体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

関近ブロック集会が開催されました。2日目

こんにちは。石田智巳です。

 

2月21日と22日は,関近ブロック集会が滋賀県で開催されました。

一昨日の日曜日に,土曜日の報告をしましたが,日曜日の報告はやめておこうかなと思っていました。

でも,せっかくなので少しでも様子がわかればいいかなと思い,書くことにしました。

書き終わってみたら,書きすぎていました。

いい集会だったということです。

では,どうぞ。

 

関近ブロック集会の2日目は,若者シンポジウム(プレ)である。

プレというのは,本番が5月にあるからということだ。

と思って,『体育科教育』の3月号を見ていたら,案内が載っている。

なので,写真を載せておきます。

会員外で(会員でもいいですよ),参加希望の方は僕に連絡してください。

5月9日13時からと10日は9時から,上本町であります。

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シンポジウムのメンバーは,今回のメンバーもいるし,違うメンバーもいる。

「同志会の未来を語る若者シンポジウム」となっている。

しかし,関近集会の要項には,「支部の歩みの学習会を通じて学んだこと,言いたいこと」となっていた。

そして,その横には【若者,言いたい放題】とも書かれていた。

 

最初,6人(関近各県から1人)の自己紹介,そして,自分が体育同志会に入るきっかけだとか,学んだこと,いいと思うこと,嫌だと思うことなどがそれぞれ語られた。

和歌山のイワタさんは,本来登壇すべき人が来られなくなって,急遽,ピンチヒッターとして登壇した。

彼は,両親が教師で,奥さんが会員で,体育同志会に入ったという。

 

それ以外の人は,みんな今活躍する体育同志会のメンバーに引き寄せられるように,入会して今活躍している。

牧野さん,安武さん,茨木さん,澤さん,大宮さんである。

ウエダさんなんて,澤さんが中学校のときの先生だった。

一番嫌いなタイプだったのに,卒業する頃にはその見方が変化して,大学生の時に入会したそうだ。

彼女はとてもいい味を出していた。

これはまた後で。

 

それで,登壇者は30近くの人から,年上で30代半ばぐらい。

体育同志会に期待するのは,やはり自分の力量アップであり,子どもを変える授業がしたいということである。

それと,自分の悩みを聞いてもらえたり,アドバイスをもらえるということもあるようだ。

 

それに対して,体育同志会に対して嫌だなと思うことは,組織としての仕事が多いということだ。

これは,みんなに共通するようだ。

「やらされ感があるわけではないが,やらないといけないことで,モチベーションが低くなる。荷が重くて,誰のためにやっているのかわからないときがある」

「やらされる,頼られる,任される仕事があると,モチベーションが上がらない」

とか。

 

アサヒさんは,「難しい言葉が多い」ところが嫌だという。

確かに,話がやや空中戦になりかけたかどうかは,彼女を見ればわかる。

眠さに耐えているからだ。

耐えずに寝ている人もいるが。

しかし,「運動文化論」を使うなというのもどうか・・・。

たしかに,この言葉の出自,定義は結構難しいのだが。

使わないわけにはいかない。

 

ここに載せただけでも何となくわかると思うが,自分の力量形成が一番に据えられている。

これは当然だ。

でも,組織としてやっている以上,組織の理論的,実践的な発展,そして,組織のまさに組織的な発展というか,組織の機能を維持する必要もあるのだ。

組織がなくなったら,力量を高め合う場もなくなるのだから。

このバランスをどうするのか。

 

かつて,このブログでも世代論の話をしたことがある。

僕の父親は戦争が終わったときに,小学校1年生。

口野さん(僕より10上)のお父さんは,戦争が終わったとき京大の学生。

理系のため戦争にはとられなかったが,ギリギリのところだったという。

戦争に対する見方というか近さというか,上手く言えないがまるで違うと思う。

 

そして,口野さんの世代の組織率(同志会,組合など)と,僕の世代のそれは全く違う。

それは,戦争への近さ遠さからくるそれへの嫌悪感の違いとともに,戦後民主主義の退潮と関係がないわけでもないと思う。

もっとも,僕らの世代は学校現場では,最も少ない世代になるのだが。

 

で,30代に入った彼らは,これから学校では若手を育てる側に回ることになる。

そこに,体育同志会の組織を回す役割や理論を勉強するということまで回ってくると,やらされるという思いも持つのだろう。

 

でもね。

牧野さんも,安武さんも,澤さんも,大宮さんも,岨さんも,塩貝さんも,福川さんも,漆山さんも,山野さんも,それ以外の方々も,先輩から受けたパスをきちんと後輩に渡してきたんだよ。

戦後民主主義の退潮は,このパスの機能不全でもあるのかな。

受け取ったパスを自分のものにして,申し送らないという意味で。

これは個人的な話ではなく,やはり世代的な話。

 

グローバリズムは,そういう受け取ったものを自分のものにするという風潮を作り出している。

一言で言えば,強欲。

企業は,とりわけバブル崩壊を経験しているからね。

でも,ミキハウスは50万円ボーナス出したではないか。

 

で,みなさんも,もう少ししたら,育てるというフェーズに変わる。

愛知の堤さんが,退職の少し前から若い人を集めて学習会を始めたり,最後の方の実践記録は,学校作り的なものだったりした。

教育の集いのレポートでも,若手は自分の実践の話をする。

ベテランは,それを含めた学校作りや,カリキュラム作りなどを絡めた話をする。

いずれ,そういうステージにのぼることになるのだろうね。

 

その後の議論が面白かった。

これは,もう一度そこに絞ってやってほしいとは,司会の岨さんに話しておいた。

 

やっぱり,敢えて言われた澤さんの発言がよかった。

若い人には,とてもできないかもしれないけど,ずばり正論だった。

「なあ,八田くん」

 

僕も思うことはあるなあ。

自分だって,仕事が早いわけではない。

京都大会の事務局長の時は,まずビジネス本を読んだ。

書類の整理から,仕事のこなし方まで。

 

結局,たくさんいろいろなことが重なってくるから,うんざりするのであって,やらなくてはいけないことを書き出してみる。

そして,一番すぐに済みそうなこと(メールに返事を書くとか)をやって,リストを消していけば,案外すぐにすむものだ。

あとは,メールやevernoteのリマインダー機能を使うとか。

 

というのも,若いときよりも今の方が間違いなく仕事の量は多い。

やらないと自分の時間はとれない。

だとすれば,そのやっても達成感のない仕事を先に片付けるしかない。

 

ウエダさんは,澤さんの発言に対しても,自分の立場から反論(否定ではない)を試みていた。

彼女は,子育てをしながら,こういった会に参加している。

20年前の「男女共同なんとか」以前,あるいはその頃に子育てをしていた人たちと,今の人たちの苦労は違うだろう。

特に男女では。

僕も,両親が近くにいない中,共働きでやっているなか,子どもをおいてあっちこっちに出かけていった。

 

でも,この問題に目を向けないと,結婚した女性はメンバーにカウントされないことになる。

だから,若い人は家族ぐるみでつきあったりもしているという。

若い人なりの知恵だ。

 

澤さんがいったことを紹介しておきたい。

一つは,5時までにやらないといけない仕事が多すぎるのであれば,管理職にみんなで訴えることも必要だということ。

何もしなければ,変わらないのだ。

そして,若い人は仕事の順位をつけるのが下手で,優先順位をつけずにいわれたことをやっている。

「なあ,八田くん」

 

逆に,仕事や実践ができるからといって,自分だけがバリバリ実践して,周りのことを考えずに浮いている人もいかんとのこと。

さらに,ここがいいと思ったところだが,忙しかったり,気分的に萎えていて,例会に参加できない人にほど手厚く情報を送ってやること。

次に来ても,それまで何をやっていたのかわからないようでは,ますます来にくいということだろう。

それと,やはり「来ない奴はほっとけ」ではないよ,という意味もあるのだろう。

 

山野さんは,そういう意味ではマメだ。

電話は欠かさないし,終わったあとにもメールでお礼を言ってくれるし,ときどき思い出したように近況報告をしてくれる。

それだと「いこか」という気になる。

(巻き舌で)「いこら」。

 

ちょっと書きすぎてしまいました。

やっぱり集会に参加するのはいいですね。

とりあけ,研究局長の肩書きはいらなかったですし。

 

5月の60周年記念集会と中間研究集会が楽しみだ。

肩書きがいるけど。

 

そうそう。

滋賀支部の放った爆弾というか,朗報を誰が受け止めるのでしょうか。

だれか,常任委員長に報せてください。

 

 

 

 

 

 

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