新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月20日 その3 カタカナ語排斥論者は憂い且つ嘆く

2017-10-20 16:43:01 | コラム
日本語を破壊しつつある恐るべきカタカナ語の氾濫:

本稿は昨年の10月18日に一度掲載したものだが、その後でもマスコミの世界で余りにカタカナ語濫用が続くので、それを加筆訂正して再度ご高覧に供したいと思うに到った次第。

レガシーって何:
これはカタカナ語排斥論者を憂鬱にさせてくれた現象である。昨16年に小池都知事の就任以降の流れだと思うが、「レガシー」という難しいというか文語的な言葉が凄まじい勢いで普及し始めて、独り歩きをしている。これが英語では“legacy”のことだとは解ったが、残念ながら私の英語力を以てしては(「しても」と言いたかった!)日常的な会話の中で使った記憶がない言葉である。それがスラスラと出てきてテレビでも新聞でも当たり前のようにオリンピック関連の施設について使われるようになったのだった。本当に恐れ入る我が国の学校における単語重視の英語教育の笑うに笑えない成果であると思う。

その意味をOxfordに尋ねると“money or property that is given to you by ~ when they die.”となっていた。「何方かが亡くなった後で貴方に与えられる金銭か資産」のことのようだ。ジーニアスには「(遺言によって譲られる)遺産(inheritance)、《一般に「相続財産」はheritage》」となっていた。次には「受けつがれたもの、名残、遺物」と出ていた。何となく違うんじゃないかなという気がする使われ方だが、最早誰も止められない形で普及したようだ。小池都知事に迎合しているかの如きマスメディアも情けないと非難したい。

このように目下猖獗を極めているカタカナ語を使った文章を戯れに作ってみたら、このようになった。

イベント」の「キーワード」は「チャレンジ」であり「リアル」に「インパクト」があって「パワー」を感じるので「シリアス」に「コメント」することもイメージすることも出来ない」というようなものになった。

恐らく、多くの方はこの例文の意味がお解りになるだろう。解ってしまうのは困ったことだと本気で考えている。近頃テレビ等に登場する輩や有識者風の先生方のご愛用のカタカナ語を冗談半分で使って作文してみるとこうなったのだ。これでは最早日本語ではないと、私は言いたいのだ。試みに漢字を使って日本語に焼き直してみれば「この催し物の鍵となる言葉は挑戦であり本当に衝撃的で勢いを感じるので、本気で論評することも何かを思い描くことも出来ない」辺りになるかと思う。

私が恐れ且つ嫌っていることは「何処まで漢字文化を避けるのかあるいは敬遠する気なのか」である。更に「英語の言葉を借用することで、漢字本来の意味を表現できていると思うのか」なのだ。だが、それだけではなく、恐らく彼ら借用語崇拝者どもは最早漢字文化について行けないので、格好を付ける為に、習い覚えさせられた(自発的に習い覚えたのではないと敢えて断じる)英語の単語の意味の一部だけを取りだして代替しているに過ぎないのではないのか。その意味を取り違えないで使われていれば未だ救いがあるが、誤解か誤認識している例が多いのが宜しくないのだ。

このままに推移すれば、私が危惧するところは「漢字文化を排除して全てハングルに置き換えてしまった韓国にも似たことになりはしないか」である。真似るべきことでは絶対にないと思うが、現実はその方向に進んでいるではないか。

死語と化しつつある漢字の熟語:
テレビでおかしなカタカナ語を濫用すると「耳から入る言葉の影響力は読むよりも強烈だ」「という私の持論が現実となりつつあり、最早「催し物」という熟語は死語と化し「イベント」にされた、「挑戦」も「チャレンジ」に置き換えられた。ここには採り上げなかったが、松坂大輔が使い始めた「リベンジ」も「仕返し」を消し去ってしまう猛威を振るっている。「思い描く」は「イメージする」にされてしまった。「パワー」も困ったもので「身体能力に優れ、力があること」を全てこれで置き換えてしまった。Oxfordに始めに出て来るのは“the ability to control people or things”とあるし、次でも”political control of a country or an area”であるに拘わらず。

「シリアス」という表記も細かいことを言えば困ったもので、発音記号を見るまでもなく「シアリアス」と表記する方が原語に近いのだが、例によって例の如くにローマ字読み式に準拠してしておかしな表記にしてしまった。何処かに英和辞書すら持っていない通信社が何かがいたのだろうと疑っている。因みに、Oxfordを見ると、いきなり出てくるのは“bad or dangerous”で、次が“needing to be thought about carefully; not only for pleasure”と出てきて、間違った言葉を引いたかの感すらある。

英語での日常会話では“Are you serious?”などと言えば「君は本気かい?」という意味になるのだが、「シリアス」は「深刻」という意味で使われているようだ。

兎に角、ここで声を大にしていいたいことは「単語帳的知識で英語の言葉を漢字の熟語の代わりに、格好付けて使うのを好い加減に止めろ」なのである。こんなことを続けていれば、我が国の漢字文化を破壊するだけではなく、国語自体を訳の解らない代物にしてしまうだろうと危惧する。その結果で英語に訳そうとしても意味を為さない言葉にしてしまいかねないとシリアスに案じているのだ。また、おかしなカタカナ語を読んだり聞いたりする方たちも、解ったように気分になっては貰いたくない。言葉が誤用され日本語を破壊していると認識して欲しいのだ。



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