今日は読者様からいただいたご質問にお答えしていこうと思います。
お答えというか、一個人としての考えですので「これが正解!」というわけではありませんので、
「ああ、そんな考えもあるんだな」程度に気楽に読んでください。
で、ご質問はこういったものでした。
「よくスピ(スピリチュアル系)の人は『ありのままでいい』とか、
『がんばらなくていい』とか言う人がいますが、私は少し違和感があります。
『ありのままでいい』と言ってるのに、ワークとかするのは何故だろ〜と考えてしまいます。
クスドさんはどう思われますか?」
というわけで、今日も張り切って『役に立たないお悩み相談室』を開きます。
こういったことを勉強すると、どうしても矛盾みたいなことが出てくるんですよね。
矛盾はしていないと思うのですが、言葉というのを文字だけで捉えると読み手の解釈に委ねられてしまうので、
「言ってることとやってること違くない?」と感じてしまいます。
話はそれるのですが、そういえば、このブログページに引っ越してくる前にも、
「スピリチュアル系の人や、潜在意識系の人や、ありがとうございます系の指導者は、
早めにあの世に帰るように見受けられるけど、
この世で幸せを求めすぎると早死にするんですか?
フトシくんはどう思っちょるね?」という質問が2年前にありましたね。
まあ、その時の記事を読みたい方は【⇒こちら】です。
で、本題に戻りまして、今回の質問はこれはもう簡単ですね。
『ありのままでいい』とか『がんばらなくていい』と言ってる前提をまず考えてみましょうか。
そうすると、以前、三越でトークショーをした時の記事(⇒ココ)にも書きましたが、
"人は生まれながらにして完全・完璧な状態である"というのが前提とします(前提とさせてください。笑)。
というと、みんな完全・完璧な状態であるなら、やっぱり『ありのまま』でいいし(個性もあるし)、
『がんばらなくてもいい(だって完全・完璧なのだから)』わけですね。
じゃあ、なんでワークとかメソッドとか色々頑張っちゃうのでしょう?
それは、プールでも海でもいいのですが、泳ぐことを例にしたらよく分かりますね。
例えば、アナタは泳げない人とします。
で、泳ごうとするのですが、当然泳げないので頑張れど頑張れど体は沈んでいきます。
コーチは「がんばらなくていいから。力を抜いて(ありのままで)。
そうすると自然に水面に体が浮いてくるから(泳げるから)」と言ってきます。
でも、アナタは怖いのです。
力を抜いたら余計に沈んでいって溺れてしまうのではないか、と。
溺れたことのある人、泳げない人は分かると思うのですが、
なんとかもがいて顔だけでも水面から出そうとしますよね。
それは体力の消耗にしかなりません。
でも、実は!実はそこに鍵があるんです。
例え話に戻って、泳げないアナタに向かって、コーチは今度はこう言います。
「じゃあ、とりあえずビート板を持って、思いっきりバタ足で50メートルを5本泳いで。
それが終わるまで休憩なしね!」といきなりスパルタメソッドです。
アナタはビート板に必死につかまりながら、(自力で)泳ぎたい一心でコーチの言われた通り、
スパルタメソッド(50メートルを5本)を頑張ります。
最初は「意地でもやってやろう!」と思っていたのが、
さすがにスパルタです。
もう50メートルを3本もこなしたところで、体が言うことを聞きません。
そして、バタ足をしていた両足も疲れてきて、
おまけに、つかまっていた命綱であるビート板を握る手の握力も落ちてきました。
正直、ビート板を手放したら「溺れ死ぬ…」ということが頭をよぎります。
でも、泳がねば!そんなことすら考えてられません。
ところが、やっぱり体は正直です。
疲れがいよいよピークに達して、ビート板を手放してしまったのです。
「あ、しまった!というか、オワタorz」
そんな諦めが頭に浮かんだものの、もう力が出ません。
「ああ、眩しい日差しだなぁ。ここは天国かなぁ」
・・・
・・・
気がつくと、空を見上げていた自分がいました。
そうです、自分の意識でなかったにしろ、思いがけずに完璧な脱力ができて、
体は水面に綺麗に浮いていました。
コーチは「できたじゃない!浮くってのはそういうことよ」と笑っています。
「あ、私、浮いてる!」と意識した途端にまたゴボゴボと水中に沈んでいきましたとさ!
これで大体、分かりましたでしょうか?
元から自然体でなんの不満も不足も後悔も不安もなく生きることができたら、
誰もが苦労はしませんね。
でも、生まれてから成長していく過程で、親や先生やテレビや周囲の影響などをたくさん受けて、
"幸せになるためには頑張るのだ!努力の末に幸せがあるのだ!"と思いこんだり、
不必要な固定概念が刷り込まれていくわけです。
もちろん、正当な努力…つまり、自分の意思で計画を立ててコツコツと頑張って、
「より良き人生にしよう!」という頑張りは良いのです。
でも、そうではなくて、「後悔や不安や恐れを消すためだけに頑張りすぎるのはいかがなもの?」と、
スピリチュアル系の人は言いたいのではないでしょうか?
言い換えれば、この世は陰と陽、ポジティブとネガティブがあります。
悲しい気持ちをなくそうとしますが、悲しい気持ちや辛い体験があるから、
嬉しい気持ちや感動できることが際立つし喜べますね。
表だけのコインもないし、裏だけのコインもありません。
表と裏が合わさって1枚のコインです。
どちらか一方を消すということは、何も存在しないのと同じこと。
だから、ボクもブログで何度か書いてますが、"折り合いをつけること"が大切なのです。
でも、それが長年染み付いてきた思い込みや観念が邪魔してその状態(ありのままで完璧)になれないから、
ワークやメソッドなどをやるだけやって、
体に泳法を覚えこませたり(宗教などでも一心不乱に体から血まじりのような汗が出るぐらい念仏を唱えたり、
修行した末に悟りの境地にたどり着けたり、奇跡が起きたりしますよね)、
はたまた、やり抜いた末に「もう何をやってもダメだー」と、良い諦めができて(自然と力が抜けて)、
「ああ、やろうとしてたことは余計な頑張りだったんだ」と気づくことが出来たりするわけです。
最初から力の抜き方が分かってる人だっているわけです。それは赤ちゃんですけど。
"力を抜く、頑張らない、身をまかせる、ありのままで…"ということを、
意識すればするほど出来なくなります。
それだったらその頑張りを逆手にとるんですね。
ボクの考え方もそうです。全て逆手にとる考え方です(だから、捻くれていると言われます。涙)。
長くなったのでまとめますと、
なぜ、ワークやメソッドをするのかといったら、
ボク流に言うと、【意識】と【無意識】の方向性を合わすためですね。
今まで【無意識】はアナタのことを見つめていたのに、
【意識】は無視したり、あさっての方を向いたりしていたということです。
それに気づいて、お互いに折り合いをつけて同じ方向を見つめるためにワークやメソッドがあるのではないでしょうか。
なので、ワークやメソッドそのものに効果があるということではなく、
使う側、行動する側(アナタ)の意識が変わることで出来事や自分に対する見方、捉え方も変わってくるということです。
もちろん、ワークをしちゃいけないというのではありませんし、否定もしません。
それで悟ったり?ありのままの状態に戻れるものもあるのでしょう。
なので、「クスドさんはどう思いますか?」と聞かれたので、
一個人としてはそう考えているということです。
もう一回言いますが、正解でもないですし、「いや、それは違うよ」と言う人もいると思います。
今月の初めに"ナニモノにもとらわれないで(このブログでさえ)"と書いた通りですので、
あんまり真面目に読まないでくださいね(笑)。
というわけで、今日はご質問にお答えした『役に立たないお悩み相談室』のコーナーでした。
「あいつに聞いたら、全部答えてくれるぞ」と思って、色々質問するのだけはやめてくださいね(笑)。
お答えというか、一個人としての考えですので「これが正解!」というわけではありませんので、
「ああ、そんな考えもあるんだな」程度に気楽に読んでください。
で、ご質問はこういったものでした。
「よくスピ(スピリチュアル系)の人は『ありのままでいい』とか、
『がんばらなくていい』とか言う人がいますが、私は少し違和感があります。
『ありのままでいい』と言ってるのに、ワークとかするのは何故だろ〜と考えてしまいます。
クスドさんはどう思われますか?」
というわけで、今日も張り切って『役に立たないお悩み相談室』を開きます。
こういったことを勉強すると、どうしても矛盾みたいなことが出てくるんですよね。
矛盾はしていないと思うのですが、言葉というのを文字だけで捉えると読み手の解釈に委ねられてしまうので、
「言ってることとやってること違くない?」と感じてしまいます。
話はそれるのですが、そういえば、このブログページに引っ越してくる前にも、
「スピリチュアル系の人や、潜在意識系の人や、ありがとうございます系の指導者は、
早めにあの世に帰るように見受けられるけど、
この世で幸せを求めすぎると早死にするんですか?
フトシくんはどう思っちょるね?」という質問が2年前にありましたね。
まあ、その時の記事を読みたい方は【⇒こちら】です。
で、本題に戻りまして、今回の質問はこれはもう簡単ですね。
『ありのままでいい』とか『がんばらなくていい』と言ってる前提をまず考えてみましょうか。
そうすると、以前、三越でトークショーをした時の記事(⇒ココ)にも書きましたが、
"人は生まれながらにして完全・完璧な状態である"というのが前提とします(前提とさせてください。笑)。
というと、みんな完全・完璧な状態であるなら、やっぱり『ありのまま』でいいし(個性もあるし)、
『がんばらなくてもいい(だって完全・完璧なのだから)』わけですね。
じゃあ、なんでワークとかメソッドとか色々頑張っちゃうのでしょう?
それは、プールでも海でもいいのですが、泳ぐことを例にしたらよく分かりますね。
例えば、アナタは泳げない人とします。
で、泳ごうとするのですが、当然泳げないので頑張れど頑張れど体は沈んでいきます。
コーチは「がんばらなくていいから。力を抜いて(ありのままで)。
そうすると自然に水面に体が浮いてくるから(泳げるから)」と言ってきます。
でも、アナタは怖いのです。
力を抜いたら余計に沈んでいって溺れてしまうのではないか、と。
溺れたことのある人、泳げない人は分かると思うのですが、
なんとかもがいて顔だけでも水面から出そうとしますよね。
それは体力の消耗にしかなりません。
でも、実は!実はそこに鍵があるんです。
例え話に戻って、泳げないアナタに向かって、コーチは今度はこう言います。
「じゃあ、とりあえずビート板を持って、思いっきりバタ足で50メートルを5本泳いで。
それが終わるまで休憩なしね!」といきなりスパルタメソッドです。
アナタはビート板に必死につかまりながら、(自力で)泳ぎたい一心でコーチの言われた通り、
スパルタメソッド(50メートルを5本)を頑張ります。
最初は「意地でもやってやろう!」と思っていたのが、
さすがにスパルタです。
もう50メートルを3本もこなしたところで、体が言うことを聞きません。
そして、バタ足をしていた両足も疲れてきて、
おまけに、つかまっていた命綱であるビート板を握る手の握力も落ちてきました。
正直、ビート板を手放したら「溺れ死ぬ…」ということが頭をよぎります。
でも、泳がねば!そんなことすら考えてられません。
ところが、やっぱり体は正直です。
疲れがいよいよピークに達して、ビート板を手放してしまったのです。
「あ、しまった!というか、オワタorz」
そんな諦めが頭に浮かんだものの、もう力が出ません。
「ああ、眩しい日差しだなぁ。ここは天国かなぁ」
・・・
・・・
気がつくと、空を見上げていた自分がいました。
そうです、自分の意識でなかったにしろ、思いがけずに完璧な脱力ができて、
体は水面に綺麗に浮いていました。
コーチは「できたじゃない!浮くってのはそういうことよ」と笑っています。
「あ、私、浮いてる!」と意識した途端にまたゴボゴボと水中に沈んでいきましたとさ!
これで大体、分かりましたでしょうか?
元から自然体でなんの不満も不足も後悔も不安もなく生きることができたら、
誰もが苦労はしませんね。
でも、生まれてから成長していく過程で、親や先生やテレビや周囲の影響などをたくさん受けて、
"幸せになるためには頑張るのだ!努力の末に幸せがあるのだ!"と思いこんだり、
不必要な固定概念が刷り込まれていくわけです。
もちろん、正当な努力…つまり、自分の意思で計画を立ててコツコツと頑張って、
「より良き人生にしよう!」という頑張りは良いのです。
でも、そうではなくて、「後悔や不安や恐れを消すためだけに頑張りすぎるのはいかがなもの?」と、
スピリチュアル系の人は言いたいのではないでしょうか?
言い換えれば、この世は陰と陽、ポジティブとネガティブがあります。
悲しい気持ちをなくそうとしますが、悲しい気持ちや辛い体験があるから、
嬉しい気持ちや感動できることが際立つし喜べますね。
表だけのコインもないし、裏だけのコインもありません。
表と裏が合わさって1枚のコインです。
どちらか一方を消すということは、何も存在しないのと同じこと。
だから、ボクもブログで何度か書いてますが、"折り合いをつけること"が大切なのです。
でも、それが長年染み付いてきた思い込みや観念が邪魔してその状態(ありのままで完璧)になれないから、
ワークやメソッドなどをやるだけやって、
体に泳法を覚えこませたり(宗教などでも一心不乱に体から血まじりのような汗が出るぐらい念仏を唱えたり、
修行した末に悟りの境地にたどり着けたり、奇跡が起きたりしますよね)、
はたまた、やり抜いた末に「もう何をやってもダメだー」と、良い諦めができて(自然と力が抜けて)、
「ああ、やろうとしてたことは余計な頑張りだったんだ」と気づくことが出来たりするわけです。
最初から力の抜き方が分かってる人だっているわけです。それは赤ちゃんですけど。
"力を抜く、頑張らない、身をまかせる、ありのままで…"ということを、
意識すればするほど出来なくなります。
それだったらその頑張りを逆手にとるんですね。
ボクの考え方もそうです。全て逆手にとる考え方です(だから、捻くれていると言われます。涙)。
長くなったのでまとめますと、
なぜ、ワークやメソッドをするのかといったら、
ボク流に言うと、【意識】と【無意識】の方向性を合わすためですね。
今まで【無意識】はアナタのことを見つめていたのに、
【意識】は無視したり、あさっての方を向いたりしていたということです。
それに気づいて、お互いに折り合いをつけて同じ方向を見つめるためにワークやメソッドがあるのではないでしょうか。
なので、ワークやメソッドそのものに効果があるということではなく、
使う側、行動する側(アナタ)の意識が変わることで出来事や自分に対する見方、捉え方も変わってくるということです。
もちろん、ワークをしちゃいけないというのではありませんし、否定もしません。
それで悟ったり?ありのままの状態に戻れるものもあるのでしょう。
なので、「クスドさんはどう思いますか?」と聞かれたので、
一個人としてはそう考えているということです。
もう一回言いますが、正解でもないですし、「いや、それは違うよ」と言う人もいると思います。
今月の初めに"ナニモノにもとらわれないで(このブログでさえ)"と書いた通りですので、
あんまり真面目に読まないでくださいね(笑)。
というわけで、今日はご質問にお答えした『役に立たないお悩み相談室』のコーナーでした。
「あいつに聞いたら、全部答えてくれるぞ」と思って、色々質問するのだけはやめてくださいね(笑)。
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