明日の風に吹かれて

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坂本龍馬 暗殺から150年 酢屋を訪問

2017年11月15日 16時36分27秒 | つれづれ


坂本龍馬が殺害されたのが慶応3年11時15日(1867年12月10日)
今年で150年。


今日は各所でいろいろイベントが予定されているだろうから、昨日(11月14日)暗殺される少し前まで暮らしていた京都三条の酢屋を訪問。


坂本龍馬に関わる建物が全て無くなっていく中で、材木商であった酢屋は土地建物の持ち主が今日まで変わらず維持されている。

勿論、 補強改修はされているが、基本は同じとのこと。

建物の2階の左手の窓の部屋で龍馬は暮らしていたとのことであり、この部屋の格子越しに高瀬川の舟入に向けてピストルの試し打ちをしたのは有名な話。


展示されている「龍馬遭難之記」を読むと、最初の10行ほどに当時の仔細が書かれている。龍馬と同じく襲撃されるが2日間生き延びた中岡慎太郎が述べ伝えたもの。


その2階の部屋に佇み、なんで暗殺されちまったのか?と詮無いことを思う。残念。






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薩長同盟を仲介し、船中八策を起案するなど新しい国作りに働いた坂本龍馬。

龍馬は、慶応3年10月14日に大政奉還がなった直後の10月末には福井藩に往き、同藩の財政再建を果たした三岡八郎に「新国家」の財政を取り仕切るよう要請し、新しい国作りに動いている。

そして11月5日に京都に戻るが、三条の酢屋も危なくなってきたということで、寓居を河原町通蛸薬師下がるの近江屋に移動。

11月10日には福井藩の重臣に向け「三岡の上京が一日先になると、新国家の家計(財政)の成立が一日先になる」と手紙を書き送っている。

そして運命の11月15日。

河原町通の近江屋跡の記念碑には気付く人も少ない。






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