新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

高校サッカー決勝戦観戦記

2018-01-09 08:43:56 | コラム
前橋育英が勝って良かったが:

このところフットボールだのラグビーだのサッカーなどの観戦記ばかりで、一向に世の中を論じていないと反省はしている。恐らく昨日で全国大会の類いが終わったと思うので、本日の高校サッカーの決勝戦を論ずるので最後になると思う。ここでは「高校の指導者たちの理念」採り上げてみたい。

正直なところ、流通経済大学柏高には勝って貰いたくないと思っていた。それは、決勝戦に来るまでの間にアナウンサーも解説者も褒め称えていたが、私にはあの単なる蹴り合いだけとしか見えないサッカーの何処が良いのかサッパリ解らなかったのだった。いや、簡単に言えば私には「余りに能がない単純な古き良き時代に流行っていた『キックアンドラッシュ』の質の低い現代版」のようにしか見えなかったのだったのだから。

因みに、今を去ること60年も前のキックアンドラッシュ戦法では、最前線に素晴らしい俊足のFW、それも往年はWingと呼ばれた者が両端にいて「遙か前方に蹴り込まれたパスをバックスと競り合って追い抜いてシュートにまで持っていく」という単純明快な戦法だった。当時はそれを「ドッグレース」などと呼んでいた。

一方に前橋育英のサッカーは遙かに理論的で正攻法でパスを回して、綺麗な形で流れの中で点を取っていくサッカーで、私の好むスタイルだったのである。準決勝戦で5点を取ってしまった形が維持できれば、あの流径大柏との蹴り合いに巻き込まれなければ、育英に勝機が訪れると予測していた。

しかしながら、昨日は同時刻に東海大仰星対大阪桐蔭のラグビーの決勝戦が始まっていたので、そっちの成り行きも気懸かりで何度も繰り返してチャンネルを変えていた。幸いにしてラグビーは試合時間が短いので先に終わってくれたので、サッカーに集中できるようになった。矢張り、育英は流径大柏との蹴り合いに多少巻き込まれていた為に、後半のアデイショナル・タイムとやらまでに点が取れずに終わった。

目出度く育英が勝ったのは良かったのだが、この決勝戦には考えさせられる点が多々あった。それは、育英の言わば完成したかのようなパスサッカーは見事だが、問題は同じ監督さんが30数年も教えておられることが良いことかという問題にぶつかるのだ。即ち、高校の段階である程度以上纏まったサッカーをする高校生を育てられた為に(だと思うが)この学校からはJリーグや大学等で名を為して日本代表に選ばれてくる者が少ないのだ。

正直なところ、流径大柏のような荒削りな高校生を育成した場合に、上に行ってどれほど成長する「伸びしろ」が残っているかは知らないが、先日見る機会があった流通経済大学のサッカーも、依然として蹴り合いの域を出ておらず、あれでは日本代表にまでは選ばれる者は出ないだろうと思わせてくれた。

私が言いたいことは「高校の指導者の方々が何を、何処を目指して高校生を育てておられるのか」という問題である。高校で全国制覇を目指して日々これ精進するのもその子供たちの将来にとってまたとない経験となり、将来大いに役に立つことは自分の経験でも解っている。でも、「その勝ちたいという一点の為に小さく纏めた高校生を育ててどうする」とも言えるのではないか。

「いや、高校サッカーはJリーグの下部組織ではない、俺は俺で自分が立てた目標の全国制覇を目指す」と言われれば、それも立派な指導者の理念だろう。であれば、全日本代表入りを目指す者たちはJリーグの下部組織にお任せすれば良いと思う。

私は元日大高校フットボール部監督だった故清水之男の言われたことが忘れられない。「日大高校は日本大学フェニックスの篠竹監督の下で使えるようになる人材の育成を目指している。必ずしも高校フットボールの全国制覇を目指す為の育て方はしないとご理解願いたい」と親たちに向かって断言された。私はこれも高校の指導者としての優れた信念であると認識している。

将来、前橋育英高校と流通経済大学柏高の何れから全日本代表メンバーに選ばれる者が出てくるかを見守っていようではないか。



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