紹興 | おいら男子汉大丈夫

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泰州→上海→杭州→桐乡→上海→海門、いったいどこまでおいらの道は続くんだろう!  

日曜日はお助けマンがかねてから行きたいと言っていた紹興に行ってきた。

紹興といえば日本では紹興酒で有名だが、中国では一般に黄酒と呼ばれる。
上海では上海老酒が有名では有るが、日本人から見ればみんな紹興酒というくくりになってしまうのだが。
紹興では女儿酒というのが有名で、娘が生まれた時に酒を仕込み嫁いでいくときにそれを持たせたらしい、普通は十代後半で嫁ぐので十数年ものの紹興酒という事になる。
今回は自分で車を運転していった、杭州から高速を使い紹興市内まで約1時間。
まずは魯迅の生家に行く、そう魯迅は紹興で生まれたのだ、上海に魯迅公園や墓が有るのだがこれは最後の数年を上海で過ごしたためだ。
おいらは魯迅についてほとんど知識が無い、名前は知っていはいたがその小説を読んだこともなかったので、日本と縁が深い魯迅を少しでも知れればいいなと思う次第だ。
理由は分からないが生家は身分証明書が有れば無料で入場できた。
ここは魯迅のおじいさんの家で、魯迅はおじいさんもお父さんも早くに無くし、家そのものは凋落してしまったとのことだ。
次に魯迅記念館、ここは子供時代から亡くなるまでの軌跡と、それに関連する資料等が展示されている。
ちょうど日本人年配者のツアーが来ており、マイクでガイドが日本語で説明をしていた、ちなみに中国でもツアー旅行が有るのだが参加者全員に同じ帽子をかぶらせている、きっとそうでもして識別しないと、勝手にどっかにいっちゃって収拾がつかないんだろうな。
そしてお助けマンお待ちかねの紹興黄酒館、まあ簡単な紹興酒の説明が有るだけで、実際は各メーカーの販売店の集まりだった、値段は市価の一割増しってところだ。
それから徒歩で沈园という所に行く、宋の時代のという姓の富豪の庭園で、全部で70(46620㎡)の広さが有る。
古いあずま屋と池、植樹が有る普通の庭園だったが、発掘調査で出て来た各年代の発掘品が展示されている展示館が有る。
今回はここまでにして帰宅した、調べると紹興は江南特有の運河の発達した古い町で、まだまだ他に多くの観光地が有る、そのうちまた来ようと思う。













魯迅の生家。日本に留学できたわけだからそれなりに資産家だったのだろうが、祖父、父ともに比較的短命で家自体は凋落していった。魯迅が生まれたのは1881年、中国は清朝、日本では明治維新後まもなくで西南戦争の3年後だ。没したのは1936年、盧溝橋事件の前の年である、その間に中国では辛亥革命によって中華民国が設立され、日本では日清、日露戦争が勃発した。辛亥革命の中心人物の孫文もまた日本に縁の深かった人物だ。

魯迅の本名は周樹人といい、同じ名字の周恩来もまた紹興の生まれである。





魯迅記念館、日本人の団体旅行客も来ていた



魯迅記念館に展示してある魯迅のデスマスク









紹興黄酒館、まあ紹興酒の販売所だわ









沈园、まあとりたててて書くことは…無い






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