政界45年、15期と現役最長の政治家・小沢一郎氏。自民党離党後、細川護煕内閣、鳩山由紀夫内閣と近年2度の「非自民」政権交代を実現させた立役者である。四半世紀の間、常に永田町の話題の中心にいた小沢氏に徳川宗家19代の政治評論家、川家広氏が鋭くせまる。
今回登場の小沢一郎氏は、現役ながら歴史上の人物でもある。政界でのキャリアが半世紀近く、しかもその間、政権中枢にあって日米交渉と湾岸戦争、自衛隊のPKO派遣といった歴史的事件の当事者として活躍したかと思えば、一転、大自民党を割って出て、15年の間隔を置いて2度も非自民政権を打ち立てているのだ。そんな小沢氏に、まずは駆け出し時代を語ってもらった。
全くの素人として選挙に出馬
川 初当選は1969年ですか。
小沢 そう。昭和44年、12月27日。佐藤内閣の最後の頃だね。
川 以来、いくつの内閣を見てこられましたか。
小沢 佐藤、田中、三木、福田、大平、鈴木、中曽根、竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田、安倍、と。全部で25かな。2年も持たないね。
川 お父さまの佐重喜さんが亡くなって、当時大学院生だった小沢先生が出馬を要請されるわけですが、いつかはそうなると思っていましたか。
小沢 いや、僕はそのつもりはなかった。親父が弁護士だったせいもあるけど、弁護士なら時間もあるし、お金に困らないし、そんな、わりあい安易な気持ちで弁護士を目指していて、司法試験の準備をしていたところで亡くなった。
川 当選されてからは、すぐ田中角栄先生のところですか。
小沢 当時は佐藤さんが長くて、官僚出身の首相が続いたこともあって、代表的な党人政治家の田中さんの門をたたいたんです。
※経済界ホームページより 聞き手は 徳川家広氏(政治経済評論家)