これは、ブログ(72) 『信仰と祈り・・・“Jesus,the Way (イエス道)”から観る』(その14)からの続きです トップページ(バックナンバー)はこちらです
ブログ(73) 『信仰と祈り・・・“Jesus,the Way (イエス 道)”から観る』(その15)
できるだけ多くのメンバー(個性が違い、観る視点が異なり、能力も違い、存在している次元も異なるメンバー)に参加していただいた『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』の中で、事をなしていく場合、自分の私利私欲、自我に基づいた願望や欲望が自然と排除されていくのです。宇宙全体の調和をもたらしていくような形で、お互いにとって有利となるWin-Winの関係で、メンバーたちが働いていくことになっていくわけです。もちろん、私はこうしたい、このように描いている、こんなふうに具体的にやってみたいのだが・・・と、協力を要請すると、『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』のメンバーたちは、その時点で考えられる最善のエネルギーでサポートしてくれて、危険を回避する安全装置も自然と働いて、事を運んでいってくれるというわけです。
私が、この『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』を作動させるのに、自分がやっていきたい方向性、どのような結果を望んでいるか、どういうふうに未来を創造していきたいかなどについて、“今”自分が想っている考えを情報として出しても問題はないわけです。でも、気をつけなければならないことは、どのような方法でやるべきかとか、どのような結果をもたらすべきかとか、そのような結果を出すのは何時にすべきかなどについて、私は決めつけたり、限定したりしてはいけないということです。つまり、さばくことをしないということ、ジャッジしないということが大切なのです。言い換えれば、“今の”自分がまだ知らない選択肢というものが、無数にあるかも知れないということに気づくことが大切なのです。
他の人の人生が関わる場合もあるでしょう。このような場合は、何がその人にとって最善なのか、何時の時点でエネルギーを作用させるべきかは、“今の”私にはまだ観えていない可能性もありますので、この『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』に、私が自分の想いを投入した後は、どうなるのかな・・・と、心を澄ませてよ~く観ていくことが必要になってきます。自分が想い描いたことと違った結果になっても、受け入れていく心の広さ、器の大きさが必要なのです。ずーっと後になって、「振り返って観れば、なる程、やはりこれが最善だったんだ」と気づいていく時に、それはそれで自分の意識進化の上でもプラスになっていくわけです。
こんなふうにして、私がこの『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』をうまく機能させるための大前提となることは、私が“一切さばかない、ジャッジしない”ということなのす。つまり、“Jesus,the Way (イエス 道)”の中にあるアクセスキーこそが、『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』を起動させていくことを可能にしていくのです。
私は、“宗教”自体を否定するわけではありませんが、むしろ、“従来の宗教”を超えていった先にある“超宗教”を観ているわけです。“宗教”は、どちらかというと、人が進化していくことの必要性を認めないで、ただ神仏に依存していく、神仏に寄り頼んでいくというような“困った時の神頼み的な”ニュアンスがあるように想えてならないのです。
神仏、神々、宇宙に存在している様々な意識、様々な次元に存在している意識、唯一無二の存在などと、肉体を持った人が互いに持っている個性、能力の違い、役割の違い、エネルギーに違い、観る視点の違いというものをさばかずに、むしろ、そのような違いは違いとしてあるがまま認めていった上で、互いに協力し合っていく、協調していく、助け合っていく、補い合っていく、調和して事を進めていく、宇宙全体の調和をもたらすような方向で未来を創造していく・・・このような意識をもって『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』の参加メンバーたちと一緒に繋がって、互いにサポートし合いながら働いていくことが重要なのではないかと、私は想っているわけです。自らの意識進化も勧めながら、『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』の参加メンバーたちと協調して、調和して、想いを一つにして事を成していく、未来を創造していくことで、お互いがすべての創造の源の源(=創造の究極の存在)に向かっていく方向で、進化を遂げていくのではないかと想うのです。その先で造り上げられていく世界というのは、善と悪に分極していない“全一の世界”、互いに一切さばくことがなく、それぞれの違った個性をもった者同士が、争うこともなく、戦うこともなく、互いに認め合い、互いの尊敬し合い、助け合い、力を分け合い、エネルギーを提供し合いながら、限りなく進化成長していき、一丸となって、より良い世界というものを創造し、具現化していくという未来というものがあるのではないか。
ところで、ある時に私が桜井識子さんの書かれた本を観ていて、よし、この『唯一無二という絶対的な存在』というものも、私が構築した『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』のメンバーの一員に加わっていただこうかなと想って、これまでのメンバーたちと交渉したのと同じ要領で、自分の指を用いたオーリングメンターなるものを使って交渉を試みたことがありました。すると、答えはなんと「ノー」でした。どうもこの『唯一無二という絶対的な存在』は、このような宇宙ネットワークに組み込めるようなレベルの存在ではなかったようなのです。今までのメンバーたちとは、別格の存在、はるかに超越している存在のように、私には想えました。
桜井識子さんも、ご自身の『ひっそりとスピリチュアルしています』という本の中で、この唯一無二の絶対神について、「神は人間の形をしているのではなく、空や大地や空気のように、どこにでも偏在していて、すべての生物の面倒を見、愛情を注いでいます。・・・神は、宇宙の法則であり、愛そのものであり、宇宙のすべて、なのだと思います。ですので、神道でいう神様、仏教でいう仏様は、厳密には『高級霊』もしくは人間に転生したことがない『高級自然霊』です。日本語で神という文字がかぶるので、それまでよくわからなかったのですが、神社の神様と、唯一無二の絶対神は、まったく別の存在である、ということをこの時に悟りました。」(P.250)と書いてあります。
つまり、私が構築した『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』の中にたとえ組み込むことができなくても、この『唯一無二という絶対的な存在』というのは、いかなるものにも拘束されることなく、自由に想いのままにどこにも偏在可能な存在なのであって、もし私が“一切さばかない、ジャッジしない”という寛容の愛と調和しながら事をなそうとするならば、『唯一無二という絶対的な存在』は『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』から超越した存在として、たとえこの宇宙ネットワークとの直接接続の契約を取り交わしていなくても、いつでも必要なサポートし、助けてくれる用意があるんだ・・・というふうに私は、この時に直観しました(マタイによる福音書6章8節、12節、14節を参照)。同様に、この『唯一無二という絶対的な存在』は、“宗教という枠組み”をも超越している存在であり、どの宗教の人にも、また無宗教の人にも等しく愛情を注いでおられるのではないか・・・、そして、“さばかない心”で『唯一無二という絶対的な存在』に澄んだ心で真摯に助けを求める者には、たとえその人が現在何を信仰していようとも、喜んで助けて下さる存在なのではないか(マタイによる福音書5章45節を参照)・・・そんなふうにも私は感じ取りました。
(11月24日月曜日9:19に更新)
「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」(マタイによる福音書6章11節)
ところで、イエスが語られた『主の祈り』の中で、この箇所についてはまだ説明していませんでした。今回は、これについての私の見解を述べてみたいと想います。これは、直接的には、人の肉体を養う食物が与えられることを神に祈るということであると想います。
でも、この聖句を観る時に、イエスが語った以下の言葉に私の想いは向いていくのです。
「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。」(ヨハネによる福音書4章34節)
さらに、以下のイエスの言葉も、とても意味深なものです。
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである。」(マタイによる福音書4章4節)
確かに、私たちの“肉体に栄養を与える食物”を神に祈り求めることは大切なことです。でもそれ以上に大切なことが実はあるのだ・・・と、イエスはここで教えておられるわけです。それは、目に見えない食物の存在です。つまり、不可視領域に属する栄養です。イエスがここで言っている『私の食物』=『神の口から出る一つ一つの言』というわけです。聖書を観ると、言によってこの世界が創造されたと記されているので(ヘブル人への手紙11章3節)、これは神から供給される創造のエネルギーであることがわかります。この重要性を認めて、私わちが神に日々の食物を祈り求めると共に、さらに私たちの命を根底から支え、この世における私たちの人生をより豊かなものにしていくため(ヨハネによる福音書10章10節を参照)、新たな未来を創造していくための“エネルギー”も神に求めていく重要性と必要性を私は主の祈りのこの言葉の中に観るわけです。
現在、私が構築している『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』というのは、まさに、高次元の様々な存在(or意識)から、このような様々なエネルギーを調達していくためのシステム、手段、あるいは、ノウハウというべきものなのです。
参考までに、私独自の『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』について、これからさらに詳しく説明していきたいと想います。
この『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』を理解していくために、まず、人の“肉体という器”を一種のコンピューターのようなものと想って下さると分かりやすいかも知れません。私たち人類というのは、実にユニークな存在であり、唯一無二の存在や神仏や神々と違っている点というのは、肉体を持っているということです。従って、このような物質化された肉体を持たない“意識体としてのみ存在しているもの”には、“出来ないこと”が人には可能になってくるというわけです。それは何かというと、“いろいろな次元の存在”をこの物質化された肉体に宿すということができるということである・・・と言われています。
従って、私が構築した『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』というのは、私の“肉体というコンピューター”の中でのみ作動するシステムと言えます。この“コンピューター”の最も大切な心臓部である“CPU”に対応するものは何かというと、聖書的に言えば私自身の「内なる光」(マタイによる福音書6章23節)ということになると想います。でも、私がその後いろいろと独自に調べていったところ、その“CPU”に対応するものというのは、私の「内なる光」だけで成り立っているということではなく、それも含めて合計6つのものから成り立っていることが分かりました。さらに、その後に3つほど追加となって、現在では合計9つのもので構成されているということで落ち着いています。もちろん。この数というのは、人によって異なってくるのではないかと想います。
そして、私のこの“肉体コンピューター”を起動させることによって、エネルギーや情報の調達が可能となる接続先というのは、現時点において約164名の存在(or意識)というわけです。これは“宇宙規模のネットワーク”、あるいは、“多次元の世界”を含めたネットワークになるかと想います。この接続先の数は、今後、さらに増えていくことになると想います。
ところで、この『ハイスペックなハイパー宇宙ネットワーク』が、これらの『164名ほどの存在や意識』とうまく接続orコンタクトしていために、とりわけ重要になってくることは、一体、何であると皆さんは想いますか? ここで、ちょっと考えてみて下さい。
(11月24日月曜日夜に更新)
人の“肉体という器というコンピューター”と『高次元の存在や意識たち』をオンラインで結びつけていくもの、すなわち、常時接続していくものは、人の“想い”を通してです。イエスが語った『主の祈り』の中に、実は、それに関する重要なヒントがあります。そのヒントというのは、人が“ゆるす”ことがその接続を可能にし、人が“ゆるさない”ことがその接続を遮断してしまうということです(マタイによる福音書6章9節~15節を参照)。言いかえれば、“ゆるす”=“さばかない”、“ゆるさない”=“さばく”ということです。
新約聖書のコロサイ人への手紙3章12節~14節を観ると、「・・・寛容を身に着けなさい。互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。・・・愛は、すべてを結ぶ帯である」と記されています。
これから観ていくと、“寛容という愛”=“ゆるす(あるがまま認めて受容していくということ)”=“さばかない”ということであり、“寛容という愛からの逸脱”=“ゆるさない”=“さばく”ということであることがわかります。実は、ここに『高次元の存在や意識たち』と常時接続していくコツがあるわけです。つまり、“寛容という愛”と調和した“人の想い”こそが『高次元の存在や意識たち』に自由にアクセスできる常時接続を可能にとし、相互理解に基づいた、情報とエネルギーの生きた交流が生まれていくというわけです。
独りよがりの考えを押し通そうとするのではなく、自分が正しいと思い込んでいる“正論”と違うからといって、他の存在を拒絶したり、排斥したり、敵意を抱いたり、責めたり、憎んだり・・・するのではなく、違いは違いとして認め、心に受け留めていった上で、さらにそれと並行して、自らの心の目の“梁”を取り除いていくことにも精進していく、自分という器と度量をますます大きくしていく、『井の中の蛙』にならないように新たな情報を精力的に収集して、整理し、解析して、まとめ上げて活用していってみる・・・そのようなスタンスをもって、『高次元の存在や意識たち』と付き合っていくことがとても重要なことになってくるのではないか・・・と、私は想うのです。(11月25日火曜日夜に更新)
・・・・・・ブログ(74) 『信仰と祈り・・・“Jesus,the Way (イエス 道)”から観る』(その16)に続いてます・・・
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