映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

パターソン(2016年)

2017-09-15 | 【は】




 アメリカ・ニュージャージー州パターソンに住むパターソンはバスの運転手。

 ♪月曜日は6時半頃起きて~、仕事して、夜はバーへ行く~、火曜日も6時半頃起きて~、仕事して、夜はバーへ行く~、水曜日も6時半頃起きて~、仕事して、夜はバーへ行く~、木曜日も、、、、以下同。

    
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 ジャームッシュ作品、初挑戦! ……と思って見に行ったわけで、帰ってきてから、ネットでジャームッシュ作品リストを見ていたら、なんと、今回が初挑戦でないことが判明してしまった!! 『ブロークン・フラワーズ』というのを見ていたのだった、、、。けど、ほとんど記憶にない。というか、正確に言うと、『ブロークン・フラワーズ』は、あまりにつまらなすぎて途中から爆睡、再見する気にもならずDVDを返却したことを覚えていたのであった、、、。『ブロークン・フラワーズ』のスチール画像を見て、あぁ~~っ、これは!! と。そーだったのか、あれはジャームッシュ作品だったのか。

 まあでも、本作は、途中で爆睡もしなかったし、つまらないとも思わなかった。あちこちで評判がいいのも、ちょっと分かる気がしたかも。


◆何事も起きていないようで、起きている。

 パターソンに住むパターソンという男、、、、なんて紛らわしい。最初のうち、分からんかったゾ。

 ……まあ、本作は、ものすごーく単純に言ってしまうと、日々のよしなしごとのキラキラ(?)を描いているってことだろうなぁ。こんな、一見平々凡々な生活の中にも、小さな幸せやハプニングがあるのさ、みたいな。そう書いてしまうと、メチャメチャ陳腐でしかないけれど、それを陳腐に見せないところがジャームッシュなんだよ、ってことなんでしょーか??

 冒頭の内容紹介は、ロシア民謡の「一週間」のメロディーを思い浮かべて書いてしまった。本作の中で「月曜日」「火曜日」と日々の曜日の字幕が出るので、頭に浮かんじゃったから。まあ、それくらい、パターソンの日々はパターン化している。といっても朝起きる時間を、「6時半頃」にしたのは、6時半の日もあれば、6時15分くらいの日もあれば、わりかしまちまちだったのよね。

 思えば、多くの社会人の日常は、パターソンの様にパターン化しているのではなかろうか。もちろん、私の日常もパターン化。このパターンが崩れると不安になるんだからね。でもさ、パターソンはバスの運転手なわけで、バスの運転手ってのはシフト制じゃないのかね、フツーは。始発が遅く、終発が早い、稼働時間の短いバスなのか? ここが私は冒頭から引っ掛かった、、、といっても、後々の鑑賞に響くものではないけれど。

 でもって、パターソンは、詩を書く専用のノートを持ち歩いて、仕事の始まる前に運転席で詩を書く。で、このノートに書かれている詩を単行本化することを、妻のローズがしきりに勧めている。「お願いだからコピーとって」というローズに、パターソンは、「じゃあ、今度の週末とるよ」と答える。

 ローズは、専業主婦? よくわからないけど、独特のセンスで、DYIにいそしみ、パターン化された日常でありながら、インテリアは月曜日から少しずつ変化していて、週末にはほとんどモノトーンに統一されている。

 こういうところも、パターン化の中の非パターンなことや小さな変化を描いている、、、とも言えるのかも。

 パターン化された行動をする夫と、アクティブで押しの強い妻、、、という一見正反対なキャラの夫婦だけれども、相性は良いらしく、とても仲が良い。まあ、詩の創作とDIYと、双方クリエイティブであるという点は共通しているし。ある意味、そこが通じているのは大きいのかも。お互い、あんまし干渉し合わない。パターソンは束縛を嫌い携帯さえ持たない、ローズはSNSも積極的にやっているけど、どちらも、それやって、とか、それやめて、とか言わない。2人が結婚何年目か分からんが、結婚3年以上経っていて、この状態なら、これは尊敬に値するなぁ……。何年も広くない家に一緒に住んでいて、あのお互いのペースを尊重し合い、干渉し合わずにいられるのかは、かなり疑問だわね。

 
◆“詩”は苦手です。

 で、この映画で重要なアイテムが、私の苦手な“詩”なわけ。私は、この“詩”ってのが、どうも好きになれない。いや、いいな、と感じる詩もあるんだけど、それはホントにごくたまに。大抵は、詩を読んだり聞いたりしても、今一つピンとこなかったり、まったく意味不明にしか思えなかったり、最悪の場合は「何スカしてんだよ」とか思っちゃう。川柳や俳句、短歌の方がまだしも味わう気になるし、良さを感じることが多い。

 ただまあ、これは感性の問題だし、本作でも終盤永瀬が出て来て言っていたが「詩を翻訳するなんてのは、レインコートを着てシャワーを浴びるようなものだ」とあるように、字幕で訳が添えられても、ピンとこなくても仕方ないか、という気もする。実際、本作でパターソンの書いていた詩のなかで、グッとくるモノは1個も、1フレーズもなかった。……というか、あったかも知れないが引っ掛からなかったし、記憶に残っていないってことが、いかに私の詩に対するセンサーが鈍いかってことだと思う。

 だから、申し訳ないけど、重要な要素である詩を通しては本作を鑑賞することは出来ず、そういう面での感想は書きようがないのである。

 とはいえ、パターソンがローズと映画デートから帰ってきて、飼い犬に詩のノートをズタズタに食いちぎられていたことに感じるモノはもちろんあった。コピーをとると約束していた週末に起きたあの出来事で、パターソンの表情からは、どれくらいのショックを受けているのかがイマイチ分からない。もしかしたら、割と「また書けばいいや」くらいに思っているのか? とも感じたけれど、永瀬とのやりとりを見て、実は創作意欲を失うほどの衝撃を受けていたのだ、と分かった次第。……というか、私にはそう見えた、ということだけど。


◆その他もろもろ

 詩の良さは分からないけど、でも楽しめる映画であることは確かで、ある意味、本作は詩的というよりむしろ、“小説的”であると思った。

 冒頭、ローズが、パターソンとの間に双子をもうけた夢を見た、と話すのだけど、いろんなシーンでやたらと双子が登場するのも面白い。それに何の意味があるんだろう? みたいに考えるのも良し、考えないのも良し。私はあれこれ深読みするのは苦手だから考えないけど。

 きっと、ジャームッシュ作品を見てきた人なら、いろいろ楽しめる小ネタがいたるところにちりばめられているに違いない。けれど、そういうのを知らなくても、本作は楽しめる。退屈な日々、でもいろんなことがある日々、、、。まあ、確かに、そうだよなぁ、、、と思うわけで。だからこれからアタリマエを大切に生きよう、だなんてゼンゼン思わなかったけど、まあ、そういう感想ももちろんありでしょう。

 映画ってのは、見て何事かを感じたいわけだけど、何事かを得なければ見た意味がないとは思わないので、そういう意味では、本作は、間違いなく何かを感じることができた映画。それが何かを言葉にしようとすると途端に陳腐になるだけで。

 パターソンを演じたアダム・ドライバーがイイ味出していたんだけど、私は、ローズを演じたゴルシフテ・ファラハニがとっても印象的だった。彼女の顔、どこかで見たなぁ、、、と思いながら見ていたんだけど、『チキンとプラム〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜』に出ていたと知り、納得。あの美しい女性(主人公のかつての恋人)を演じていたのが彼女だったのだ。

 まあ、あと助演賞は、あのワンコでしょう。イングリッシュ・ブルドッグの女の子だって。すごい役者だった! パルム・ドッグ賞を受賞したのも納得。受賞前には亡くなっていたとは、、、。ブルドッグは暑さに弱いと聞くから、そのせいだったのか、、、。残念。






永瀬の“A-ha”がダサかった、、、




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