内的自己対話-川の畔のささめごと

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今も生成し続ける「生きた混沌」としての福永光司『荘子 内篇』(講談社学術文庫、2011年)

2024-04-24 15:27:39 | 読游摘録

 1966年に原本が朝日新聞社より刊行された福永光司(1918‐2001)の『荘子 内篇』(1956年の旧版に補訂を加えた新訂本)は、2011年に講談社学術文庫として再刊された。この紙版は現在古書でしか入手できないようであるが、電子書籍版が2017年に刊行された。私が読んでいるのはこの版である。紙版もぜひ入手したいのだが、状態の良い中古本にはかなりの高値がついているし、海外への発送を受け付ける古書店はまだ少ない。
 ちくま学芸文庫版の『荘子 内篇』(2013年)は、福永光司/興膳宏・訳となっていて、その解説は福永光司が書いているが、講談社学術文庫の解説との間にはいくらか異同がある。『荘子』の現代語訳は興膳によるものであり、各篇の冒頭の解説文は、学術文庫版と比べて大幅に簡略化されている。
 学術文庫版は、『荘子』の本文と福永の解説が渾然一体となっており、全体が一つの作品になっていると言ってよい。福永自身、新訂本はしがきで、旧版について「生きた混沌」と言っている。『荘子』そのものの解釈及び理解に関しては、今日学術的な観点から福永のそれを訂正しなくてはならない点が少なからずあるとしても、古典の訳と注解が己の実存を賭けた作品になっている点で福永の『荘子』は稀有な一書である。
 この記念碑的名著について、興膳宏はちくま学芸文庫版のあとがきにこう記している。「私は若いころ、福永の『荘子』内篇を読んで、すっかり感激した。そのころ『荘子』の注釈書はまだほとんどなかったが、この書は『荘子』の思想を専門家向けに説いたアカデミックな注釈書ではなく、一般の読者をも想定した解説書である。難解な『荘子』の思想をせいぜい平易に解きほぐして、日ごろ中国の古代思想になじみのない人をも引きこむ清新な創見に満ちていた。またそこには、かつて福永が中国の戦場で体験した過酷な現実を見つめる眼が潜んでいた。頭だけの理解ではなく、いわば自己の全実在を投じた理解の重みが読む者を圧倒したのである。」
 学術文庫版の「あとがき」から引用する。

終戦に一年半おくれて再び内地の土を踏んだ私の生活は、荒れ果てた祖国の山河よりも、なお荒涼としていた。しかし、私は、もう一度学究としての道を歩こうと決意した。再び郷里を離れるという私を見送って、年老いた父が田舎の小さな駅の冬空のもとに淋しく佇んでいた。私はその淋しい姿を去りゆく汽車の窓に眺めながら、学問とは悲しいものだと思った。その父の悼ましい急死が、五年間の空白を旅先の学問の中で戸まどっている私の無気力と怠惰を嘲笑したのは、昭和二十六年五月十九日のことであった。変り果てた父の屍の手を取りながら、私は溢れ落ちる涙をぬぐった。私の半生で一番みじめな日であった。黄色く熟れた麦の穂波の中を火葬場の骨拾いから帰りながら、私は荘子の「笑い」の中に彼の悲しみを考えてみた。打ち挫がれた私は南国の五月空を仰いで微笑みを取り戻した。私にとって、『荘子』はみじめさの中で笑うことを教えてくれる書物であった。

私は与えられた境遇の中で、自己の道を最も逞しく進んでゆくことを考えた。荘子の高き肯定には遠く及ばぬながらも、私の心には何か勇気に似たものが感じられるようになった。私にとって『荘子』は、精神の不屈さを教えてくれる書物でもあったのである。

私のこのような『荘子』の理解が、十全に正しいという自信は、もとよりない。しかし私にとって、私の理解した『荘子』を説明する以外に、いかなる方法があり得るというのであろうか。字句の解釈や論理の把握で、誤りを犯した部分は人々の教えによって、謙虚に改めてゆきたいと思っている。ただしかし私としては、私のような『荘子』の理解の仕方もあるということを、この書を読まれる方々に理解していただければ、それで本望なのである。そしてもし、死者というものに、生者の気持が通じるものならば、私は歿くなった父にこの拙い著作を、せめてものお詫びとして、ささげたいと思う。