映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

悪魔のような女(1955年)

2017-11-29 | 【あ】



 横暴な夫を、夫のモラハラに耐えかねた妻と、その妻公認の愛人が密かに共謀して殺そうとする。愛人も夫にDVを受けていたのだ。

 計画通り、夫を溺死させ、夫が校長を務める学校のプールに沈めるが、数日後プールの水を抜いたら、夫の死体は消えていた。一体どうなっているのか、、、? 怯える妻と愛人。

 愛人は怖れを成して実家に帰ってしまい、一人取り残された妻の周辺で奇怪な現象が起きる。恐る恐る様子を見に行く妻は、バスルームの水が一杯に張られた浴槽に白目を剥いた夫が沈んでいるのを見てしまう!! 殺したはずの、プールに沈めたはずの夫がなぜここに!!!??? 驚きのあまり心臓発作を起こす妻、、、。

 一体どういうことなのだ?!

 ※※本作は、予備知識なく見た方が良いので、未見の方はお読みにならないでください。上記リンクには結末が書かれているのでご注意を!!※※

   
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 午前十時の映画祭にて鑑賞。名作の誉れ高い本作。何度も見ていて、オチも知っているけれども、何度見ても良く出来た映画だなぁ、、、と感心してしまう。さすがに、初めて見たときの衝撃はないけれど、良い映画は何度の鑑賞にも耐えるものなのですね。そして、初めてスクリーンで本作を見ましたが、やはりゼンゼン違いました、迫力が。怖かったです、何度も見ているのに。

 ちなみに、本作を未見の方で、これから本作を見る予定のある方は、絶対にオチを知らずに見た方が良いので、ここから先のネタバレバレはお読みにならないでください。くどいようですが、未見の方、ここから先は読んじゃダメです。


◆クルーゾーの思うツボにハマる。

 観客の心理をここまできっちりコントロールする映画って、他にあるだろうか、、、(いや、ない)。

 本作の場合、最初は、殺人計画が上手く運ぶだろうか、という点に見ている方の興味は向く。そして、計画通りにコトが運んでヤレヤレ、と思うまでにも、途中で夫の溺死体を入れた衣裳ケースのヒモがハズレそうになったり、衣裳ケースから水が漏れているのを目撃されたり、衣裳ケースから死体をプールに投げ入れようとしているところでパッと隣接する建物の明かりが付いて現場が照らされたり、、、と、冷や冷やさせる。

 どうにかプールに死体を遺棄し終えたところで、しかし、まだ映画の半分にも至っていない。つまり、ここからが本作のメインテーマなのだと、誰でも分かる。……ということは、この殺人事件、犯人がどう暴かれるの、、、? と大半の観客は思う。

 しかし、その後、プールの水を抜いたら、遺棄したはずの死体が消えている! ここで、観客は、ただのミステリーではない、なにやら不穏さを覚える。

 おまけに、夫が死んだときに着ていたはずのスーツがクリーニング屋から届けられる。ここで、妻も愛人もギョッとするが、観客は、“え、オカルト……??”となる。そんな、まさか、、、! とも思う。しかし、さらにオカルトが続く。

 学校の生徒の記念写真。背後の校舎の窓に浮かぶ、死んだはずの夫らしき男の顔。しかも、顔の半分くらいが宙に浮いた感じで映っている。妻も愛人も、もう恐怖のどん底に突き落とされる。観客も、え゛、、、マジで何これ、、、? 状態。

 ここで、愛人脱落。怖れを成して実家に帰ってしまうのだから。妻が一人残され、観客は、いよいよ、これから夫の亡霊が妻に襲い掛かるのか、、、!! などと完全にオカルトモードになっている。

 そして、続く怪奇現象。誰もいないはずの部屋から明かりが漏れ、男の影が部屋を横切る。怖いけれど確認せずにはいられない妻の心理に、観客も同調していく。さらに、誰もいないはずの部屋から、今度はタイプを打つ音が、、、。もちろん、誰もいない。

 この辺、見ている者を怖がらせる演出が非常に上手い。現代のCGでありとあらゆるおぞましい映像に慣れているはずなのに、こんなシンプルな演出にゾッとさせられる。これは、モノクロであることも効果を上げていると思う。

 怖ろしさのあまり、走って自室に戻ってきた妻が、心を落ち着かせようと洗面で水を出し、ふと浴槽を振り返ると、、、。ぎゃ~~っ!!

 なんだけれども、この、浴槽で沈んでいる夫が立ち上がる辺りから、観客は、その動きがあまりにも生きている人間そのものであることに、逆にギョッとなる。え、ダンナ、生きてたってこと、、、?? え、どーゆーこと???

 ……と、頭が混乱している最中でも、スクリーンの中では妻が驚きと恐怖で心臓発作を起こし死に、ドサリと床に倒れる。

 ああ、、、妻が死んでしまった! と観客は思うが、すると、今度は夫がごく自然な動きで、目から演出用の白目を取り出し、フツーの夫の顔に戻る。浴槽から出てくると、今度は、何と、物陰から愛人が登場するのである。

 「上手く行った?」と愛人。「ああ、行ったさ」と夫。そして、ひしと抱き合う二人はブチュ~~っとキスする。妻の亡骸の横でね。愛人は夫に「びしょびしょよ」とか言って、なぜか上着だけ乾いたものに着替えさせるんだけど、シャツもズボンもびしょ濡れのままなんだよな、、、。まあ、それはともかく、「これで俺たちは大金持ちさ!」と二人で明るい未来に祝杯を上げそうになったところで、どん底に突き落とす展開が、、、、。

 ……と言う具合に、愛人が再度登場してからエンドマークまで、観客は思考停止状態だ。それくらい、呆気にとられるオチなのだから。

 まあ、途中で読めた、っていう人はこういう作品に対しては必ずいるんだけど、だから何なのさ、と思う。私は読めなかったクチだし、思いっきり、作り手の思うツボにハマって、でもそれでも爽快でさえあるのだから、そうやって楽しめる方が幸せじゃない?

 ここまで鮮やかなオチが用意されているわけだけど、最近の映画にありがちな、観客を惑わせることに終始して中身スカスカのだまし絵みたいな作品ではなく、きちんと細やかな人物描写がなされ、それでいて観客の心理を上手く誘導するという、どちらも両立させているその演出手腕に脱帽である。今時のミステリー映画で、こんな秀作はなかなかお目にかかれない。


◆その他もろもろ

 妻と、妻公認の愛人と、職場である学校でやりたい放題の男・ミシェル(ポール・ムーリス)だけれども、あらすじだけ読めば、一体どんなイイ男なのかと妄想しちゃいそうだが、見てビックリ!! 何でこんな冴えないオッサンが?? という印象は、何度見ても変わらない。どう見ても、愛人ニコルを演じるシモーヌ・シニョレとはバランスが悪い。 何でこの人が、、、。

 ……ということは、みんシネにも愚痴を書いたんだが、今回見てもやっぱりそう思ったんだから仕方がない。どうせなら、もっとちょっと悪そうなイイ男が良かったなぁ。

 シモーヌ・シニョレって、ホント、凄い女優だなぁ、と感服。存在感に圧倒される。本作の中で、彼女は、ラストシーン以外、全く笑わない。大柄で濃い化粧、髪もショートカットで、煙草をくわえて歩き、男たちを見下している感じである。こんな女性と、あんなショボいおっさん、、、嗚呼。

 有名なエピソードだけど、妻を演じた、クルーゾー監督の妻・ヴェラは、数年後に、本当に浴室で心臓発作で亡くなるんだよね(自殺説もアリ)。何やら、因果なものを感じる。

 クルーゾー監督というと、『密告』『恐怖の報酬』など佳作揃いの印象が強い。個人的には『囚われの女』とか、かなり好きだけど、、、。

 でも、彼の撮ったカラヤンのライブ映像は、、、うーむ、イマイチって感じだったんだよね。演奏云々ではなくて、映像が、、、あんまし面白くないっていうか。まあ、カラヤンとの関係も短期で破綻したようだし。とはいえ、これを端緒に、カラヤンはソフト進出に邁進したんだわね。

 他のクルーゾー作品も、また見ていきたい。
 


 








邦題がちょっとネタバレっぽいのがダサい。




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