ハマったら抜けられない義経と阿国 氷艶覚書 | 高橋大輔選手と共に momokikuのブログ

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皆さまいよいよ明日となりましたね。

しばしば近況はお知らせいただくものの、肝心のスケートに関してはXOI以来5か月ぶりですから、果たしてどんな演技を見せていただけるのか見当もつきません。

こんなに長い間お預けくらったのは2015年以来ですが、なんかその時よりもはるかに飢えが勝ってるのはなぜなんでしょうかねえ。

少なくともあの時期、大ちゃんがNYで様々な人やモノと出会い、まったく新しい世界に見聞を広げていらっしゃる様子をおすそ分けしていただいてたし、私も結構楽しんでたんですよね。

 

時に不安になることはあったかもしれませんが、大丈夫!きっと大ちゃんは帰ってくるよ!とD友さんたちに力強くおっしゃっていただきましたし、まあ8月にはいったん帰国して我々の前に姿を見せてくれましたしね。

そんな意味では大ちゃんの口から今後のこと、今目指しているものをお聞きできなかったこの2か月余りのほうが結構辛かったかも。

 

正直私にとってはフィギュアスケートも何もかも大ちゃんがいなけりゃ始まらないわけで、オリンピック後はほとんどテレビを見ることも無ければ関連情報を漁る必要もなく、シーズンインするまでは完全お休みモードです。

どのスケーターもみんな怪我なく元気でやってくれていればそれでいいってだけですね。

 

PIWに関しても昌磨くんEXの新プロを二つ作ったことや、町田君がボレロに挑戦してたってこと、私もブログでご紹介したグレイティストショーマンが今年のPIWテーマになってるってことくらいで内容はほとんど把握できておりません。

 

残念ながら今のところ滋賀大津公演の放映予定はないのですが、横浜公演については20日にBSJapanで放映されますので、ショー全体の雰囲気はこちらで味わえます。久々にレコーダーが稼働するときがやってきました。

 

プリンスアイスワールド2018 横浜公演
5月20日(日)午後1時30分放送!

http://www.bs-j.co.jp/official/princeiceworld2018/

 

今日は前日ってことで少しは会場の様子とか入ってこないかな?って待ち焦がれてるんですけど明後日5月20日は氷艶破沙羅公演からちょうど1年ってことでそっちのほうがはやくも火が付いてる感じですね。

 

明日はどっちみち新プロ?の話題で騒然となってるし、私もそれどころじゃなくなるのが分かってるので今のうちに自分も氷艶祭りを開催しておこうと思いたち、数日前からアルバムづくりをしてるんですが、どうせだったら少しは説明書きを付け加えてみようかなと調べ始めたら、あまりに面白くなっちゃって、ブログもうっちゃり、寝食忘れて・・・あ、食は忘れてませんが・・・・もうどっぷりとハマってしまいました。

 

氷艶奥深すぎ!!

 

 

 

1年前もそれなりに情報を探ってはみてたのですが、今回改めて知ることもたくさんあって(それだけ私がもの知らずだったという証明でもあるわけですが)まさしくトリビアの泉でしたね。

 

最初はお写真に二言三言添えるだけのつもりが、全部書いたらちょっとした冊子くらいできちゃいそうです。

 

公演当時から知識豊富な方がたがうんちくを傾けてくださってはおりましたが、フィギュアスケート、歌舞伎、音楽、衣装、振り付け、台本、アクション、映像とそれぞれにプロ中のプロが恐らく採算度外視で粋を極めてくださった非常に複層的な構造をもったエンターテインメントでしたから、もちろん語っても語りつくせないでしょう。必要なのは氷艶辞典ですね。

 

もちろん皆さまの知識に到底及ぶものではないのですが、自分で楽しむついでですから覚書として大ちゃん演じた二人の人物の背景を書き留めておきます。

 

 

源義経

河内源氏の源義朝の九男として生まれた平安末期の武将 幼名牛若丸

平治の乱で父が戦死し、鞍馬寺に預けられた義経は、兄である頼朝に応じて挙兵。一の谷の戦いや屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした源平の闘いの最大功労者。その後は兄・頼朝に疎まれて謀反の濡れ衣を着せられ朝敵とされた。最後は平泉で非業の死を遂げる。

 

その辞世の言葉

 

「のちの世も またのちの世も めぐりあはむ そむ紫の 雲の上まで」

(後の世も、そのまた後の世も、めぐり合おう。その紫色に染まった浄土の雲の上まで共に)

 

は、静御前宛てではなく弁慶が詠んだ句への返歌だってご存知でしたか?

 

「六道の道のちまたに待てよ君遅れ先立つ習ひありとも」

(冥土への道の途中で待っていてください。たとえ死ぬ順番に前後はあっても)

 

義経と弁慶、主従の契りがいかに堅いものであったかを表す句ですね。絶望の淵にあっても互いを想いあい、あの世に至るまで決して離れまいとする二人は恋愛にも勝る深い絆で結ばれていたのです。

 

つまりーー猿田彦は弁慶の招きがあれば約束を守ってどこだろうと飛んでくる義経の習性を利用したわけですね。人の義理堅さを利用するなんてひどいわ!実際大ちゃんも義理堅い人ですけどねえ。

 

それにしても弾正退治の頼もしい助っ人として召喚したはずがいきなり「絶対お守りしたいモード」になってしまって、義経をかばって討ち死にしてしまうなんて、弁慶の忠心を甘く見ちゃいけませんでしたね。

義経あるところ、弁慶あり!化けたつもりがやっぱ憑依されたのでしょうかねえ?

 

 

鞍馬寺

 

その義経が母の再婚ののちに預けられて10年間を過ごしたとされるのが鞍馬山です。

単に普通のお寺と認識してたのですがこれがまた調べてみたら結構知らない事だらけで目からうろこでした。

 

鞍馬寺の御本尊は毘沙門天、千手観世音、護法魔王尊を三位一体とみなす「尊天」です。そのうちの護法魔王尊は(サナート・クマラ)と伝えられています。

 

サナート・クマラは650万年前金星から地球に降り立ったもので本来自然と共に暮らしていた武術家。

   森の風と共に走り、大地の地脈の流れを読み、天体の動きと同調する。

そして三位を統合する尊天はすべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギーであり、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという

 

不敬ながら御本尊が金星から来たなんてどこのSFかと思いましたが、それが鞍馬天狗の由来なんでしょう。とにかくこの魔王神の力に引き寄せられて多くの修験者が集まるようになったのですね。

金星がありなんだから、氷の国や歌舞伎の国だって当然存在するわね、そりゃ。

 

御本尊が永遠の16歳という鞍馬寺に預けられたやんごとなき貴種の少年が僧たちからどのように扱われたかはなんだか想像できる気がします。恐らく少年信仰があったことでしょう。見目麗しく才能があればもちろんのことお坊さんたちの期待を一身に背負って英才教育されるに決まっております。

 

しかしながら古えのこととはいえ、なんで平家はこんなヤバいところに敵の遺児を預けちゃったんでしょうかねえ。

こんな環境で平々凡々大人しい子に絶対育つわけがないでしょうに。

 

鞍馬の天狗たちから力を授けられた牛若丸は名を遮那王と改め、尊天と同じ16歳の時に寺を出ますが、もしかしたらこれもそういった習わしがあったのかもしれませんね。

 

遮那王とは「盧舎那仏」に因む名で、宇宙そのものを象徴する仏であり、 その光は全界を照らし、自身から分身・化身たる化仏たちを生み出し遣わすことができます。つまり名前からして自分の分身たる兵をあつめ打倒平家する気満々だったわけです。

 

 

社会人として世に出たときの遮那王のいでたちです。

お着物に関しては全く知識が無いので用語を調べながら読んでみました。カッコ内は解説です

 

義経十六歳にして遮那王と改む、その鞍馬出立のさまは『義経記』に曰く

 

承安二年二月二日の曙に、鞍馬をぞ出で給ふ

 

白き小袖一重に唐綾 (中国から渡来した綾織物。地組織と織目の方向を違えて模様を浮かせたもの)を着重ね、

 

はりま浅葱の(ひとえ・下着、あるいは袖のない足元まで届く長い上着)を上に召し、

 

しろき大口(袴のこと。少年や武家の袴として白や浅葱の大口袴が用いられたが成人男性は赤)

 

に唐織物の直垂(ひたたれ・主に武家社会で用いられた男性用衣服)めし、

 

敷妙(しきたえ・衣類や寝具のこと)にいふ

 

腹巻ごめにして紺地の錦にて柄鞘包みたる守刀、金作りの太刀佩いて(おびて)

 

薄化粧に眉細く作りて髪高く結びあげ、心細げにて壁を隔てて立て出で給ふ

 

 

つまりこういうことですね。

 

 


薄化粧に細い眉、髪を結いあげた人目を引く美々しい姿で心細げに僧門を出た遮那王。

義経が武者姿ではなく永遠の16歳のままのいでたちで氷艶の舞台に舞い降りたのにはこんな背景があったのだと思うとより妄想が広がりますわあ。

 

 

 

 

 

 

鞍馬寺では9月に義経祭が開かれています。

源義経の御魂が少年期を過ごした鞍馬山に戻り、護法魔王尊の脇侍遮那王尊として眠ると信じられており、その御魂をなぐさめ業績を後世に伝える行事だそうです。

 


鞍馬天狗は猿田彦という説があり、猿田彦の像はよく天狗の姿で描かれています。

 

従って猿田彦が弁慶の姿を借りるのもあながち関係がないわけではありません。また弁慶の出所は熊野とされていますが、出雲であるという説もあるのです。ここで出雲の阿国との関連がでてくるのです。

 

出雲阿国
 

元亀3年?(1572年) - 没年不詳)は、安土桃山時代の芸能者で歌舞伎の創始者

元は出雲神社に仕える鍛冶屋の娘で、巫女として神社への寄進を募るため諸国行脚して少女の舞「ややこ踊り」を披露していたが、のちに傾き者(かぶきもの)が茶屋の女と戯れる場面を含むようなものになりそれが様々な変遷を得て、現在の歌舞伎が出来上がったとされる。

 

 

少女と成熟した女性、あるいは男女、聖俗の垣根を飛び越えて自由に生きた日本のエイターティメントの祖みたいな人物ですね。

もともとかぶくとは突拍子もないという意味だそうで、公家にも呼ばれたりその踊りが遊郭にも広まったりと娯楽の少ない時代では一世風靡したスターだったのかもしれません。

 

阿国は当時はやった奇抜な傾奇者のいでたちを自らすることは無かったようです。むしろ少女のようなツンツルテンの丈の短い着物を着用し、激しい踊りをすることで着衣が乱れ、妙齢の女性の太ももがあらわになる・・・つまりチラ見せで人気を博したらしいのです。

 

あらま、太ももチラ見せって思い出しますわねえ。もっとも大ちゃん阿国はちゃんとタイツをはいていらっしゃいましたがね。

あれはさすがに計算の上とは思いませんが、まあ昔の庶民からお公家さんから現代のわれわれに至るまでチラリズムの色気には弱いってことで。。。

 

 

 

最初にあらすじを見たときは年代無視で荒唐無稽な印象を受けましたが、奥まで探索していくと次々と仕掛けがあらわれるからくり屋敷に迷い込んだようなもので、そこがここにつながるわけね、と驚いたり感心したりすることばかりです。

仁木弾正、岩長姫まで書き始めたらとめどなくなりますので、この辺で・・・

 

 

このすごい脚本を考えられたのは戸部和久さん。公演前後の笑也さんとのトークイベントの模様はこちらで読めます。

 

市川笑也が軽妙に語る「氷艶 hyoen 2017」上演記念『破沙羅』 女方への変身 レポート

https://spice.eplus.jp/articles/114739

 

笑也さん『歌舞伎夜話 氷艶を終えて』に参加された方たちのツイート集

https://togetter.com/li/1113932

 

戸部さんったらーーー!氷艶のみどころは「髙橋さんを岩長姫が汚(けが)していくところ」「きれいなものを汚(よご)したい」だなんておっしゃってたのですね。

 

おかげさまで私もドツボにハマりまして、一年経っても抜けられないじゃないですかあーー!

どうしてくれます?

 

ほんとまたあらためて氷艶を見たくなりますよねー。どこに何と言ってお願いしたらいいのか、私には知識がありませんが、とりあえずTwitterでタグ付きで呟いてみます。

 

氷艶破沙羅の再演、再放送を望みます。と同時にせめてアーカイブとして残しておいてほしいものです。

ハマりっぱなしの責任はちゃんととってくださいませ!!心よりお願い申し上げます。

 

滑る、見得切る、宙を舞う!仕掛け続々「氷艶」で歌舞伎とスケートがコラボ

https://spice.eplus.jp/articles/125165

 

 

 

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