理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

就活を通して考えたSNSの限界 - テキストベースの時代は終わる

はじめに

 この前、初めて出したエントリーシートが関門を通過しました。一次面接のお知らせが来たのです。記念すべき第一歩です。

 それで、Twitterでつぶやきたくなったのです。「初めてES通ったぜー」みたいなテンションで。だけど、就活関連のツイートは周りの就活生のために控えた方がいいですよね。実際他の人がそれをやっていたら僕はそいつをしばらくミュートしてしまうかもしれませんし、仲の良い友達がやったとしてもイラッと来るのを禁じ得ない気がします。だから研究室の先輩にちょっと話して、気分を沈めたわけです。

この世界は不毛だ

 SNSを見ているときに不愉快に感じる投稿は、「そんなこと書く必要あるか?」という気持ちにさせるものであると僕は思います。「ESが通った」「友達とディズニーランドに行った」「腹が減った」などなど。

 でも、ちょっと落ち着きましょう。SNSの投稿に「必要」も「不必要」もないわけですよね?何を書いてもいいのですから。では、いったいなぜそんな感情を持ってしまうのでしょうか。冷静に考えると自分でもわけがわからない。

 この辺なんですよ。僕がテキストベースのSNSに限界を感じているところは。SNSのアプリを開いて、他人の就活の進捗が表示される。そんなことをここに投稿する必要あるか?ってイライラする。この一連の流れ、全部いらない。不毛の一言。

文字である必要はないだろう

 じゃあ何が好きでこんなことを毎日続けているんだっていうと、結局人とつながっている感覚が得られるからなのかなと思います。アプリを開けばみんながそこにいるかのような錯覚を得られる。なにか投稿すれば反応があって嬉しいというのも、結局はみんながそこにいることを教えてくれるからなのでしょう。

 だから、この繋がりを感じさせる機能だけを洗練させていけばいいのであって、文字に頼る必要はなくなってくるのかなと。僕は通信ネットワークを研究してますが、インターネットを流すことのできる情報量はまだまだ増えます。研究者がしのぎを削って研究していますから。そうすると、文字ベースじゃなくて画像ベースでもいいわけで、最後はリアルタイムな動画通信でも良くなってくるんじゃないかなと思います。アプリを開くと、みんながいる。タイムラインの形ではなくて、リアルな表情がそこにある。そんな風になっていく可能性もあるんじゃないかなって思いました。

 もちろん、それは何十年か先の話であって、凡人の僕が予想した未来など決して当たるわけもないとは思うのですが、こんな感じでSNSの限界を、ありきたりな切り口で語ってしまう程度にはSNSに疲れてきたのかなと思ってます。もしくは、もはや就活に疲れてきたのか。さてはて。

 

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