70の瞳

笑いあり涙あり、36人の子どもたちが生活する児童養護施設「さんあい」の出来事や子どもと職員の声をお聞きください。

ママって何?

2018-04-20 11:12:55 | 愛すべき子どもたち

年少男児のFちゃんは、家庭の事情でまだオムツがとれない時にさんあいに来た。それから約2年が経過し久しぶりにお母さんと再会したのだった。 再会前日には、「明日ママに会うんだ。」とニコニコと自慢しながら職員に話していた。 でも再会の当日は、本人は「ママ」の顔を忘れているようだし、「ママ」自身もヨチヨチ歩きの頃と成長したFちゃんを簡単には重ねられない。2人の間には微妙な距離があったようだった。

園に帰って来たFちゃんに、ママに会った感想を聞くと、「全然良くなかった、全然良くなかった!」の一点張り。 どうもFちゃんの中では、「ママ」の存在が腑に落ちていないらしい。つまり自分を産んでくれた唯一無二の存在という意識が、関係を断たれた2年の間に醸成されなかったようなのだ。 お大人の想像だが、Fちゃんの中では、「ママという人にあったらオモチャをもらえる、美味しい物を食べられる。」と期待していたが、実際はただの事務室での面会だった。Fちゃんは感動しようにも感動できないようだった。

里親のもとで暮らしている小3男児のSちゃんは、育ててくれているお母さんが、自分のお母さんでないことは認識しているようだった。 ある時期に里親家庭の親戚のお姉さんが赤ちゃんを宿し、Sちゃんは里親のお母さんと定期的にお姉さんのお家におじゃまして、だんだんお腹が大きくなる様子、そしてそこから赤ちゃんが生まれたことを身近な出来事として体験したのだった。 Sちゃんは、里親のお母さんに感動して言った、僕もこうやってママから生まれたんだ、僕にもママがいるんだ。 Sちゃんはこんな出来事を通して、産んでくれたママの存在を理解したのだった。

平たい言葉で言ってしまえば、家庭に恵まれない子どもたちが暮らしているのが児童養護施設だ。そして被虐待児の入所割合は、全国的には7割に及ぶといわれている。 施設では児童相談所と連携して子どもたちが、大きくなって「生んでくれて、ありがとう」と言える生い立ちの整理(ライフストーリーワーク)の支援をしている。

親や家庭環境を否定するのではなく、自分の誕生や成長の過程で親を含めて多くの人が親身になり大切にして関わってくれたことを写真や手紙などをそろえて整理して行くのだ。 「生んでくれて、ありがとう」という気持ちには、自分自身の存在への肯定感が込められている。被虐待児を含むすべての子どもたちにの心身の成長にはこの肯定感が絶対に欠かせないのだ。

 

オモチャは楽しい、でも自身の存在の肯定感は育たない。喧嘩してもまわりの人との関わりが必要なんだよね。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿