パーシングの末裔・ベトナムの巨龍
第二次世界大戦後に日本が北海道の南北で分断される。
という架空戦記「征途」の二次創作です。
その中で具体的な描写はありませんが、
ベトナム戦争で頼りになる戦車として活躍した、
61式戦車について思考実験も兼ねて当時の状況などを考察する話です。
2.北海道戦争とT-54ショック
我が国が太平洋戦争末期以降、常にソ連製装甲戦闘車両の驚異にさらされてきたことは、大前提ゆえに割愛する。
61式をあそこまで恐竜化させた直接の原因は、北海道戦争末期に北日本が投入したT-54戦車の存在である。
実戦に投入されたのは戦争末期故に直接の戦闘回数はさほどでもない。
しかしそれまで絶大な信頼を得ていたパーシングを正面から撃破した56口径100ミリ高初速砲。
最大200ミリの重装甲を有する避弾経始に優れた砲塔、水冷ディーゼルとトーションバーによる高い機動性。
これだけの要素を36トンに収めたかの戦車はアイアン・フィスト作戦末期において、多大な衝撃を各国に与えた。
今後ソ連軍と北日本軍と地続きで向き合わねばならない日本国自衛隊。その同盟国米軍など最たるものである。
嘗てのIS-3ショックはパレードの中で起きたものだが、今回は実戦で性能を証明。
量産性にも十分配慮した設計も拍車をかけた。
北海道戦争の優勢を覆さずとも、長きに渡る共産陣営との大戦略に甚大な影響を与えた兵器の一つである。
かの戦争を直接経験した軍隊、
その中で日米の機甲開発の方針は。
特に日本側において大きく変更された。
パーシングの優位は今や危うく、既定路線であった35トン級戦車では発達余裕を含めて話にもならない。
敵戦車に勝利できない戦車に価値はない、事ここに至りも大火力重装甲を実現した戦車を彼らは求めた。