1)来世の最後の審判において神から永遠の火獄の懲罰を課される不信仰者、(2)現世のイスラーム法廷で不信仰者との判決を受ける者、(3)不信仰との判決は受けないが正しい教義からの逸脱者として処刑される者。

 カテゴリー1は、神の領域なので人知は及びませんが、個々人が来世で救済されるか否かではなく、一般的な属性の束としての人間類型としては、およそ学問的に確定できます。こうして、イスラーム学が規定する背教者の人間類型に照らして、カテゴリー2と3の現世での判断が下されます。

 ザックリ言うと、スンナ派はアラウィー派などの「過激シーア派(グラート)」はカテゴリー2で不信仰者と判断するが、12イマーム派についてはカテゴリー2では不信仰者と判断せず、一般信徒と学者・宣教者を区別し、一般信徒は誤りを放任し、学者・宣教者はカテゴリー3に分類し処刑すべしとする。

 一方シーア派は、スンナ派をカテゴリー1の来世における不信仰者とみなすが、カテゴリー2ではイマームに反抗しない限り黙認しムスリムとして扱いムスリムの規程を適用する。

 このスンナ派とシーア派の自他認識の問題は教義学上だけでなくイスラーム地域研究でも極めて重要だが、管見の限り日本のみならず西欧のイスラーム研究/イスラーム地域研究には、学術的な個別研究も啓蒙的解説もない。イスラーム研究/イスラーム地域研究が見かけ倒しで無用であることの証左の一つ。

 スンナ派とシーア派の自他認識については、拙稿「シーア派法学における古典ジハード論とその現代的展開 - スンナ派法学との比較の視点から」特に2章、3章参照。

(貼り付け終わり)


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