ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

代替物は

2018-07-18 08:25:36 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「代わるものは」7月6日
 特集ワイドは、『ドイツ評論家ガブリエルさんが語る 広がる「21世紀型ファシズム」』でした。その中に『スピード社会が我々を壊す』という小見出しがつけられた段落がありました。
 そこでガブリエル氏は、『だからスマートフォンがはやるのです。抗うつ剤のようなものです。地下鉄でもどこでも指先を動かすのは、内省から逃げている。精神が自分を食い尽くそうとするのを必死に防いでいる。スマホに没頭することで、鬱と戦っているのです。もしスマホがなければ人々は即座に鬱になる』と語っています。ガブリエル氏の意図を正確に解釈するのは難しい言い回しです。
 私は、現代人の多くが、スマホの中に現実逃避することで精神の安定を保っている、という意味に解釈しました。スマホを取り上げられたことでカッとし、親を殺そうとしたという事件が報じられたことがありましたが、その若者は、自分が存在できる世界がなくなるという恐怖に逆上したのかもしれないと思いました。
 学校においても、スマホの扱いについて試行錯誤が続いています。スマホ使用頻度と学力低下について、その相関性を指摘する研究が発表されたり、夜間遅くまで使用する子供の健康問題に焦点が当てられたりしています。そうした状況を受け、規則で制限したり、家庭ごとにルールを決めることの有効性が議論されています。
 しかしそれらは、あくまでも学習や生活習慣における問題点への対処という発想でした。もし、ガブリエル氏の指摘が正鵠を射ていたとしたら、従来とは全く異なる発想の対策が求められることになります。校則に拠るにしろ、家庭のルールに拠るにしろ、スマホに触れる時間を減らすこと=善という考え方に基づいていますが、ガブリエル氏によれば、スマホを制限すると、鬱など精神が蝕まれるようになるというのですから。
 つまり、単にスマホ使用を抑えるだけではなく、その分のすき間を埋める何かを子供たちに提供する必要があるということです。できれば、自分の内部を見つめ直し、自分自身をメタ認知出来るような時間と行為であれば望ましい何かを。
 読書でしょうか。静かな環境で行う「瞑想」のようなものでしょうか。日記などの文章による感情の表出による自己内対話でしょうか。無心になって体を動かす作務のようなものでしょうか。これらは既に一部の学校において、特色ある教育活動という名の下に行われているものです。
 ここまで書いてきて、何だか先日元幹部の死刑の執行が行われ久しぶりに注目を浴びた「オウム真理教」を連想してしまいました。どうも私の中にはこうした「もの」に対する嫌悪感があるようです。同じような感覚の方は少なくないのではないでしょうか。それだけに、公教育に於いて、スマホに代わる代替物を見つけるのは難しいのかもしれませんが、近い将来、本当に具体的な問題として浮上するような予感がします。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中途半端は危険 | トップ | 悪いのはその人 »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事