田の神様のつぶやき

歳とともに憂国の情深まり、日本の将来を政治経済の在り方から見つめていきたい。

マスメディアも「リベラル」「自由主義」の言葉を借りずに政策そのものを解説せよ

2018-02-20 16:54:38 | 日記

 田の神様は昨年12月19日に“私にとってブログとは”で、マスメディアは冷戦時代に分析した概念で「リベラル」とか「保守・革新」の評価をそのまま使っていると述べた。それは私が最近、マスメディアの政党や専門家の評価に対してソーシャルメディアの解説でチェックしているからである。ところが今日26日の地方紙・共同通信の“近代再考”で「リベラル」という言葉どうなのかと問いかけている。以下そのまま抜き書きする。(一部の抽出は誤解を招くので、皆さんもぜひ地方紙を見ていただきたい。)

「導入部」 昨年の衆院選で注目された「リベラル」という言葉。直訳は「自由な」「自由主義の」だが、政治勢力の名称としては「あいまいな」「かつての『革新』の言い換えにすぎない」と評判が悪い。

「囲み解説」 日本の政治勢力としての「リベラル」の呼称は、ソ連崩壊や政界再編が進む1990年前半から、社会党の右派や自民党の「ハト派」と目される議員たちを指して使われ始めた。現在では立憲民主党、社民党、共産党を「リベラル」とし、自民党を中心とする「保守」に対置することが多い。政策的には、格差是正や脱原発などかつての「革新」に重なる部分がある一方、安全保障や経済政策における体系的な政策を打ち出せていないのが実情だ。

「本文」 苅部直東大教授は(リベラルや自由主義の言葉が)「軽々しく用いられるのは、自由の価値が本当の意味で信じられていないからではないか」と問う。坂野潤治東大名誉教授は「今の『リベラル勢力』は、あいまいなリベラルでなく、デモクラシーで堂々と勝負すべきだ」と指摘する。

 両教授の指摘はマスメディアにもあたる。マスメディアはリベラル、自由主義、保守・革新、さらには立憲主義と言う(既成概念の)言葉を借りなくても、政策そのものを解説できる力量を持て。(その上で、野党にも「それじゃ、君たちの政策はどうなのか」と問うべきである。)


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