『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

武田信玄(たけだしんげん)[5/9]

2018-01-13 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
武田信玄(たけだしんげん)[5/9]

〔現代仮名遣い〕たけだしんげん

※下線部は信長公記以外の記事によります。


1560年3月長尾景虎、武田氏と通じていた越中

国の神保長職を討伐。

1560年6月信玄海津城を築き、川中島支配の根

拠地とする。

1560年信長の子息坊丸(勝長)が武田信玄の元

へ養子として送られる。

1561年6月信玄、上杉方の割ヶ嶽城を攻陥。

1561年9月武田信玄対上杉政虎【第4次川中島

の戦い】

1562年四男勝頼、諏訪家の家督を継ぎ高遠城主

となる。

1564年武田信玄対上杉輝虎【第五次川中島の戦

い】


1565年3月頃、東美濃に進出し信長軍と衝突。

1565年8月以前武田信玄、嫡子義信を廃嫡とし

幽閉する。信玄に対する内部クーデター発覚。

1565年11月信長の養女苗木氏(遠山友勝の女)

と信玄の子勝頼の結婚なる。信長、武田信玄

と同盟を結ぶ。



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