あの、これ店員じゃなくて、
氷ですけど。
氷?知るか!
さっきも荒い対応の奴がいたぞ。あ、こいつだ、こいつ。
あのこれおろし金ですけど。
はぁ、おろし金?お前の店の者だろうが!
いや・・・これ、商品ですから・・・
そうそう、さっきいたあいつも最悪だったな。今流行りの塩対応ってやつ?
あ、いたいた。こいつだよ。
うんやっぱりね、これ塩ですから。
この店どーなっとんじゃー!
あんただよ。
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この前、レジで接客態度が冷たいなぁと感じた人がいた。
そして、僕は少なからずその人の態度に対して何だかんだジャッジしている自分に気付いた。
まぁ、ジャッジすることも別に悪くはないのだが、もしあの冷たさが氷だったなら・・・とふと考えた。
あの店員さんが氷だったのなら・・・と、訳の分からない空想をしてみた。
もしそうならば冷たい態度というものも、「冷たっ!」以上、終わり、で何の後腐れもなく「次いってみよー」となれるのでははないだろうかと。
そこに、良いとか悪いとか、もっと丁寧であるべきだとか、こっちは客だぞとか、色んな価値観が入ってくるからややこしくなるわけで、冷たいものは氷だと思えれば「冷たっ!」ですべてオッケーになってしまう。
私たちはこの地球に、物理次元に何をしに来たのか?
それは「違いを味わうため」といっても過言ではない。
だから、あえてエネルギー状態に戻って全員で一つにならずに、それぞれの肉体という分離した物質の状態を保っているのだ。
違いに良い悪いはない。
冷たいものは、氷を触ったように冷たいなぁと感じるだけ。
冷たければ冷たいほど、遊園地なんかにあるマイナス180度の世界みたいに、「すげーマジでめっちゃ冷たい!」と感嘆して終了。
これが本来のこの世界の味わい方でもある。
だから、相手に自分と同じ感覚を求めてはならない。
「本来、こうであるべきだ」なんて価値観を押し付けてはならない。
それは違い満載ワールドである地球では、叶わない夢でもあるのだ。
違いをジャッジするのではなく、氷や塩に対する態度のように、それそのものの感触や感覚を五感で味わってみること。
あまりに自分と違い過ぎる人は、幻の生物ツチノコ並みに珍しい種なので、しっかり鑑賞しておいた方が良い。
肉体を脱ぐと残念ながら同じ種類の人(波動)としか接触できなくなるのだから。
ということは、違いを認めず「温かいのがいい、ぬるま湯がいい」とこだわり続けた人は、死後、温水さんばかりの世界へ行くことになる?(笑)
なかなかハードだ・・・。
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おい、こいつらもガラが悪すぎるぞ!
ただのヒョウ柄でしょ。
人柄もただの服の柄を味わうように楽しむべし。
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