新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

あらためてカタカナ語排斥論者は言う

2017-05-30 14:29:23 | コラム
カタカナ語をどうお使いになろうと私の関知するところではない:

私が「カタカナ語」の排斥論を展開するようになったのは1990年の春頃からだった。当時は紙パルプ産業界の専門誌に連載の機会を与えられていたエッセーの中で唱えだしたので、言わば単発だった。しかし、時が経つにつれて本格的に論じるようになり、1995年辺りから色々と反論や批判するご意見も頂戴するようになってきた。有り難いことだたと感謝申し上げている。

カタカナ語と一口に言っても、その種類は私が分類したように数多くあるのだ。ざっと並べてみれば「和製英語=造語」、「ローマ字式発音または恣意的な読み方による」、「言葉の誤用か借用」、「合成語」等々である。これらは何度も取り上げたので、読まれた方もおられると思っている。最終的には約200語で、A4版で17ページほどになっていただろうか。

私はこのようにカタカナ語を批判して排斥してきた。だが、当初から「既に日本語として戸籍を取っていたり、住民登録も済んでいる言葉は数多くあるので、それらをお使いになることを妨げる気など毛頭ない。但し、カタカナ語の99%は元の英語あるいは真似た英語とは異なる言葉であるから、間違っても英語だなどと思って『英会話』の中などにお使いにならないように」と言ってきた。だが、その批判と非難の仕方が厳しかった為か、全否定しているかの如くに受け止めておられる方がおられるのも間違いない。

付け加えておけば、私は日本人間の会話に英語の単語を英語の通りに発音して使うことは批判したり排斥してきた。どうしても使わねばならない時は、チャンとした?カタカナ語の発音にしている。だが、文章の中では極力カタカナ語の使用を避けて言うし、同じ意味の感じの熟語なり何なりを使っている。または最も忌み嫌っているsecurityやmajorなどは、英語の単語野間まで使うこともある。

但し、新たに現れた言葉のような場合には、遠慮会釈なく何処かの通信社を槍玉に挙げて批判してきた。最近では誰がどう読んでも「コウミー」か最悪でも「コーミー」としかなり得ない”Comey”(前FBI長官の名字)という人名を「コミー」としたのは罵った。プレミアム・フライデーも批判した「作者は英和辞書も持ち合わせもないのか」と言って。

私がカタカナ語を批判する理由の一つには「小学校3年から英語を教えて将来の国際人を養成する」などと戯けたことを言うのならば、先ずはカタカナ語の整理を考えるべきだという点がある。それは「我が国の英語教育が如何に至らないかを物語るような奇妙なカタカナ語が街に溢れていること」も非難しているのだ。

例えば「リニュウアルオープン」だの「グランドオープン」などが示すように「どのように英文法を教えれば、こんなカタカナ語が作れるのか」なのだ。カタカナ語ではないが「本日閉店」を”close”とした札を下げている店が多過ぎるとは思わないか。「学校は何を教えているのか」ではないか。

カタカナ語に内在されたもう一つの問題点は「英語の文法には日本語のそれにはない単数と複数の観念や、未来形・現在形・過去形があるにも拘わらず、カタカナ語化する過程で全ての”s”や過去形等を放棄してしまったことだ。私は何度か「アメリカやUKでは、英文法を誤ることは一定以上の階層では無知か無教養と見做して相手にしないという厳しさがある」と説いてきた。だが、カタカナ語の創造者はその点の知識が皆無だったのは遺憾である。

これ以上論じたらキリがないのでこの辺りに止めるが、英語とは我が国とは文化も思考体系も異なる国の言葉である以上、我々が慣れ親しんでいる日本語の感覚で処理するのは誠に適切ではないのだと、改めて強調しておきたい。更に重ねて言えば「カタカナ語を如何に恣意的に使われようと私が関知したことではないのであり、貴方がお使いの言葉は日本語であって英語ではない」なのである。



1 コメント

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Unknown (北極熊)
2017-05-30 16:42:31
カタカナ語というか、英単語を日本語の中に混ぜて使うのは、英語のままのニュアンスで話したいと言う理由があるのだと、私もある頃まで思っていたが、聞き手がそれなりに英語を使える人に限るわけで、多くの人はそれを分かっていないでいるので、変にかっこつけてるとか思われるんだろう。 

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