富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

 「悔改めの使信:十字架を欠いたアレオパゴスの説教」使徒言行録17章22~34節

2017-06-18 00:03:41 | キリスト教

      ↑ アレオパゴスの丘。アレオパゴス(軍神アレスの丘)は、パルテノン神殿のあるアクロポリスの山の北西に位置しここからアクロポリスの全体が見える。

               アレオパゴスから見たパンテノン神殿

 かつてこの丘にはギリシャの祭壇や神殿聖所が有ってアレオパゴスの野外評議所も開かれた。今日は地震のため半分以上崩れてしまい、ベンチ状の石の座席が幾つか残っているだけ…かつて使徒パウロもここでアテネの人々に聖所から話した。この丘からはアゴラ(広場)や市の建つ広場などが良く見える。

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

   日本キリスト教 富 谷 教 会 週 報

年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』

聖句「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)

   聖霊降臨節第3主日  2017年6月18日(日) 午後5時~5時50分

    礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 441(信仰をもて)

交読詩編   17(主よ、正しい訴えを聞き)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳) 使徒言行録17章22~34節(p.248)

説  教   「悔改めの使信:十字架を欠いたアレオパゴスの説教」 辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌   430(とびらの外に)

聖餐式    78(わが主よ、ここに集い)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏   

             次週礼拝 6月25日(日)  午後5時~5時50分

             聖書  フィリピの信徒への手紙2章12~18節

             説教   「世の光としての使命」

             讃美歌(21)56 441 24 交読詩編67

 本日の聖書 使徒言行録17章22~34節

 22パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。 23道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。 24世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 25また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。 26神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。 27これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。 28皆さんのうちのある詩人たちも、
『我らは神の中に生き、動き、存在する』
『我らもその子孫である』と、
言っているとおりです。 29わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。 30さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。 31それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」

  32死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。 33それで、パウロはその場を立ち去った。 34しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

     本日の説教

    

   ラファエロ・サンティ 「アテネ(アレオパゴス)で説教するパウロ」1515年作    バチカンのシスティ―ナ聖堂のタペストリーの絵 右下の二人は回心した議員と女性 

 今日の聖書の箇所は、使徒パウロがギリシャのアテネで民衆に福音を語ったときのことが記されています。パウロの第二回伝道旅行中のことです。

 アテネは紀元前四世紀から五世紀にかけては、学問と芸術の町でしたが、パウロがこの町に到着した紀元50年頃は、以前としてギリシャ文化の中心でしたが、最盛期の文化の輝きは失われ、政治や商業の面では、その中心はコリントで、コリントが州都となっていました。アテネは当時、約五千人ぐらいの小さな町でした。

 テサロニケを追われ、ペレアでの妨害を避けて、アテネの町にやって来たパウロは、同伴者シラスとテモテの二人がペレアから来るのを待っている間に、アテネの町の至るところに偶像があるのを見て憤慨しました(17:16)。それで、安息日には会堂でユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、週日には広場(アゴラ)で居合わせた人々と毎日論じ合っていました。またエピクロス派やストア派の幾人かの哲学者たちもパウロと討論しました。エピクロス派とは、神々の存在を信じるが、この神々は人間の生活には関心を持たないと教え、彼らは、特に死の恐怖から免れる快楽を人生の主要目的としました。ストア派とは、神と宇宙、または神と自然とは同一であるとみなし、宇宙精神と一致した生活を目指す禁欲的な哲学です。

  彼らの中には、パウロを「このおしゃべり」と学者的に軽蔑する者や、他の者は、「彼は外国の神々を宣伝する者らしい」と言う者もいました。パウロが、イエスの復活を告げ知らせていたので、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか」と言ったのです。

 

 そこでパウロはアレオパゴスの真ん中に立って話しました。アレオパゴスとは、標高115mもある丘で、その南東の尾根のかなりの人数の人が集まれる場所です。

  「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。

 「アテネもみなさん」と語りかけます。アレオパゴスでの説教の序論にあたる部分です。この説教は好意を得ようとする巧みな試みで始まります。偶像を見て憤りを感じていたのに、アテネの人々は信仰のあつい方々だと言っています。パウロが取り上げたのは「知られざる神」でした。パウロは「あなたがたが知らず拝んんでいるもを知らせましょう」と「知られざる神」を手がかりに聖書の神を知らせようとします。

 「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。

 本論の第一部です。聖書的「天と地」を「世界」という語を用いて、神は天地の創造者であり、主であると宣言します。次に神が「手で造った神殿などにはお住みになりません」と神殿を批判をします。そして、「何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。」と祭儀を批判をします。そしてその理由が、イザヤ書42章5節の自由引用によって、神が万物を与えるお方だからだ、と語りました。イザヤ書の「霊」の代わりに「命」を用い、世界の創造者が人間に命と息を与え、「万物」を与えた方であると宣言します。

 「また、神は一人の人から全民族をお造りになりました。それは彼らを地の全面に住まわせるためです。そして、一定の季節と彼らの居住地の境界をお定めになりました。それは神を求めさせるためです。もしかしたら彼らが神を探し求め、見つけ出せるのではないか、ということなのです。事実また、神はわたしたち一人ひとりから遠く離れてはおられません。

 本論の第二部です。神による世界創造信仰を語り、人間創造とその二つの目的を示します。第一の目的は、人間を「地の全面に住まわせるため」です。第二の目的は、「神を求めさせるため」です。

 「皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。

 本論の第三部です。紀元前270年頃のギリシャ詩人・アトラスのゼウス賛歌の中にある「我らもその子孫である」という言葉を、聖書引用のように引用します。そして「わたしたちは神の子孫なのですから」という理由にもとずいて、偶像を批判します。

 「さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。

 三部からなる本論が終わり、結論です。世界史はイエスの復活によって二分され、復活以前の神に対する「無知な時代」は、神は大目に見てくださるが、復活以後の無知は許されません。だから今、神は「どこにいる人でも皆」「悔改める」ようにと宣言します。その理由は「お選びになった一人の方」、キリストによって世界を裁く日が行われる。その裁きは、神は「この方を死者の中から復活させ」た出来事によって、すべての人に確証されている、と言って、説教は終わります。

 「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。

 「死者の復活」は、彼らにとってはあり得ない迷信です。彼らは霊魂の永遠性は信じているが、身体の復活は信じません。死者の復活を聞いたエピクロス派の「ある者はあざ笑い」、また、ストア派の「ある者はいずれまた聞かせてもらおう」と言って去っていきました。

それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

 パウロはアテネを去りましたが、ある者はパウロの宣べ伝えた福音を受け入れ、信仰に入ったのです。少なくとも四人はいますが、その中には二人の有力なアテネの市民も含まれていました。アレオパゴスの議員ディオニシオとダマリスという婦人などです。神の前にはこの何人かが尊いのです。

 パウロがアテネを去ってコリントに行ったとき、コリン ト書一、2:3には、「わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安」だったとパウロは語っています。パウロのアテネ伝道が失敗だったように思わせますが、しかし、ルカの記す使徒行伝では、アテネ伝道はむしろ成功したように記しているのです。パウロも何人かを得ただけで満足したと思われます。このような伝道のあることをこの箇所は告げています。

 使徒言行録の成立年代は、ルカ福音書の成立(80年代)からあまり時を経ていない90年代と見做されています。レオパゴスの説教の中に、神殿批判がありますが、このような神殿批判は、紀元70年のエルサレム神殿崩壊以後、初めて可能になったのです。パウロのローマでの殉教は紀元60年頃です。アレオパゴスの説教は、語り手パウロの説教そのものではなく、使徒言行録の著者ルカによる編集によるもので、世界最高の文化に接している異邦人信者の読者に対しての福音の宣教と見做されます。たとえパウロによる説教でないとしても、問題は福音の異教文化との接触、その説き方が示されてえいるきわめて重要な御言葉です。

 この説教で、語られていないのは「キリストの十字架」です。神は「無知な時代を大目に見ていたが」と語っていますが、このことは、パウロ自身の言葉を借りるならば、神の「豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじ」(ロ―マ2:4)、神の怒りを蓄えていたことになります。神はこの罪を御子イエス・キリストの十字架の死で贖ってくださったのです。アレオパゴスの説教では、神が裁く日をお決めにになり、先に「お選びになった方を者者の中から復活させて」と、キリストの復活についてはふれているが、神の裁きを罪人に代わって受けられた「十字架のイエス・キリスト」については語っていません。これでは悔い改めにせまる使信にはなりません。パウロはこことを悟ったのでしょう。コリントの信徒へ宛てた手紙では、「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけらえたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」(コリント一、2:2)と語っています。アレオパゴスの説教でかけたものは、「十字架につけられたキリスト」を語らなかったことです。

 

 

 

 

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