「猫は地上に舞い降りた精霊に違いない。
猫は、落ちることなく雲の上を歩くことが出来るだろう。」

ジュール・ヴェルヌ
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番外編 第1話はこちらからどうぞ。


僕は結婚し、とある事情から妻の実家に住まわせてもらうことになった。

妻は、独身時代その家で母親と白く大きな雑種犬と3名で暮らしていた。僕はその中に混ぜてもらう形だった。

そして僕と妻が結婚した翌年、その白い犬が16歳で他界した。

妻の取り乱し方は、見ていて心が傷むほどであった。

僕はエバを失った時を思い出し、静かに妻に寄り添った。

あの子に会いたい、と毎晩泣き取り乱す妻を、僕は出来るだけ暖かく抱き締めた。


またその翌年、僕達は引っ越すことになり、義母とは別居となった。


妻と二人だけの暮らしは、難しかった。

妻は几帳面で潔癖性で、正しいと思ったら絶対にそれを変えない。例えば、何かの置き場所を決めたら、その場所以外にそれを置くことを、絶対に許さなかった。

僕はいつも音楽のことなどを考えていて、あまり家事や暮らしに興味が無かった。

決められたルールを僕が軽んじて、妻と衝突することがよくあった。


あわただしく、全てがギリギリの暮らしの中で、妻は少しずつ飼っていた犬の事をあまり口にしなくなっていった。そして、妻の話を聞き、なだめ、慰めるうちに、僕もまたエバの事を悲しく思い出す事がほとんど無くなっていった。


僕たちが新しく住みだしたマンションの近くに、首輪をした愛らしい雌の三毛猫がいた。

初めて会った時、乾いた側溝の中からみいみいと鳴いていたので、僕と妻はその子をみいちゃんと名付け、会う度に撫でた。
みいちゃんは人なつっこく、何度か会っただけで僕らを見ると足元に擦り寄ってくるようになった。


ある時僕達は些細なことで言い合いになり、妻が自転車で家を飛び出す事態となった。

僕は妻を追い掛けて家を出た。彼女はすぐに見付かった。

妻は家からすぐ近くのところで、自転車から降り、なぜかみいちゃんを撫でていた。


妻が自転車で飛び出し駅の方角に向かっていたところ、普段はいないはずの遅い時間なのに、みいちゃんが道の真ん中にいたのだと言う。

踏んづけないように妻が徐行すると、みいちゃんが自転車に擦り寄ってきたので、彼女は自転車から降り、みいちゃんを撫でた。

そうしているうちに、何だか夫婦喧嘩していることが馬鹿らしくなり、帰ろうかな、と思っていたところに僕が現れたのだと妻は言った。

みいちゃんに免じて今回は許してあげる、と彼女はうちに戻ってきた。僕たちは並んで自転車で帰った。


みいちゃんとエバは見た目も性格もまるで違うけれど、なんとなく僕はそのときエバの事を思い出した。

僕の窮地に、これからはいつもエバがいてくれる、そんな不思議な感覚を僕は抱いた。


生活していて、ふとエバの気配を思い出すことがある。

その度に僕は心の中で、ありがとう、と呟く。


僕はエバに、妻は飼っていた白い犬に、誰もが失った大切な存在に、また会える日が来るだろうか。

形を変えて、彼女達はまた僕らのもとにやってくるだろうか。

そしていつか僕たちが死んでしまっても、形を変えて、大切な誰かのもとに再び行くことが出来るだろうか。



ギターの上手な職場の女性が「私、ペットって言葉、嫌いなんです」と僕に話してくれたことがある。
彼女は以前本当に愛していた飼い犬を失ったことがあった。
僕が「じゃあ、家族って言葉が相応しい?」と尋ねると、それだと重すぎます、と彼女は答えた。

僕は、「友達」が丁度良い言葉だな、と思ったけれど口に出さなかった。何を言っても悲しくなりそうだった。


その時僕は、彼女と会話しながら、たとえ誰かが死んでしまっても、また別の形で会える日が来ることを信じて、一秒一分一瞬を精一杯生き、記憶に留めて、なるべくは書き留めていくことで悲しみはかえって癒されていくのではないか、と感じていた。


もし、もし僕がエバに再び巡り会えたなら、その記憶と記録をもとに「会えなかった間、こんな素敵なことがあったんだ」と前足を握って、目を見て、伝えたいと思っている。







番外編 完
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ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございます。

また、いいね、ぺた、コメントをくださった方、感謝にたえません。



何かが皆様の胸に残れば幸いです。


それではまた。また会う日まで、お元気で。



「猫の愛より偉大なギフトがあろうか。」

チャールズ・ディケンズ
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お世話になっていたプロデューサーさんと仲違いし、僕はギターの販売員になった。
慣れない専門的な仕事で大変だったが、仲間に恵まれ、楽しく過ごすごとができた。


僕は入社後最初に迎えた父の日に、赤いリッケンバッカーのギターを社割で買って父に贈った。
父はビートルズやザ・フーが好きだったので、目を白黒させて喜んでいた。
父は就職活動の時に楽器屋さんに成りたくてヤマハに面接を受けにいったがダメだった、という話をしてくれた。
僕はその話を聞いて、楽器販売員になった自分を少し誇らしく思った。


いつしか一番下の弟のルカが中学生になっていた。
エバももう13歳で、人間で言うとほぼ70歳になる計算だった。
エバはある時から少しずつ痩せていった。
毛の色も変わってきて、今まで銀と黒だった毛に何故か茶色が混ざってきた。
あまり食事しなくなり、寝ている時間が多くなった。

新しい猫はどんどん我が家に入ってきて、庭で子供を生んだりしたが、もはやエバは気にしていないようだった。

ウリコの子供のイチローの事を思い出した。
痩せて、目やにが出て、よろよろとしか歩けず、荒い息をしていた。
今エバが同じように弱ってきていた。
我が家の女王エバが、あのエバが世界から離れていっているのが分かった。
母がエバを獣医に見せたが、特に病気ではなく、老化による衰弱であると言うことであった。


その年の冬、僕が堀炬燵に座って本を読んでいると、足が暖かく柔らかいものに触れた。
エバだった。
エバはすっかり小さくなって、大きい呼吸で堀炬燵の床の部分で眠っていた。
何故か急に、今この瞬間が最後のコミュニケーションの時間なのだ、という想いが胸に湧いた。

僕はその想いを、そうかも知れない、と受け入れた。
堀炬燵には潜り難く、エバを引っ張り出すのは気が引けたので、僕は足で出来るだけ優しくエバを撫でた。エバがどう思ったかは分からない。
ただ、エバの背中が呼吸と共に上下していた記憶、柔らかかった記憶、暖かった記憶だけ、今も僕の足に残っている。


次の日僕が仕事から帰ってくると、エバは既に息を引き取って、我が家の庭に埋葬されていた。

僕はエバの眠る場所に線香をあげ(そこは初めてエバが我が家に現れた室外機のすぐそばだった)、味のしない食事をし、自分の部屋に戻った。

ベットに腰かけると、涙が溢れた。

炬燵で足で撫でた時、覚悟したはずだったのに、涙は次から次へと溢れ、気が付くと僕はエバの名を、何度も何度も何度も呼んでいた。

エバはもういない。
いやまだ布団の下、堀炬燵の中、テレビの裏、開けっ放しの箪笥の引き出しに、冷蔵庫の上の生協の発泡スチロールの箱の中に、庭の片隅に、この家のどこかにいるのではないか。
呼べば億劫そうに出て来てくれるのではないか。

僕はエバを呼んだ。
もう本当にエバがいないのだと納得することは、その日は出来なかった。
次の日もその次の日も、頭では分かっていても、どこかでエバを探していた。
テレビで猫を見ても猫のカレンダーを見ても野良猫を見ても、エバに似た猫はいないか、探し続けた。



時として、時は優しい。

一ヶ月、半年、一年、二年と経つごとに、エバの記憶は意識の奥に沈殿していった。
思わぬことでエバを思い出す事は少なくなっていった。

悲しいときに、エバが背中を暖めてくれたことは、どうしても忘れられなかったけれど。



そして僕は震災の年に結婚し、エバと暮らした家を出たのだった。


最終話へ


「もし道に迷ったら一番良いのは猫についていくことだ。

猫は道に迷わない。」

チャールズ・M・シュルツ
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イチローがいなくなってからも、我が家の庭には野良猫が来ては去っていった。
何匹かは家に入ってくる資格を得たが、皆一様にエバに敬意を払った。
(エバが近づいてくる野良猫を威嚇するせいもあったが)


弟が育ち、猫が去来し、時間が過ぎていく間、僕はバンドマンとして活動を続けていった。
しかし結局あるとき紆余曲折を経て僕の所属するバンドは解散した。

大学を辞め、バンドも失った僕には、貯金もコネも社会人経験も資格もスキルも自信も何にも残っていなかった。そして、音楽に関わっていないと今までの人生が嘘になってしまう気がして、僕はそこに拘って、前に進めずにいた。


僕はそのうち、偶然知り合った小さい音楽事務所のプロデューサーと行動を共にすることになった。
そして、そのプロデューサーさんが押し出していた「 安室奈美恵とジミヘンと椎名林檎を混ぜたキャラ」という女性アーティストのバックでギターを弾くことになった。

今思えばそれは、逃避とも言える刹那的な選択であった。
しかし、僕の今までの人生を無駄にしないためには、目の前の音楽活動に飛び付くしかないように思えたのだった。



ある日、父が働く貿易会社のロンドンの支社で欠員が出たとのことで、お前行かないか、と父から誘いがあった。ロンドン。遠いけれど、僕はイギリスの音楽が好きだったので、興味は湧いた。
心配事は英語がほとんど喋れないこと、自動車の運転免許証を持っていないことで、このふたつはなかなかクリティカルな問題だと思えたが、行けば行ったで何とかなるだろう、という気持ちもあった。

僕は当時付き合っていた女性(現在の妻)に僕のロンドン行きに対する意見を訪ねてみた。

「え、私、待てないよ?」

これだけであった。



僕は父の誘いを断った。

父は残念そうにし、それから、お前はこれからどうするつもりなんだ、という話が始まった。

就職、結婚、将来。

お前は、一生懸命、誰かのために生きているのか?もうそうしても良い年ではないか?

そう問われ、僕は生まれてから27年間、いつも自分のことしか考えていなかった事に気が付いた。
自分のためにギターを弾き、自分のために恋愛し、自分のために働き、自分のために生活していた。
父や、他の敬愛すべき大人たちのように、他者のために身を削るだけの覚悟や愛情を持っていなかったのだ、と気が付いた。



僕は父の問いに何も答えられなかった。

無言の僕を置いて、父は僕の部屋を出ていった。

僕の部屋には二段ベッドがあって、僕は下の段に腰かけて父と話していた。
父は話している間、向かい合う形で椅子に座っていた。
エバが二段ベッドの上段で寝息をたてていた。

僕は悔しさと歯がゆさと無力さと今までの人生への無念さで泣いた。

父に聞こえないように、声を殺して。


気が付くと、エバが梯子を伝って上段から降り、僕の横に来ていた。
僕は泣きながらエバの背を撫でた。
エバは僕の手からスッと逃げて、僕の背中側に回り、背中を暖めてくれているように、僕の後ろで丸くなった。エバはすごく柔らかく、暖かく、小さい体から大きな優しさを放っていた。

エバは僕の涙か止まるまで、そこにそうしていてくれた。

僕はお礼の気持ちを込めてエバの頭を撫でた。

エバはちらと僕を見上げ、そのまま眠りについた。


次の日もその次の日も、エバは何事も無かったかのように、僕に接した。

僕も自分のペースで焦らず生きようと決意し、毎日はまた続いていった。



第5話へつづく

「猫に迎え入れられることより心が暖まることは、人生にはそうない。」

テイ ホホフ
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エバの子達がいなくなった後、エバの長男ウリにそっくりな雌の仔猫が家に迷い混んできた。

うちは縁側の三和土に猫の餌を皿に入れて置いており、いつでもよその猫がうちで食事できるシステムになっていた。猫好きの母がいつからか始めたことで、エバと息子たちの仲があまり良くなかったので、食事の場所を離すためにそうしたのかも知れない。エバ専用の食器は家の中にある。


ウリに似た雌猫はウリコと名付けられ、家猫としてエバと一緒に飼われることになった。
エバもウリコもお互いのことを気にしながらも、あまり干渉しないように努めているようだった。

そのうちウリコが妊娠し、4匹の子を産み、そのうち2匹が生き残った。仔猫は繊細で、多産だが生き延びる確率は高くなかった。
新たな2匹は両方とも雄で、エバは煙たそうにしていたが、やはりあまり干渉しようとしなかった。
2匹はイチローとシカマルと名付けられた。イチローは白黒のぶちで、シカマルは三毛猫だった。


その頃僕は大学をやめようかと悩んでいた。
国語の教員免許を取るために一浪して大学に進学したが、朝が早すぎ1限になかなか行けず、遅く登校しては友達と徹夜で麻雀してばかりいた。
僕は頑張ってお金を貯めて大学の近くに引っ越したが、生活費を自分で払うようにと言われており、僕は遅くまでバイトし、学校では寝る、バイトが無い日はマージャンをする、時々当時組んでいたバンドの練習に行く、という生活に陥った。

このままでは取るべき単位が取れない、と気付いたときには既に遅く、僕は皆が3年生に進学するタイミングで大学をやめた。



実家に帰ってきたら猫アレルギーが出るようになった。
もともとアレルギー体質だったのが、実家にいた頃は免疫が出来ていたようで、暫く実家と猫から離れていたことで再発したのだった。


ある日僕がベットで仰向けになって本を読んでいたら、エバが僕の胸に乗ってきて、そのまま寝た。
僕はエバを起こさないように静かに読書を続けたが、鼻がムズムズし、堪えきれずくしゃみをしてしまった。寝ていたエバは驚いて、反射的に前足で僕の鼻をばりばりと引っ掻いた。

その時僕はエバの右の前足を握り、彼女の目を見て、痛いからもうしちゃダメだぞ、と説教した。

エバは驚いた顔をした。そしてその後二度と誰かの鼻を掻きむしることはなかった。


エバは柔らかく、毛もふかふかで、撫で心地が良かった。
顎の下や耳の裏を撫でるとうっとりと目を閉じ喉をごろごろと鳴らしたが、あまりに気持ち良くなりすぎると興奮して暴れだす癖があり、加減が難しかった。


ルカやエバや仔猫たちは皆すくすくと大きくなった。
僕は大学をやめてバンドマンになった。曲を書いてギターを練習し、月に1、2度ライブハウスなどでライブをし、アルバイトをして暮らした。

ある日ウリコが他の家でまるで違う名前で呼ばれてご飯を貰っていると家族に聞いた。すっかり大きくなった仔猫たちを残してウリコは帰って来なくなった。

エバはそのことに無頓着であったが、ウリコの子供達がエバに近づくと歯を剥いて怒った。
パワーバランスはエバが最強であったが仔猫たちは空気が読めないらしく、なれなれしくエバに近づいては蹴散らされていた。

ある時ウリコの子供のうちの一匹、イチローが見るからに病気になり痩せ細ったので、母が獣医に診てもらいにいった。

その子は猫エイズと診断された。
もう余り長くないと言う。

母は出来るだけのことをしようとイチローを何度も何度も獣医に連れていった。
薬を餌に混ぜて食べさせ、体を暖めた。

しかし看病の甲斐なく、イチローは通院用の白いゲージの中で息を引き取った。

誰でもいつか必ず別れが来るのだ、と僕たちは思い知らされた。

イチローが逝ったのは晩秋で、家の中が少しだけ寒くなった気がした。


第4話へ


「惨めさから抜け出す慰めは2つある。音楽とネコだ。」

アルベルト シュバイツァー
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1998年の2月頃、受験勉強真っ只中の僕と弟に、母から「赤ちゃんが出来ました」と報告があった。
思わず僕は「誰の」と聞き返した。母は当時40歳であった。
母は「私と父ちゃんの子に決まってるでしょ」と怒った。

胎児は既に5ヶ月で、母の年齢が年齢なので安定期に入るまで黙っていたのだと言う。
夏には新しい家族が増えるのかと思うと、嬉しさと困惑が混ざった複雑な感情が胸に去来した。その子がはたちのとき母は60歳、父は64歳で僕は39歳だ。現実感が湧かない。

さらにそれから暫くして、仔猫のはずのエバが妊娠している事が発覚した。

うちに遊びに来た友人が、玄関先でエバが知らない猫と交尾しているのを見たと言っていた事があった。その時の子なのだろう。仔猫が仔猫を生むのは納得できなかった。うちの子になにすんの、と言う感情である。


猫の妊娠期間は65日前後で、新しい赤ちゃんが生まれる直後くらいに猫の子供も生まれるタイミングとなった。


7月に弟が生まれた。

ものすごく安産だったと言う。弟はルカと名付けられた。

直後にエバも6匹子供を生んだ。しかし生き残ったのは2匹だった。
エバは日頃の獰猛な性格を忘れたかのように子供達に母性愛を見せた。仔猫の首根っこをくわえ、より居心地の良い場所に移したり、母乳をあげたり、甲斐甲斐しく子供たちの毛並みを舐めたりしていた。
母が押し入れのなかに段ボールと毛布で猫のために小さな出産と育児用の部屋を作った。猫達はその中で必死に、そして幸せそうに生きていた。


仔猫達は始めハムスターのように小さかったけれど、すぐにすくすく大きくなった。
一匹は猪の子みたいな柄だったので僕たちはその子をウリと名付けた。もう一匹は真っ白だったのでシロと言う名になった。

我が家に一気に命が増えた。

猫達は人間の赤ん坊のルカに気を使っているようだった。適度な距離を守る。


人の子供より猫の子供の方が成長が早い。猫たちはあっという間に大きくなった。

仔猫達が大きくなると、エバは息子たちに敵対心を剥き出しにするようになった。ウリとシロが近づくと歯を剥いて毛を逆立てた。
ルカには相変わらず近づかなかった。ルカから近づいて来たときは、神妙にしていた。


僕は浪人生で予備校の時以外はほとんど家で勉強したりギターを弾いたりしており、自然とルカをあやしたりオムツを変えたりする役割を与えられた。
ルカが寝ないときはディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを聴かせた。脳への情報量が多すぎると眠たくなるのだと言う。実際激しい音楽を聴くとルカはすぐに寝た。


半年ほどして仔猫達はすっかり大きくなり母猫のエバの体躯をとっくに追い越していた。
あるとき僕はルカを抱いて2階から階段を降りようとし、途中の段で寝ているシロを思いきり踏み、階段を数段滑り落ちた。僕はルカを護ろうと抱き締めた。幸い僕は尻餅をつく形で着地し、ルカと共に無傷だった。シロの叫びが耳に残ったが、ルカが無事だった安堵感が勝った。

それから暫くして、シロは家を出ていった。

何処かで今も元気でいて欲しいと心から思う。


それから、いつのことだったか正確には思い出せないが、ある日突然ウリが病に弊れた。
そしてエバは独りになった。

その事に対してエバは特に何も感傷を抱いてはいないようだった。


それから僕たちはエバに避妊手術を受けさせた。
子供を埋めなくなったエバは、急に幼くなった。
少しだけ刺が無くなり、以前より甘えるようになり、目が輝いていた。

2年経ち、僕は大学に通い、ルカは喋るようになった。

ルカの最初の言葉はパパでもママでもなく「エバ」であった。


第3話へ