敏腕Pの日々のつぶやき

テアトルシアター代表。担当舞台作品について他、演劇やスポーツ等々の雑感を気の向くままに。

kasabuta

2018年05月22日 | 身辺雑記
前々回「KIZU」という題名で
同タイトルの芝居について綴った。

で、出演していた佐々木仁吉、
小川英樹が、遠い昔から
熱い男の芝居を続ける……
とも書き、自分も少々関わったが
長い昔語りになるからと、
中途で筆を止めたのだった。

それを今日はちょびっと書く。
ただ、あまりにancient過ぎて、
正確な「年号」が判らない
恐らく平成ではあったと思う。

ワイルド・ライフ・メーカーズという
劇団がかつてあったのだった。
世の小劇場ブームの波にも乗り、
東京芸術劇場小ホール1
(現在のシアターイースト)で
公演を打つところまで疾駆した。

はなたれ小僧だった自分は、
「制作」ではなく「雑用」として
その公演をはじめとして、
何本かW.L.M公演に関わった。

道具作りの手伝いをしていたら、
ノコギリ片手の自分の肩を叩いた
若さんが「音響オペやって」と。
本番三日前だったから「無理無理」
と抗ったのだが、敵うわけもなく、
結局オープンリールとCD2台使いで
芝居に音を当てたりもした。

「オープンリールとCD」が、
もう「歴史」を物語っちゃってます。
あ、若さんてのはW.L.Mの代表で、
作演出と主演を担っていた若林立夫。

さて。
小劇場演劇において、500の壁、
1000の壁、3000の壁……と、
集客におけるハードルがあり、
それを飛翔して行くと「食える」。
そう、まことしやかに言われていた。

そこはハショる。

そんな夢みる集団の多くは、
道半ばで内側から割れることがあり、
W.L.Mから袂を分かったのが、
アクトB-GUNで初代座長が佐々木。

そこに現れたのが迫田圭司。
彼も、紅×[DISH]公演『KIZU』
に出演していたが、佐々木から
「一緒にやってくれよぉ〜」と
誘われての出演だったらしい。
迫田の演劇界での通称は「しゃこ」。
名付け親も佐々木だという。

そんな佐々木、20年ぶりの板だと
とてもそうは思えないキレのある芝居。
オープニングから、いきなり彼の
男気溢れるアクションが炸裂し、
往年のアクトB-GUNを彷彿とさせた。

ああ・・・
殺陣とかダンスとか満載の芝居から
随分と遠ざかっておりますよ。
いや、その手が大好きって
わけじゃないんですけどね……。
ある強い郷愁には襲われました。
そんなわけでブログタイトルが
・・・「瘡蓋~kasabuta」。


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