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「美しい国」は戦争が出来る普通の国なのか? 

2015年04月21日 15時51分42秒 | 日記
 リテラに掲載される野尻民夫氏のコラムは、安倍政権の危険性を指摘し批判した内容が多い。

 安倍政権のネットの支援組織が、野尻氏の存在を探し回っているようだ。

 メディアのなかでは、野尻氏はあまり有名でなかったからだろう。 しかし彼が取り上げている中身は事実に基づいており、本来のメディアではこの程度の話は当然書いて当り前であったと思う。

 しかし、最近の大手メディアは勿論のこと、保守系週刊誌が幅を利かしている為か、このような批判記事を見る機会が減ってしまっている。

 これは日本の国民にとっては非常に危険な兆候なのだ。政権の行為に批判をするのは、本来のジャーナリスムでは当然の仕事であり、独走する政権にブレーキをかける役をメディアが行うのは当然のことなのだ。

 さて野尻民夫氏のコラムを読んでください。自衛隊の海外派兵は間違いなく戦闘行為の為に参加するのであるのに、何故か戦争の文字を消し、平和のためと言い換える。

 最近の法案名に、このようなスリカエを行って、全ては平和のために行っていると、国民に勘違いを生じさせるのは、果して政治家として誇れる行為なのであろうか?
  

(リテラより貼り付け) 

「平和と言い換えろ!」安倍政権が安保法制強行で「戦争」という言葉の取り締まりを開始
2015年4月20日
野尻民夫


安倍政権がめざす「美しい国」が北朝鮮や中国のような国であることがいよいよハッキリしてきた。国家や政府が決めたことには一切の批判や反論を許さないという方針で、メディアに圧力にかけていることは何度も指摘したが、今度は、国会でも言論狩りを始めた。

 社民党の福島瑞穂参院議員が国会で、一連の安全保障関連法案を「戦争法案だ」と述べたことについて、自民党が「一方的な決めつけだ」として議事録からの削除や修正を求めているという一件だ。すでに新聞・テレビでも報じられているが、福島氏の発言があったのは今月1日の参院予算委員会でのこと。安倍晋三首相への質問の際に、「安倍内閣は14本から18本以上の戦争法案を出す」と発言した。これに対して安倍首相が「レッテルを貼って、議論を矮小化していくことは、断じて甘受できない」と反論したが、福島氏も引き下がらなかった。

 たったこれだけのことだが、自民党は異様に問題視し、議事録から削除しろというのだから尋常ではない。ちなみに、国会で「戦争法案」という言葉が出たのはこれが初めてではない。たとえば、1999年に周辺事態法案の審議で共産党の議員が同法を「戦争法案」と批判したことがある。ところが当時の小渕恵三首相は「御党から言えば、戦争法案ということであると思うが」と応じている。当たり前だ。国会は言論の府であり、議員が自らの価値観に基づき言葉を選んで質問をするのが当然だからだ。

 安倍政権はいったい何を恐れているのだろう。実は、こうした“言葉狩り”的対応は、安倍政権のイメージ戦略──もとい、誤魔化し戦略の常套なのだ。

 わかりやすい例が、まさに安全保障法制の名称だ。安倍政権は、安全保障法制の一環で戦争をしている他国の軍隊を後方支援する恒久法(一般法)の名前を「国際平和支援法」にすることを決めた。これは、国際社会の平和と安全を目的に掲げて戦争をしている他国軍を支援するため、自衛隊をいつでもどこでも行けるようにするための法律だ。「支援」というのは、前線より後ろで、武力を使わずに他国の軍隊に食料や燃料を補給する活動を想定しているというが、戦争に協力することに変わりはない。

 しかも、ヘ理屈ではなく常識的に考えて、自衛隊が支援・協力するのは国際平和を実現するための「戦争」という行為であって、「平和」という状態を支援・協力するというのは日本語としてあり得ない。安倍首相が大好きなアメリカの「テロとの戦い」は、“WOT”(War on Terrorism)と呼ばれている。 まんま、戦争そのものなのだ。その戦争に協力するのだから、どう考えても「平和支援」でなく「戦争支援」だろう。福島氏の発言は、レッテル貼りでもなんでもない。

 では、なぜ安倍自民党があそこまで神経質になるかといえば、この言葉の言い換えによる誤魔化しこそが、安倍政権の本質といえるからだ。昨年4月に「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」と言い換えて閣議決定したのもそうだし、「残業代ゼロ法案」を「高度プロフェッショナル制度」(ホワイトカラーエグゼンプション)と呼んだり、「正社員首切り自由化」を「労働規制緩和」と言ったりするのも同じなのだ。いずれも、国民に対して正々堂々と説明できない、後ろめたい政策だから、言葉の言い換えによって誤魔化して乗り切ろうという、安倍首相らしいなんとも姑息な話なのだ。

 だからこそ、国民に法律の本質が丸わかりの「戦争法案」といった言葉が使われると、過剰な反応をするわけだ。今回は、たまたま国会が舞台だったので圧力が可視化されたが、実はこうした“言葉狩り”はマスコミに対しても日常的に行われているという。在京キー局の報道関係者はこう話す。

「最近話題の『公平・公正』と同じくらい言ってくるのが『意図をねじ曲げないように』というセリフですね。もちろん、ねじ曲げるつもりなど毛頭ありませんが、政権にとって都合の悪い解説をしたり、意見を紹介したりしただけで、意図をねじ曲げたことにされる。後方支援のための法案を『戦争支援』ととらえるか『平和支援』ととらえるかは事実ではなく評価の問題なのに。現場が萎縮するのは当然です」

 さらにここ最近はネトサポ(自民党ネットサポーターズクラブ、J-NSC)と呼ばれる連中の“活躍”も喧しい。ネットを使った自民党の応援団で、ネット上に自民党や安倍政権に批判的な言論を見つけては「事実のねじ曲げ」「レッテル貼り」「デマによる煽り」との書き込みを拡散させている。「一連の安保法制は戦争を推進させる」とか「自衛隊に死者が出る可能性がある」などと書こうものなら、たちまち袋叩きにあう。結果、政権に批判的な論評がマスコミからもネットからも姿を消すという寸法だ。

 国家に楯突く者は容赦なく取り締まる。「この道しかない」と異論をいっさい許さない。そして、自由にモノが言えない。安倍政権がいま粛々と進めているのは、そんな恐ろしい国づくりなのである。

(貼り付け終わり)

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