そんなコンセプトのもと生まれた、
読むだけで人生が楽しく思えてくるかもしれないお話。
『ハッピー・バロメーター』
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(⇒昨日の続き)
「すみません、遅れちゃって」
僕の背後から田中さんの声が聞こえた。
僕は目と鼻の先にいる裏切った相棒と彼女の元に今すぐにでも行って怒りをぶちまけたかったが、田中さんのいる手前、そんなことは出来ないのですぐに取り繕った。
「田中さん、本当にありがとうございます。じゃあ、早速ですけど、これに着替えてもらっていいですか?」
「え?ここで?」
「やだなぁ!こんなとこで着替えてたら警察来ちゃいますよ。いや、その前にお医者さんが来るかな?」
「アハハハハハ!ですよねぇ!…それで、もうこの中で待ってるんですか?」
「ええ。楽しみにしてると思います。…では、お昼にお話した通り、お願いできますか?」
「お任せあれ!」
そう言って、田中さんは自分の胸をドンと叩き、意気揚々と僕の渡した着替えを持って病院の中に入って行った。
そう、田中さんと待ち合わせをしたのはこの大きな総合病院の前だった。
僕は通りの向かいにあるカフェの方へ振り返ったが、そこにはもう裏切った相棒と僕を捨てた彼女の姿はなかった。
歯がゆい思いだけを心に抱えたまま、僕も田中さんを追って病院に入った。
◆
待合ロビーで昨日、神社で出会った女性と再会した。病院内もツリーやクリスマスの飾りつけがされてとても華やかだった。
「今日は突然のことなのにすみません。本当に迷惑じゃなかったですか?」
「迷惑だなんて全然。むしろ、嬉しいぐらいなんです。こちらの方が昨日の傘のことも含めてお礼をしなくちゃいけないのに、こんなことまでしてもらえるなんて。
ウチの子だけじゃなくここにいるお友達にも声をかけたんですよ」
僕はホッと胸を撫で下ろした。息子さんだけにえこひいきをしていると思われ、後々、嫉妬されたり嫌な思いを彼女にさせたくなかっただけに彼女が利かせた機転に一安心した。
「喜んでもらえてるなら僕も嬉しいです。…で、許可は下りましたか?」
「ええ。先生も少しの間なら、って」
「ああ、良かった!多分、田中さんも準備が出来てる頃だと思います。そろそろ行きましょうか」
僕は女性に案内されて、息子さんのいる病室へと向かった。3階にある個室の部屋はそれほど大きくなかったが、彼女の息子さんの他に5、6人の子どもたちが集まっていた。みんな、年もバラバラで、一番上の子は8歳の女の子だった。
そして、外の廊下にはそれぞれの子どもたちの両親が待っていた。彼女に紹介されて僕はその親たちに軽く挨拶を済ませ、病室に入った。部屋にはキャンドルがいくつも並べられていて、とても病院の中とは思えない雰囲気だった。子どもたちも興奮して今にも騒ぎだしそうだった。
♪シャンシャンシャンシャン♪ ♪シャンシャンシャンシャン♪
鈴の音が窓の外から聞こえた。子どもたちは一斉に声を上げた。
「うわあ!!!すごい!本物だ!」
「ねえ、ママ、見て見て!トナカイさんがお空を飛んでるよ!」
子どもたちは窓の側に駆け寄った。僕を含めた大人たちも全員、窓の外に目をやった。
驚くべき光景がそこにあった。
トナカイがサンタクロースを乗せたソリを引っ張って、空を飛んでいるのだ。
病室は歓声に包まれた。
というか、僕が一番驚いていた。夢なのか?と何度も目を疑った。
田中さんは一体何者なのだ?!
窓からトナカイの姿が見えなくなり、廊下から声が聞こえてきた。
「ホーホーホー!ホーホーホー!」
子どもたちは声のする廊下へと飛び出して行った。
廊下でサンタクロースに扮した田中さんが子どもたちに囲まれていた。
「みんな、良い子にしてたかな?」
「はーい!!」
サンタクロースは、いや、田中さんは子どもたち一人一人にプレゼントを渡していった。
子どもたちの喜ぶ笑顔。
大人たちの嬉しそうな姿。
そして、それを温かく見守る先生や看護師さんたちの姿もそこにはあった。
僕は本当に心の底から幸せな気分になった。
カチカチカチカチカチ。
【ハッピー・バロメーター】の針の音が聞こえた。
柔らかな光で点滅するバロメーターを見ると針は<10>、つまり『幸』の目盛りを指していた。
「やった!<10>だ!」
心の中で叫んでいた。
これで、少なくともあのジイさんの下で働くことはなくなったのだ。
お金はなくなったけど、代わりに手に入れるモノが僕にはあった。
子どもも大人も皆が喜んでくれたこと。
それが僕にとってのクリスマスプレゼントだった。
顔を上げると、田中さんは子どもたちの頭を一人ずつ撫でて、廊下を引き返していくところだった。
僕がその背中を見つめていると、田中さんは振り返り、僕に向かってウィンクをしてくれた。
あれ?おかしい…。
僕はあることに気が付いた。田中さんに渡したサンタクロースの衣装は、あんな立派なものじゃない。それに田中さんはあんなに恰幅のいい体格でもない。
子どもたちに渡したプレゼントを見ると、これも僕の用意したものではなかった。
どういうことだろう?あのサンタクロースは田中さんじゃないのか?
すると、聞き覚えのある声がまた奥の廊下から聞こえた。
「ホーホーホー!良い子はいねぇが?」
あの声は…田中だ!あ、いや、田中さんだ。
「良い子はいねぇが?」ってサンタじゃなくて完全になまはげじゃないか!
僕は咄嗟に走り出して田中さんの元へ駆け寄り、子どもたちから見えないところへ連れて行った。
「田中さん!え?え?ちょ、ちょっと待って。混乱してきた。今、さっきのサンタは田中さん?」
「はい?今、さっきの…と申しますと?私、ここでずっと待機しておりましたが」
「え?じゃ、じゃあ、さっきのサンタクロースは?」
「サンタクロースは私ですよ。田中です。何かトラブルでもありました?」
僕は田中さんに今しがた起きた顛末(てんまつ)を簡単に説明した。
「今、田中さんが出ていくと、おかしなことになっちゃいます」
「ですよねぇ。でも、どうしましょう?このプレゼント」
幸いにもお菓子の詰め合わせを用意していたので、僕は田中さんにナースステーションに行ってそれを配るようにお願いした。
先生や看護師のみんなの協力なしでこんなことはできなかったから、せめてお礼をしたかったのだ。
そして僕はもう一度、子どもたちのいる病室に戻った。数人いた子どもたちはそれぞれの部屋に戻り、この病室には彼女と息子さんがいるだけだった。
息子さんはサンタクロースからもらった飛行機の模型を嬉しそうに眺めていた。
母親である女性は僕に涙ぐみながら何度もお礼の言葉を言った。
僕はさっきの田中さんのことは言わずにおいた。
「みんな喜んでくれて良かったですね」
「はい。本当に素敵なクリスマスになりました。ありがとうございます。
子どもたちの中にはサンタクロースなんていないって言う子もいたんですけどね、
『いるって信じる子のところにサンタさんは来るのよ』って、私たち大人が一生懸命言って聞かせたんです。
本当は私たちが信じたいだけだったのかもしれませんね」
そう言って、彼女は照れくさそうに笑った。
…その時、僕は大きな思い違いをしていたことに初めて気が付いた。
バロメーターを見ると、文字盤には『信』という文字がパタパタパタと回転して現れた。
そう、【疑う心と信じる心】っていうのは、目の前にいる相手や言葉を疑ったり、信じたりするのではないのだ。
自分自身の想いを【疑う】か【信じる】かということなのだ。
子どもたちが素直にサンタクロースはいると信じたからこそ目の前に現れたんだろう。
僕はずっとずっと自分の想いを疑いながら過ごしてきた。
だから本当は幸せなことも幸せに思えなかったのだ。
自分を【信じる】ということが怖くて逃げてきたんだ。【疑う】方が楽だから。傷つかなくて済むから。
相棒に裏切られた時も、彼女に捨てられた時も、自分を守ることばかりを考えていた。
もしかしたらみんなみんな僕の思い過ごしかもしれないのに。
大事なことにあのサンタクロースは気づかせてくれたんだ。
僕は、まだ嬉しそうに模型を見つめている彼女と息子さんに挨拶をして、病室を後にした。
ナースステーションでは田中さんが看護師の人たちに不格好なサンタクロース姿をからかわれていた。
僕は田中さんに視線を送り、外に出るよう促した。
なぜかサンタクロースの格好が気に入った田中さんはその衣装のまま僕と病院を出た。
「良かったらそれ、差し上げますよ」
「え?本当ですか?嬉しいなぁ!あ、そうだ。お腹すいてませんか?ご馳走します。この衣装くださるお礼に」
「いいんですか?!でも、ご家族が待ってらっしゃるんじゃ…」
「心配ご無用!家内と二人ですから。今さらクリスマスなんていう雰囲気でもないし。
それより何を食べたいですか?」
「うーん、そうだなぁ」
僕はせっかくのご馳走だからと色々食べたいものを考えたが一つしか思い浮かばなかった。
「牛丼かな」
「ええ?!クリスマスなのに?いいんですか?気を使わなくていいんですよ」
「いや、牛丼がいいんです。お昼は食べそびれちゃったし。…それにクリスマスの牛丼屋は席もすいてるでしょ?」
「まあ、そうですけど…。変わった人だなぁ」
そう田中さんはぼやいたけど、サンタクロースの格好で街を歩いている人に一番言われたくないセリフだった。
病院前のカフェにいた相棒と彼女のことが気がかりだったが、それは明日考えることにして、
雪が舞い始めた街を歩く僕は、今日だけ幸せの余韻に浸っていた。
(つづく。)
ひとまずミッションを達成した“僕”だったが、
相棒と彼女の関係は?運命の3日目はどうなる?
いよいよ、明日、最終回!…の予定。
おさまらなかったらエピローグを書かせてね。
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