ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

小さすぎる主権者教育

2015-03-31 08:05:12 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「主権者教育」3月26日
 『身近な選挙も大事 「18歳」責任と困惑』という見出しの記事が掲載されました。統一地方選を控え、選挙権を18歳に引き下げることとのかかわりの中で、高校生の政治意識を探る記事です。記事の中では、「関心派」と「無関心派」に分けて高校生たちの生の声が集められていました。
 関心派として、『中高生が海外留学できる機会をもっと増やすよう、幅広く公的支援する制度の導入など、投票を通じて若い世代の考えを政治に反映させたい』、『「鉄道のプリペイドカードは、1000円単位でなく、500円単位でチャージできるようにしてほしい。小遣いの少ない中高生の願いだ」と訴えたら議員が受け止めてくれた。日常の困りごとが政治につながると実感した』という声が取り上げられていました。
 おそらく紙面には掲載されない「声」も多かったことと思います。つまり、紙面に掲載されたこれらの「声」は、政治に関心をもっている高校生として「代表的」な存在として取捨選択された結果残ったものだということです。もっと直截に言えば、新聞社なり記者が、高校生の政治への関心のもち方として、好ましい、望ましいと評価した内容だということです。
 現在、選挙権に引き下げに伴って、「主権者教育」の充実が叫ばれています。その内容も、今回の紙面に掲載されたような自分たちにとって身近で切実な問題から政治にアプローチするという発想が主流となっています。しかし私は、そうした考え方には賛成できません。
 「身近な」という発想だけでは、大きな問題、例えば、エネルギー政策における原発の問題、地球環境破壊と温暖化の問題、外交や国防問題、憲法改正など国の形に関わる問題、財政再建や社会保障改革など長いスパンで考える必要がある問題、同性婚・夫婦別姓など多様な考え方が激突する問題、TPPなど国内で利害が対立する問題などについては、自分には関係ない、分からないから棄権しようという安易な行動につながってしまうと考えるからです。
 私は若者が棄権をせず、主権者としての責任を果たすために投票に前向きになるようにするためには、もっと基本的な学習が必要だと思います。民主主義国家における選挙の意義、普通選挙実現への歩みと先人の苦労、他国における選挙の実際、歴史の節目における投票結果と国の進路選択などです。こうした学習を深めていかなければ、沖縄の普天間移設問題も、川内原発再稼働の問題も、一票の平等問題も、「分かんない」「関係ない」と切り捨てられていってしまうように思うのです。
 我が国だけのことではないのですが、私は、国会議員が国家の全体利益よりも地元のことを考える体質は民主主義の構造的な欠陥だと考えています。それは、主権者たる国民が、国会議員を地元の代表、即ち「身近な」問題の解決者と考えていることが大きな原因だと考えています。だからこそ、真の「主権者教育」は、大きな問題に目を向けさせる者でなければならないと思うのです。小さくまとまってしまってはいけないのです。

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