電光稲荷神社〜地図にない町32015年07月20日 11時42分46秒


睨み合いを続けていた機動隊が動いた
逃げ惑う群衆
武装した機動隊員が
逃げ遅れた男の顔面を蹴り上げる
丸腰の群衆は投石で反撃だ
火炎瓶がアスファルトを焼く
これはニュースで見る
遠い国のお話ではない
でもみんな
遠い国のお話だと思ってる

そこは海岸だった
古代に住み着いた
海人らの時代から
そこは釜ヶ崎と呼ばれていた

大阪の街が発展拡大するのに従い
大阪の街の外れの
この湿った窪地に
墓地と刑場が作られる
死体を処理する非人が住む以外
その周辺はただ荒地が広がるだけだった

明治になって
大量の人の流入が始まる
博覧会開催のため
スラムの人々を強制的に移住させたのだという
荒地に突如テーマパークが建設され
夜な夜な電光が煌めく
まさに新世界が誕生する
近くには巨大な遊郭が堂々オープン
あぶれる客を目当てに
売春婦や男娼が蠢く
オカマの語源は釜ヶ崎のカマなのだそうだ
ヤクザや芸能人
あらゆる人間がここに集まり
釜のなかは煮えたぎっていく

空襲で町は壊滅する
戦後の大阪市政は貧困と浮浪者対策を重視
結果として西日本各地から
大阪市へ浮浪者層が流れ込んでくる
あちこちに形成されたドヤ街
街の記憶なのだろうか
ドヤ街はいつのまにか
釜ヶ崎一箇所へ集約
町は行政からあいりん地区と名付けられる
歓楽街はキタやミナミが主流となり
残された釜の中はただただ
理不尽と抑圧だけが沸騰している

安く泊まれるということで
昨今は外国人のバックパッカーが増えてるらしい
この日も外国人の団体が道を塞ぐほど
その先にこじんまりと電光稲荷神社はあった
電光という名前が変わってるので調べると
明治の時代に
電光社というマッチ工場があったそうだ
工場建設に
貧民救済の目的があったかどうかはわからない
おそらくはその工場に祀られ
工場労働者達に親しまれた
お稲荷さんだったのだろう

遠い国のお話ではない歴史
遠い国のお話ではない現実
国や行政がどうするつもりかは知らない
どうすべきかなど語る資格も力量もない
ただ遠い国のお話ではないことだけは
知っておかねばならない
と思う

電光稲荷神社

電光稲荷神社

電光稲荷神社

電光稲荷神社
大阪府大阪市西成区太子1-10-16

コメント

_ フクスケ ― 2015年07月21日 16時20分09秒

執筆快調でなにより。

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