曲学阿世:真実を追求し、虚実の世間に迎合するようなことはしたくない。

真実を曲解し不正な情報によって世間の人々にこびへつらい、世間にとり入れられるような、ことはしたくない。

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」

2018年07月15日 13時26分02秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

                                

                           「植草一秀の『知られざる真実』」

                                    2018/07/13

                  「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
               

                                       第2085号

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「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」

の言葉があるが、彼も知らず、己も知らなければ、百戦百敗を免れないだろ
う。

オウム事件の死刑囚7名の死刑同時執行。

世界から非難の声が挙がっている。

オウム事件の犯罪事実を容認するものではないが、死刑という刑罰のあり方が
世界の趨勢に完全に逆行している。

「他の刑罰が奪う利益と異なり、死刑は、生命という全ての利益の帰属主体そ
のものの存在を滅却するのであるから、取り返しがつかず、他の刑罰とは本質
的に異なる」(日本弁護士連合会)からである。

日弁連は、
「死刑制度について考察する際には、死刑制度が、基本的人権の核をなす生命
に対する権利(国際人権(自由権)規約第6条)を国が剥奪する制度であり、
国際人権(自由権)規約委員会や国連人権理事会から廃止を十分考慮するよう
求められていることに留意しなければならない」
としている。

死刑は国家による殺人であると同時に、日本国憲法には次の条文が置かれてい
る。

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

死刑が「公務員による拷問及び残虐な刑罰」に該当するとの判断は、極めて正
当なものである。



1948年3月12日に最高裁判大法廷が、「日本国憲法の主旨と死刑制度の
存在は矛盾せず、合憲である」との判決を示したために、死刑制度が合憲とさ
れてきた。

しかし、この最高裁判決には、

「刑罰としての死刑そのものが、一般に直ちに同条のいわゆる残虐な刑罰に該
当するとは考えられない。
ただ死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等が
その時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認め
られる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑
について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法
を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十
六条に違反するものというべきである。」

の一文が盛り込まれている。

さらに、

「ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によつて定まる問題であ
る。
而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、あ
る時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されること
も在りうることである。
したがつて、国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会
が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない
時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定される
にちがいない。
かかる場合には、憲法第31条の解釈もおのずから制限されて、死刑は残虐な
刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることもあろう。
しかし、今日はまだこのような時期に達したものとはいうことができない。」

との補充意見も付せられている。



上記最高裁判決では、

「すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の
存置を想定し、これを是認したものと解すべきである」

と述べているが、「現代多数の文化国家におけると同様に」の記述は、時代の
変遷とともに、その妥当性が完全に失われている。

すなわち、現在においては、法律上死刑を廃止している国と事実上死刑を廃止
している国の合計が141か国に達しており、世界の中で3分の2以上を占め
ている。

また、OECD加盟34ヵ国のなかで、死刑を国家として統一して執行してい
るのは日本だけなのである。

死刑制度の問題点に関する記述に紙幅を割いてしまったが、国家による殺人で
ある死刑制度は、もはや完全に時代遅れの遺物なのである.

7名もの大量殺人の執行前夜に執行を命令した上川法相と安倍首相が宴に参加
して祝杯をあげていたという図式は身の毛のよだつものだ。

そして、この日の午後2時には気象庁が緊急記者会見を東京と大阪で開いて豪
雨災害についての最大の警告を発していた。

もはや、存続を許すべきではない政治権力が、いまなお居座っている。

この「敵」に打ち克つ法を私たち主権者国民が備え、実践しなければならな
い。



昨年2月17日の衆議院予算委員会で安倍首相は森友疑惑に関して、「私や妻
がかかわっていたら、それはもう、総理大臣も国会議員も辞めるということは
はっきりと申し上げておきたい」と明言した。

爾来、1年半の時間が経過するなかで、安倍内閣の罪状が明らかになった。

時価10億円の国有地が実質200万円で払い下げられた。

財務省は14の公文書の300箇所にわたる改ざんを行っていた。

安倍首相が腹心の友だとしている加計孝太郎氏が理事長を務める学校法人に対
して、行政プロセスを歪めるかたちで獣医学部の新設が認可された。

いずれも刑法上の重大犯罪等に該当する行為であると考えられる。

さらに、財務事務次官によるセクハラ事案も明らかにされた。

安倍内閣は総辞職に追い込まれ、犯罪に関与した者は刑事責任を問われなけれ
ばならない。

それが法治国家というものだ。



ところが、安倍内閣はすべての重大犯罪を無罪放免にし、政治責任さえ取らな
い横暴無比の対応を続けてきた。

挙句の果てに、死刑の大量執行強行、豪雨災害下での飲み会強行と実況情報の
流布、災害対応そっちのけでの党利党略のためだけの国会審議強行に突き進ん
でいる。

国会には与党だけでなく、野党も存在するから、安倍内閣の悪行三昧に対して
野党が鉄槌を下すことを多くの主権者が期待したが、安倍内閣与党は「数の
力」を振り回して、健全な討論と説得のプロセスも投げ出してしまっている。

安倍内閣が依存しているのは、刑事司法とマスメディアの不当支配である。

刑事司法の不当支配とは、

重大犯罪が厳然と存在するのに、権力側の人間を無罪放免にし、

犯罪事実がまったく存在しないのに、権力に立ち向かう人間を犯罪者に仕立て
上げる

という「法治国家」を完全破壊する、権力犯罪「放置国家」化、無実の人間に
対する冤罪捏造「放置国家」化の行動を指す。



安倍内閣は、同時にマスメディアを不当支配し、内閣総辞職の声をかき消して
しまう手法を多用してきた。

5月の連休直前には内閣総辞職確実の情勢だったが、芸能人スキャンダルを公
開して情報空間を占拠させ、その後も、資産家急死、アメフト危険タックル、
ワールドカップなどに情報空間を占拠させてきた。

ネタ切れになったところで利用されたのが死刑大量執行だった。

しかし、このカードを切ったタイミングで平成史上最悪の豪雨災害が日本列島
を襲った。

報道を災害特別報道体制に切り替えなければならなかったが、死刑大量執行で
支持率アップのストーリー演出が計画されていたために、住民避難指示の公共
放送が潰された。

その結果として200名を超す死者が発生したのである。



この政治を刷新しなければ日本は「生き地獄」と化してしまう。

そのために「彼を知り己を知り」「百戦」に備えなければならない。

勝負は国政選挙だ.

国政選挙を勝ち抜かねばならない。

そのための方法は、共産党と連携する野党の連帯・統合を実現し、その上で共
産党と連携することだ。

敵の戦術の核心は、こちら側を「共産党と連携する勢力」と「共産党と連携し
ない勢力」とに分断することだ。

敵の戦術を知れば、適切な対応方法が明確になる。

敵による分断戦術を封じればよいのだ。

それが、共産党と連携する勢力の結集である。

こちら側にも敵の勢力が潜んでいる。

その敵をあぶり出す主力の手法が、「共産党との連携」に対する諾否なのだ。

彼を知り己を知ったうえで、次の戦いに挑まなければならない。

 

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