苦手意識とキュウリ | 精神科看護師yasu の猪突猛進ブログ

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精神科看護の探求をテーマに、書評や日常感じたこと、不定期で投稿します。
という訳で「精看探求士」というネームでtwitterもつぶやいています。そちらも、どーぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m

相談の中で多いテーマに、「あの人がどうも苦手、あまり近くにいてほしくない」などという人間関係上での苦手意識がある。
些細なことが原因であることも少なくない。
挨拶したのに、無視されとる気がする。
いつも割り込んでくる。
当番とか面倒なことは私に押しつけて、あの人は遊んでいる。
挙げればキリがないくらい、次々と出てくるような場合には、既にストレスフル状態。
嫌な部分しか見えていない。
良い面など見ようともしない。
視点の変更を促すべく、相談を受けた者は「でも、あの人はこういう良いトコロがあるでしょ」と伝える。
しかし、なかなか素直に聞き入れてくれるケースはないだろう。
「別に。たいしたことないじゃん。こっちの方がしんどいんだから・・」

直ぐに打開策が見いだせない場合は、とりあえず嫌な思いを相手に表出せずに相談することが出来たことを賞賛する。
それだって立派なことだよと。
自己分析がうまくいかないので、相談をもちかけ、また同じようなストレスを溜めて悩み、相談する。
繰り返すうちに相談しても何の変化もない相手に憤りを感じ、さらには相談に乗ってくれる人に対しても無能だと切り捨てる。
こうなると、自分のことを誰も分かってくれない。
周りは全部敵状態。
自ら招いている。

以上のようなケース、思春期の子供に手を焼いている方など、共感を覚える人もいるだろう。
大人でも珍しいことではない。
立派な地位のある方でも、特定の人とは険悪な仲であるとか。
では、どうすれば苦手意識を克服できるのだろう?
私はこのように考える。
☆嫌いな食べ物を減らしていけばよい。

何をいきなりと思われるかもしれないが案外、当たっていると思っている。
食べ物に限らず、これは嫌いだ、これは自分に合っていない等という価値観。
アレルギー反応のように無意識的な一連の流れが形成されているのではないか。
自分が苦手だと思いこんでいたものに改めて挑むと、実はそうでもなかったなという体験があるだろう。
キュウリが苦手だと幼少期から思い続けている人は、大人になってから口にすることがない。
しかし、思い切って口にすると美味しいと思えるかもしれない。
苦手の克服体験を通して、人間関係の苦手意識にも影響を与える。
断っておくが、特に根拠はない(笑)