新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月29日 その2 我が国の市場の価値と力が評価されていた

2017-06-29 14:44:26 | コラム
嘗ては世界最大の製紙会社が日本市場を高く評価していた:

先日の「電子計算機の進歩と発展」の言わば続編である。世界最大の紙パルプ会社の地位を長年維持し続けているアメリカのInternational Paper(IP)は、我がWeyerhaeuserとGeorgia Pacific(GP)と共に、常にアメリカの三大メーカーの座を占めていた。これらの3社が常に1~3位を争っていたということだ。残念ながらGPは早い時点で紙パルプ事業から撤退し、我が社も昨年の9月で撤退が終わっていた。

そのIPが1990年代にその歴史ある日本支社と言うか、我が国の規制では法的に東京営業所となる事務所を縮小すると決定し(現地法人はIP Japanという会社になっていたが、営業所では商行為の当事者になることを許さないのが我が国の規制)その支社をIP Asiaの下部組織とすることとし、少人数の事務所にしてしまった。我々の認識では、東南アジア市場は将来性こそあれ、我が国と比べものにならない小規模な未開の地だった。私はIPの意図は簡単には理解できなかった。

ここで一寸解説をしておくと、IPは基本的にはアメリカの東海岸(ロッキー山脈の東側から大西洋まで)を主たる市場とする会社で、その主たる輸出市場は当然ながらヨーロッパだった。そして、日本市場にはそれなりの売り上げも歴史もあった日本進出の先駆者だった。だが、工場の立地条件からして日本には不向きで、西海岸を拠点とし太平洋沿岸の諸国を主たる市場とする我が社と比較すれば、売上高などは我が方の足下にも及ばなかった。何も偉そうに言う訳ではない。ごく当たり前のことだ。

そこで、私が知り得たIPが日本市場に規模を縮小しても拠点を残す理由は「日本市場ではコンピュータ関連の機器の進歩が早く、その上に海外から導入された新世代の機器を素早く使いこなすだけではなく日本式に進化させていく力が強いので、看過できない市場である。それだけに止まらず、ビジネス・フォーム(BF)と呼ぶ電算機関連の用紙の分野でも常に時代に先駆けた新製品を市場に送り込んでくる。故に、日本市場の動向を常に注意深く調査・研究しておく必要があり、その要員を残して置くことを決定した」となっていた。換言すれば、日本市場が持つ創造力というかR&Dの能力を高く評価していたのだった。

電算機関連の機器メーカーとしては、当時にはソニーであり、NECであり、東芝であり、富士通等だったかと記憶するし、現在の三井物産系の日本ユニシスや高千穂交易などが思い出される。情報用紙のメーカーは王子製紙(元の神崎製紙も入るだろう)、日本製紙、三菱製紙、富士写真フイルム(ノーカーボン紙)等々は目が離せないほど、常に時代を先取りした新製品を市場に送り込んでいた。

こういう歴史的な事実を思い出すにつけても、IPが我が国の市場に注目していたのは、決して謂われなきことではないのだ。更に言えば、1990年代末期ともなれば、既にアメリカの製紙業界の低迷が始まっていた頃である。いや、ICT化が著しく進み始め新聞用紙や印刷用紙の需要の減少が始まり、大手メーカーが対応策を打ち始めた頃だったかも知れないのだ。。

現にキャッシュレジスター用の感熱紙などは、アメリカ製品は我が国や欧州のメーカーのような高品質の薄手の紙が生産できずに、ドイツや中国からの輸入紙に頼ったどころか、何時の間にか輸入品に席巻された結果で、高率の関税でドイツ製品まで閉め出しまった。私は現在のアメリカ市場では何処の紙を使っているかなどは知らない。既に採り上げた回転寿司Hの席の番号を示す紙も感熱紙が使われていた。

このように、我が国では常に新規の需要分野での先進国なのだ。IPも既にアメリカ本土ではこういう紙を作る工場を残しておらず、GPも撤退し、我が社も木材会社に回帰してしまった現在では、この私の昔話は単なる回顧談になってしまうようで、今昔の感を免れない。今やAIの将棋ソフトの方が人よりも強い偉い時代となりつつある。日本市場は次に如何なる時代の変化が来るかを予言するのだろうか。



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