暖かくなってほっとした。胴周りのことである。
 一週間ほど前に北陸方面で春一番が吹き、京都でも気温が十二、三度まで上がった。なるほど、二十四節季で雪が雨に変わる雨水(うすい)だ。まだだいぶん先だけれど、なるほど三寒四温は紛れもなく春を呼んでいる。
 京都の冬は底冷えがする。北海道や東北の方々には言うのも憚られるが、寒いものは寒い。日本海から吹き込む大陸の寒気団が若狭湾を渡ってくる。京丹後の山々の上空で冷え、凝縮し、愛宕山や比叡山の峰々から盆地の底に冷気が吹き降ろしてくる。
 三方が山に囲まれている京都である。寒気は行き場を失い、辻々に張り付く。とくに雪のない日の方が寒いという。大気に湿気が吸い取られ冷気だけが蟠るからだ。足の裏がちんちんし、耳や首に冷たい鏝を当てられたような痛みが走る感じだ。寒いとき金属に触れたら熱いと錯覚するときがある。冷え切った京都の冬はそんな寒さである。
 もとより寒さには弱い体である。毎冬、越冬防寒対策を行っている。この冬も下着は上も下も某社のヒートなんとかを着続けていた。暖かい。タウン着としては十分である。おかげで咳ひとつしないでひと冬越せそうである。使い捨てカイロも一度も用いなかった。洋服による寒さ対策に間違いがなかったということである。
 だが窮屈だった。スーツのサイズはA6。身長一七二、ウエスト八二の中肉中背を絵に描いたような体格である。もう五年ばかり同じサイズで通しているのが密かな自慢である。周りでは臍回り八五を超えメタボアウトが増えているが、まだどうにかアンダーを維持している。
 だがこの冬、タイツを穿くとズボンがきつかった。へそ回りも、股座も、太腿もパツパツである。毎朝の出勤の身支度。着るものは吊り売りの紺の上下。箪笥はどれも同じA6だらけである。代わりはない。ホックやボタンが留まらない。焦る。お腹を引っ込めてようやくである。気を抜くと腹筋がたるみ、腹が出る。苦しい。太腿の方もきつい。このままメタボに突入するのだろうか。
 その不安は気温の上昇とともに霧散した。前日の陽気である。梅の名所の北野天満宮でも花がほころんだ。その朝、ヒートなんとかいうタイツを穿かなかった。靴下をはいてすぐスーツのズボンをはいた。ホックもボタンもすんなりはまった。腹回りがラクだ。股座にゆとりがあり、しこさえ踏めた。得した気分になった。
 よしと、外へで出た。東雲が淡くとき色に染まっていた。タイツを脱いだら心もなんだかぽかぽかして来た。身軽になって気持ちも弾んだ。

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