キリスト教の旧約聖書を概観すると、子育ての不調や失敗と思われる記事の連続であることがわかる。人類の祖であるアダムとイブの初子カインは弟アベルをねたみから殺してしまう。アブラハムの子イサクとその妻のリべかは偏愛により双子の兄弟であるエサウとヤコブの間に大きな諍いの種を作ってしまう。 そのヤコブは、子宝に恵まれたがやはり偏愛が原因で兄弟間に大きな諍が起こってしまう。神の祝福により羊飼いからイスラエルの王にまでなったダビデでさえ、我が子の非道な行いに苦しみ、最後は敵として争うことになってしまう。
聖書は、子育ての失敗というような描かれ方はしていないが、実にリアルに親の限界や子が別人格であることを明らかにしている。 そしてそんな失敗したと思われる子育ての結果も時として祝福の種として替えてくれる神の愛が描かれている。 養育者は時として、この神の愛を信じて子育てするしかないように思える。
時々、神様が人にも子育ての本能を与えてくれたらと思う時がある。