新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月18日 その2 「宮里藍が引退した」の補完

2017-09-18 17:40:15 | コラム
「宮里藍が引退した」を更に解説すれば:

今朝ほど論じたこの件を、私の意図をより良くご理解願いたくて、下記のように補完する次第。

私は12年前に彼女が渡米した際に「宮里藍は帰国せよ」と論じたし、2017年の今でも変わらずに指摘したかったことは「自分の仕事の上で担当した分野や、学校教育の課程で専門乃至は専攻した分野ではある程度のことは身に付いた自信があるとか、自分の英語力にはそれなりの自信が持てるだけ勉強したので、アメリカで実力を試したい」というような純真な動機でアメリカに渡ることが最善の策ではないと危惧するので、宮里藍を例に採り上げて「帰国せよ」と主張したのだった。

そういう意味は、私が在職中から唱えて来たし、W社本社の事業部で全員に集まって貰って「日米企業社会における文化と日米間の思考体系の違い」の90分間のプリゼンテーションを行ったのは、日頃近いと思いやすい日米間には、何時まで経っても文化の相違点が一向に理解も認識もされていない恨みがあると指摘したかったのである。

私の経験上では「お互いに人間である以上考え方も商いの仕方も、文化も文明も同じだろうし、何も細かいことまで配慮して語らなくても相互に理解し合えるはずだ」といったような安直な考え方がかなり日米両国の側に広まっていたと認識していた。お互いに自分たちの主張が中々理解されないような場面に遭遇して「何と言うことだ」と唾を吐きかけ合っているような行き違いの場面に何度も遭遇してきた。

そこにはアメリカ人の思考体系は「二進法」であり、常に「イエスかノーか」、「白か黒か決断せよ」、「買うのか買わないのか」と高飛車に迫ってくるような交渉を展開するのが普通である。彼らは「勝つか負けるか」しか考えていないのだから、「双方の提案を2で割って間を取る」とか「落としどころを探る」ような交渉をすることは、彼らのプレーブックには載っていないのだ。第一、日本まで来ている者に「妥協して良し」などという権限は頭から与えられていないのだ。

こういう思考体系の違いの他に、常日頃から私が書き記してきた「文化の違い」が厳然としてあるのだ。それだけでに止まらず、英語にしたところでそういう文化の違いが散りばめられた表現が一杯あるのだ。言葉遣いにも礼儀作法があることを、我が国の学校教育ではほとんど教えていないようだ。簡単な例を挙げれば「個人的というか、カタカナ語で言う『プライベートかプライバシーに当たること』を質問してはならない」という大原則もある。

それは、例を挙げれば、以前にも採り上げたテレ東の「Youは何しに日本へ」という番組で、レポーターが成田空港で捕まえた外国人に”Why did you come to Japan?”などといきなり尋ねるのは非礼なのである。要するに「余計なお世話」になるのだ。礼儀正しくすれば、先ず“May I ask you a question?”辺りから入って、“For what purpose did you visit Japan, this time?”当たりは最悪でも言うべきなのだ。

英語の講釈をするのがこの項の目的ではないので、これくらいにしておく。要するに、我が国からアメリカに渡る場合には「アメリカとは異文化の国であり、言葉にも平常では思ってもいなかった文化の違いがあるのだ」くらいの認識を持って出ていって欲しいということ。これは「逆もまた真なり」で、本社側には我が国に出張して来る者たちには「最低限、私が唱える『文化の違い論』を弁えてから来れば、何事もサプライズにもショックにもならないのだ」と諭していたのだった。



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