ブラントンはついに、彼を見えざる力でインドへ呼び寄せたラーマナ・マハリシの庵に辿り着きます。
しかし、それは彼の今回のインド探訪の旅のクライマックスにも、ゴールにもなりませんでした。
なぜなら、まだ、そうなるための機は熟していなかったからです。
その時ブラントンを自らの許に呼び寄せたのはマハリシです。
しかしそれは、彼に決定的な霊的イニシエイションを与えるためではなく、そのための (パン種をこねて一定期間寝かせて発酵させるような) 機を熟させる下準備のためのようなものでした。
彼がこの時マハリシのもとに滞在したのはわずか2週間ほどでしたが、彼はその間のことをこう記しています。
《聖なるかがり火の山アルナーチャラが、まわりをとり囲む山々の列を抜いて孤立しているのと同じように、マハリシも、彼に魅せられて何年もそばで共に暮らしている信者に取り囲まれているときでさえ、常に神秘的に孤高である。
私は時々彼が、もう少し人間的であったらよいのに、、、と思っている自分に気が付く。
しかしながら、彼が本当に、凡俗を超えた崇高な悟りに到達しているのであれば、どうしてそのようなことを望むことができるだろうか。
人々が集う庵の空間全体を静寂が支配する。
時が緩やかに過ぎてゆくが、その場を支配する沈黙は深まるばかりである。
私は宗教的な人間ではないが、逆らい難い何かが、私の心に接触しはじめているのを感じる。
それは私に畏敬を生む。
私の心に芽生えた畏敬の念は、私を深く感動させながら、逆らい難いまでに増大していく。
私は疑いも躊躇もなく、『この神秘的な力の中心はマハリシ以外の何ものでもない』 と感じる。
私に向けられた彼の眼が、驚くべき光輝をもって輝く。
そして、その光り輝く眼球が、私の魂の奥底を覗き込んでいるように感じる。
私は奇妙な形で、『彼の神秘的な視線は、私の思い、私の感情、私の願望を透視している』と思う。
私はそれに対して為すすべを知らない。
最初私は、このマハリシの視線に当惑し、不安にもなった。
しかし、なぜか今は、彼の視線から逃げたいとは思わない。
私は彼が、私の忘れてしまっている自分の過去に属するページを見ていることを感じる。
彼は全部を、・・・私が忘れていることを含めたもののすべてを知っているに違いないと感じる。
彼と私の間に働いているテレパシー的なものの流れに変化が起こるが、その間中、私の眼は頻繁にまたたくのに、彼の眼は見開かれたまま微動だにしない。
私は、彼が私の心を自分の心に結び付け、あの、星の輝く静けさの状態に私のハートを誘い込もうとしているのが分かってくる。
この比類なき平安の中に、私は高揚と軽やかさの感じを見出す。
時が停止しているように感じられる。
私のハートは、心配という重荷から解放される。
もう再び、怒りの苦しさや、叶えられぬ願望の憂鬱に悩まされることはないだろう、という気がする。
存在の本質は善なのだということを、私は超越的な感覚の中で理解する。
時が止まり、過去の悲しみや間違いがとるに足らない出来事に思われる。
この美しい、うっとりするような沈黙の中で、今や叡智は近日点にある、と感じる。
この人の凝視は、瀆神的な私の眼の前に、隠れた世界を呼び出して見せる魔法のつえでなくて何だろう、と感じる。。
私はしばしば、この弟子たちはなぜ賢者のそばに何年もとどまっているのだろうか? あまり話を交わすわけでもなく、娯楽の類は何もなく、外面的な活動さえほとんどみあたらないのに、といぶかったものである。
しかし今私は理解し始めている。
彼らは、思想によってではなく、電光のような啓示によって、、、この年月の間中、深い、無言の報いを受けつつあったのだと。
死のような静寂に包まれていた部屋の中から、ついに一人が静かに立ち上がって、部屋を出ていく。
それが合図であったかのようにして、一人、また一人と彼に続き、やがて部屋には私とマハリシ二人だけになる。
私を見つめるマハリシの眼が、カメラレンズの焦点を絞っていくように、不思議な変化を見せ始める。
瞼がほとんど閉じられた状態まで閉じられて行くと、その瞼と瞼の間に、瞼が閉じられるのに反比例するように、輝く強いひらめきのようなものが生まれ、それが強烈になっていく。
そして突然、私の体が消え、二人とも空間に出たように思われる。
私は躊躇し、その体験から逃れようとする。
その決意は力をもたらし、私は再び肉体に戻る》
マハリシがそうした日々の中で言葉にしてブラントンに与えた教えはただ一つ 『真の自己を知れ』 ということだけでした。
ブラントンは初めてマハリシと会話することができた時こう語りかけています。
「師よ。
私は西洋の哲学や科学を学び、その繁華な都会の人々の間で暮し、働いてきました。彼らの楽しみを味わい、彼らの野望に自分も身を任せてきました。それでも同時に、人里離れた場所にもいき、そこで独り、深い思いにふけりながら彷徨いもしました。
私は西洋の賢者たちに尋ねました。今は、その顔を東に向け、もっと明るい光を求めているのです。
私は様々な意見を聞き、様々な説にも耳を傾けてきました。
あれこれの信仰の知的な証明は私の周囲にうずたかく積み上げられています。
私は自らの経験によって証明されていないものはことごとく疑うたちなのです。
そうした物事にはもはやあきあきしています。
私は宗教的な人間ではないのです。
このようなことを申し上げることを許してください。
人間の肉体的存在の奥に、本当にそれを超えた何かがあるのでしょうか?
もしあるのなら、それをどうしたら悟ることができるのでしょうか?」
そう尋ねるブラントンに対してマハリシは、ただ静かに、超越的なまなざしで見つめているだけです。
ブラントンは語り続けます。
「西洋の賢者たち、、、つまり科学者たちは『賢い』として非常に尊敬されています。それでも彼らは、生命の背後に隠されている真理はほとんど明らかにすることができないと告白しているのです。あなたの国には、西洋の賢者たちの示すことのできないものを与えることのできる人たちがおられると聞きまた。・・・あなたは、私が悟りを経験できるよう助けてくださることができますか? それとも、そんな私の考えそのものが迷妄なのでしょうか?」
ブラントンがそう問いかけてマハリシの返事を待っていると、時は静寂の床を滑っていくように過ぎていき、、、十分が経過するころになってやっとマハリシは口を開きました。
「あなたは、『私は知りたい!』と言うが、言ってごらんなさい。その『私』とは誰なのですか?」
ブラントンは質問の意味が分からず、聞き返します。
「質問の意味が分からないというのですか? いいでしょう、ではあらためて尋ねます。『あなたは誰なのですか?』」
ブラントンは当惑したまま、自分の体を指さして、自分の名前を告げました。
「しかしそれは、あなたの肉体に付けられた名前にすぎないでしょう。もう一度尋ねます。『あなたは誰なのですか?』」
ブラントンは答えることはできません。
そんなブラントンに、マハリシは畳みかけます。
「真実の『私』を知りなさい。そうすればおのずと真理もわかるでしょう」
ブラントンは質問を変えます。
「マハリシ。世界の将来についてご意見をお聞かせ願えませんか。我々は危険な時代に生きているように思えます」
それに対するマハリシノ答えは 「なぜあなたが将来のことを心配しなければならないのですか?」 というものでした。
そしてこう続けました。
「あなたは恐らく、現在のこともよく知らないでしょう。現在によく気をつけなさい! そうすれば、未来のことは未来が自分で気をつけます」
ブラントンの質問はマハリシによって体よく拒否された格好に終わりましたが、この件についてはブラントンも引き下がりませんでした。なぜなら彼は、人生の悲劇がこの平和な草庵よりもはるかに重く人々にのしかかっている世界から、その答えを求めてはるばるやってきた人間だったからです。
「この世界は今後、友情と互いに助け合う新しい時代に入るのでしょうか、それとも、混乱と戦争の中に落ちていくのでしょうか?」
ブラントンが食い下がり、マハリシはしかたなく、、、と言った感じで口を開きます。
「この世界を統一する『一者』がいます。世界の面倒を見るのは彼の仕事です。この世界に生命をこ与えた彼は、それをどう世話するかと言うことも知っています。この世界という重荷は、彼が背負っているのであって、あなたではない」
「しかし」 とブラントンは反論します。
「それでも、公平な目で現実を見るならば、その慈悲深い配慮が介入しているところを見出すのは難しいのです」
マハリシは答えます。
「あなたのある通りに世界はあるのだ。あなた自身を理解することなしに世界を理解しようとして何になるか。先ずは、あなた自身の奥深くにある真理を探し出しなさい。そうすれば、世界の奥深くに隠されている真理も理解しやすくなるでしょう。あなたは世界の一部なのだから」
ブラントンはマハリシの言っていることをほとんど理解できませんが、それでも何かを理解しようと努めます。
マハリシは続けます。
「人が真実の自己を知ると、ある別のものが彼の存在の奥底から生まれてきて彼を支配します。そのあるものは心の背後にあります。それは無限で、神聖で、不滅です。ある種の人々はそれを天の王国と呼び、またある人々は魂とかニルヴァーナと呼び、我々ヒンドゥは解脱と呼んでいます。あなた方は好きな名前で呼べばいいでしょう。・・・このことが起こると。、人は本当の自分を失ったのではなく、むしろ彼の本当の自己を発見したのです」
最期の言葉が通訳者の口から語られると、ブラントンの脳裏にはあのガラリヤを放浪した教師が語った忘れがたい言葉、、、実に多くの善良な人々を当惑させた言葉、、、がよみがえってきます。
『生命を得んと欲するものはそれを失い、生命を失うものはそれを得ん』
「何とこの二つの文句の似ていることか」 とブラントンは思います。
「しかしこのインドの聖者は、彼自身の非キリスト的な方法で、極度に困難で、また、なじみ難く思われる心理学的な道を通ってこの思想に到達したのである」 と。
「人が、この真の自己の探究を始めるまでは、生涯を通じて根源的な無知が彼について回るでしょう。・・・・生涯を通して、様々なことに関する膨大な知識の収集に費やす巨人的な知性の人がいます。このような人々に、人間の存在の神秘を解明したかどうか、彼ら自身を支配したかどうかを尋ねてごらんなさい。彼らは恥じて頭を垂れるでしょう。自分が何者であるかを知らないで、それ以外のあらゆることを知って何になりますか。・・・真の自己をお知りなさい。そうすれば真理が、あなたのハートの中で太陽のように輝くでしょう」
サイババ様の御言葉