ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

分かったつもり

2017-01-16 08:02:47 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「原因は一つ?」1月6日
 客員編集委員西川恵氏が、『差異無視する誤り』という表題でコラムを書かれていました。その中で西川氏は、英国のEU離脱とトランプ氏勝利について、反グローバリズム、大衆迎合主義、反エリート主義などのキーワードで解説する風潮に異を唱え、『エリートへの反発、格差拡大への不満など通底する部分もある。要は一見同質なものと思える事象も、同じ部分、違う部分を丁寧に腑分けして見ていく必要がある。なぜかというと、ものごとを単純化するすることで本質を見逃してしまう可能性。もう一つは、言葉が独り歩きするリスクである』と主張なさっています。
 その通りだと思います。何でも解決できる万能の鍵のように、使い古されたキーワードを使って分かったような気になる、というのは人間の属性です。分からないままでは気持ちが悪いし、とことん突き詰めて考えるのは疲れるし、それだけの能力もない、でも自分がバカだと認めるのは不快だというわけで、単純なキーワードに飛びついてしまうのです。
 私は同じ構図を、教委改革についても感じていました。いじめ自殺という事件が起きると十分な対応が出来なかった教委が批判されます。教員の不祥事が起きると管理不足ということで教委に苦情が殺到します。学力低下に適切な対応が出来ないと教委の無能が指弾されます。当然だと思います。しかし、その原因は、非常勤である教育委員では対応が出来ないことであるとし、民意の委託を得、常勤の首長が教育行政を主導するようになれば、ほとんどの問題は解決するという単純化の結果が、今回の教委改革の根底にあったと考えるからです。
 しかし、そうした考え方には、教委制度に対する基本的な理解が欠けています。いじめ防止策の立案・実施も、不幸にして起こってしまったいじめ自殺の調査も、教員の指導・管理も、学習指導の改善も、すべて教育委員の仕事ではないのです。それは、教育委員会事務局の仕事なのです。当たり前ではありませんか。授業をしたこともなければ、学級経営も、生活指導も、部活の指導もしたことがない教育委員が、効果的な施策を立案したり、具体的な対応を指導したり出来ないことは。
 教委制度とは、学校教育については「素人」だけど市民の代表として、常識的な感覚と知性をもった委員が、玄人集団である事務局の、玄人だからこその視野の狭さや独善的発想を正していくというシステムなのです。ですからむしろ必要だったのは、玄人集団であるはずの事務局の能力不足を改善することだったはずです。
 そのための、職員の採用や配置、職員の能力向上研修、警察や医師など他分野の専門家との連携システム、独自の調査機関の設置などが検討されるべきだったのです。しかし、今回の改革では、そうした実効性のある策は採用されませんでした。
 今、社会全体に辛抱強さが不足し、一刀両断の大鉈を振るう強い指導者が歓迎される風潮があります。だからこそ、そうした時流に警鐘を鳴らし、問題一つ一つについて根気強く原因を突き止め、対策を考えていく姿勢が必要なのだと思います。学校教育も例外ではありません。

 

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