今日はこんなコラムです。
昨日は「右寄り」の話を書いていくつか(どちらかといえば批判的な)コメントをいただきました。
私自身は「右」にこだわらず、少子化が解決すれば「右」でも「左」でもどちらでもいいと考えています。が、少なくとも「左」一辺倒で少子化は解決しないと感じています。
今日のコラムでは共有地の悲劇の話が紹介されています。以下抜粋します。
共有地の悲劇(コモンズの悲劇)という経済用語があります。
「共有地(コモンズ)である牧草地に複数の農民が牛を放牧しているとします。それぞれの農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧しようとします。
その結果牛の数が増えすぎで、餌となる牧草がなくなってしまいます。
牧草地がなくなれば牛も死んでしまうので、結果としてすべての農民が被害を受けることになるというものです。
日本で少子高齢化が進んだ原因の一つを「共有地の悲劇」と考える説があります。
大昔から日本は大家族制をとっていました。
三世代同居というのが一般的だったようです。
親は子供に「老後の面倒を見てくれることを」期待する代わりに、子供夫婦の子供たち(孫たち)の面倒を見ました。つまり、一つの家という私的領域で介護と保育が役割分担として回っていたのです。
山林に例えれば、私有地の山林維持のために伐採(介護)だけでなく植林(子作りと子育て)も行って永続性が保たれていたのです。
ところが、社会福祉が整備されるようになると、子供に面倒を見てもらう必要がなくなります。
結婚して子供を育てるより「公的補助」を当てにして生きた方が、(養育費がかからない分)間違いなくお金を貯めることができます。
子供を作って(全て国公立で通しても)大学を卒業させるまで一人1000万円というお金を払うより、老後は公的補助を最大限利用すればいいというインセンティブが生じます。
山林で言えば、伐採はするけど植林はしないというようなものです。
著者は「この考えはあまりにも極端で一概には賛成できない」と記しています。私もそう思いますが、「個人の自由が尊重される世界」を突き詰めると「共有地の悲劇」は必ず生じます。ここまで極端ではないとしても、本質は突いていると思います。
「共有地」が利益だけでなく損害も合わせてのものであるという認識をもつためには、やはり「共同体」という意識が多かれ少なかれ必要です。「左」の人々がそれに抵抗感をもつのはしかたがないところもあると思うのですが、ある程度はないと共同体は持続できません。「右」も「左」も納得(もしくは妥協)できるラインを探す必要があると思います。
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