日本グルーヴチューン振興会

『音楽が好き』と『誰某が好き』は違う

つい先日、ツイッター界隈で少し話題になった話から、色々と思うところがあって、こんなものを書いてみようと思い立ちました。

 

その話というのは、この記事にある様に“ONE OK ROCK”のファンが、スティーヴィー・ワンダーの「To Feel The Fire」を知らず、彼らのオリジナルだと思っていた・・・・という件。

まず最初に聞いた時に思ったのは「ネタツイートだろ?(笑)」と。しかし、どうもマジっぽい・・・・・・

ミュージックステーションで電気グルーヴを見て“セカオワのパクリ”と言ったとか、いかにもネタっぽい話もありましたが(笑)

 

あ、話が逸れた。

 

 

私が思うのは、スティーヴィーに失礼だとか、無知だとか、というコトではありません。

どなたかも仰っておられましたが、自分の好きなバンドが歌ってる曲がオリジナルかカヴァーかを意識せずに聴いているコトに対する驚きが一番にありました。

あ~今の子たちはコンポーザーとかのクレジット見ないんだ・・・・そんな寂しい気持ち(苦笑)

そして、自分の好きなミュージシャンが好きな曲や影響された人々といったモノに興味を持ったり調べたりアプローチしないんだ、という事実に少し悲しくなります。

 

 

おそらく、誰某のファンという人の中には、それ以外の音楽に興味を示さないという方が一定層いるのでしょう。音楽が好き、なのではなく、誰某が好き、という人。

こんな音楽が好きという軸があって、その枝葉まで含めて色んな音楽を聴きたくて探して聴く。それが音楽ファンだと思っている私からすれば、そのフィールドを広げる意思を持たない方は音楽好きだと名乗らない方がよろしいかと存じます(笑)

 

 

齢五十に届こうとする私の経験からすると、1970年代後期まで、ポピュラーミュージック・・特にロック系の音楽が好きな層というのは圧倒的に異端の存在だった様に思います。

はっぴぃえんど、シュガーベイブ、サディスティック・ミカ・バンドといった、今は歴史に残るビッグネームたちでさえ、マイナーな存在で。

オリコンの年間チャート上位は、歌謡曲と演歌と少しの洋楽が混在するというのが常だったと記憶しています(70年代に入って、少しフォークやニューミュージックが混入してきたかな)。

その頃も誰某のファンという方々はいましたが、音楽好きを名乗る人というのは単一ミュージシャンにのめり込む方よりも幅広い知識と経験値を誇る方が多かった様に感じていたのです。

音楽が好き、と公言するには自分の好む音楽を理解し、テリトリーを確立する努力が必要だった。ある程度詳しくないと音楽好きを語れない時代があった。そう、表現を変えれば、音楽好きというのはやせ我慢とカッコつけの趣味だったのかもしれません(苦笑)

家に立派なオーディオセットがある家は多かった。でも、レコード棚には当時ヒットしたシングル数枚と、映画音楽やイージーリスニング、ポピュラーなクラシックのLPセットくらい・・・・そんな家庭がごまんとあって、ポピュラーミュージック好きという人はマニア扱いされていたものです。

それに比べて、今は世の中に溢れるポップに対する情報量の多さや音源に対するアプローチ手段の多様化・・・何をとっても当時とは比べ物にならないくらい幸せな時代。それでも、自分が好きなミュージシャン以外の事には無頓着で無関心・・・・・勿体ないとしか言い様がないです。

 

こんな事を言うと「だって、誰某が好きなんだからそれ以外には興味無くて当たり前」みたいに思うかもしれません。

別にその事自体を非難するつもりはありませんが、せっかく夢中になれる音楽を見つけたのなら守備範囲を広げないと勿体ないと思うんです。音楽が好き、なんじゃなくて誰某が好き、という宗教じみた価値観なら仕方ないですが(苦笑)

自分が好きなモノを至高と思い、唯一無二の存在と思い、それ以外は意味が無いと思いこむ。そんな人が「音楽聴くのが趣味です」なんて言わないで欲しいとすら思ったり(苦笑)

 

 

ポピュラーミュージックが好きなら、自分が好きなミュージシャンを足掛かりに、どんどん世界を広げていって欲しいのです。その人のルーツ、リスペクトする曲、一緒にセッションしたプレイヤー、ゲストで演奏した人、彼らの音楽が出来上がるまでに偉大な先人が積み重ねてきた歴史・・・・・フィールドを広げる材料はいくらでもある。

 

自分が好きなミュージシャンに関する音楽の話なんだから、とことんまで突き詰めて欲しいです。思考停止や視野狭窄を起こさないで欲しい。

自分は“音楽が好き”なのか、“誰某が好き”なのかを見極めて、もし“音楽が好き”というのなら自分が好む音を見つけに、大海に漕ぎ出してみては如何?新しいモノも古いモノも、貴方が好きそうなまだ見ぬ世界が広がっているはずだから・・・・・


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コメント一覧

デルフィス
お久しぶりです
ジュンママ様、コメントありがとうございます。
嵐の新曲に関しては、まだCDで聴いていないので何とも言えないのですが、既視感の強さは気になる所です。この路線が主軸になる様だと私としては少しツラい(苦笑)
ま、それはともかく今の音楽の状況は私が中高生の頃に比べれば格段に良いのは間違いないと思います。
ただ、その活かし方が理解されていない上に色々な曲を楽しむ欲求と余裕が無い人が増えたのかなと・・・(苦笑)
好きなアーティストの曲を楽しむ上で、他の優れた曲を知る事が役に立つんだという事を解ってくれる人が増えると嬉しいなと思うのですが。
またおいでください。お待ちしております。
ジュンママ
お久しぶりです
デルフィス様
お久しぶりです。
気づくと、2月も終わり、もう3月。
コメントしなきゃと思いつつ、失礼してました。

嵐も新曲Sakuraが発売されます。
私は好きですが、確かに似たような曲があったような(´U+E51U+2022_U+2022U+E51)

智くんも新曲Sakuraの紹介のところで
Believeに
似ているかなあと、書いていました。


今回は嵐ではなく、この記事について、コメントしようと思います。
確かに今の子はいろんな曲は聞かないですね。
うちにも1人おりますが、好きな人の曲しか聞かないです。

私が10代の頃は、いろんな曲を聞いてました。
テレビというよりも、ラジオをずっと聞いていました。
FMをよくつけっぱなしにして、そこから流れる、海外から日本、そして過去から現在まで。

題名も歌手も分からずに聞いていて、この曲なんだろうと、ひかかった曲をレコード屋で探してました。

でも、今の音楽事情はあの頃とは違うんだと、シミジミ思います。
iTunesから好きな曲をダウンロードする。それは自分が知っている範囲内の中だけであって、それから拡がることはないような気がします。
たぶん、新しいもの、知らないものを知るすべさえも知らないのではないかと思うのです。

だから、知らないことへの怖さも知らず、おかしな発言をしてしまうのかもしれません。

私も今反省しているところです。

嵐を好きになってから、あまり他の曲を聞かなくなってしまっているなあと。
好きだから仕方ないかもしれないけれど(U+E51U+14F _ U+14FU+E51)U+21B7U+21B7
もっと違う人の曲を聞かなきゃなあと、この記事を読みながら、反省しているところです。
デルフィス
ご無沙汰です
当会北海道支部長fuuka様、久々のコメントありがとうございます。こちらだけでなく、この後のエントリーにもコメントください(笑)
貴方のコメントを読んで少し思い出したのは、読書好きの大学生と本を全く読まない大学生に同じテーマでレポートを書かせた時の話です。どちらも最初にはネットで情報収集をするのですが、前者はその情報選別処理が優れているけどネットに散らばる文章をコピペしてそれに自分の意見を少し付けるだけで仕上げてきたと(笑)
早いし体裁は整っているけど、自分の意見をきちんと反映させて深いモノにはできていなかったと。
今、音楽にアプローチするのは便利で手軽なモノですが、そこから先に進めるかどうかは、篩にかけられた過去の優れたものにアプローチできるかどうかなのだと思います。
ま、この文章を「音楽くらい好きに聴かせてくれよ。めんどくさい」とか「上から目線で気持ち悪い」とか言われる人もいる訳で(苦笑)、年寄りの余計なおせっかいかもしれませんが、少しでも感じてくれる方がいれば良いなと思います・・・
fuuka
デルフィス様

こんにちは。ご無沙汰の北海道支部です。本当は1つ後にコメントするつもりでしたが、ついこちらに着陸です。だって、電気グルーヴのクダリ、何回読んでも笑えるんですもん。久々に♪夢でkiss kiss kiss・・と口ずさんでしまいました(笑)
お話を伺ってたら、文学も美術も音楽も“好き”が過ぎる人の行為は同じだと感じました。ジャンルに関わらず、派生して“好き”のルーツや行く末を模索したくなりますね。
そのことが、心に刻まれると自身の感性になり、本屋に並ぶ背表紙や装丁から、あるいはアルバムのジャケットから好みを嗅ぎ分ける・・・作り手の思いの丈を瞬時に感じ取る触覚のようなものが備わってくる気がします。
僭越ながら、私も好きなポップスを辿っていったら、東海支部長の道案内で懐かしのthe partridge family「come on get happy!」にたどり着きました。あの時の感動といったらもう(泣笑)
配信で寄り道せずに手軽に音楽を選べるのは、幸せなのか勿体無いのか・・音楽好きの息子を見ていても時々判らなくなります。
一見無駄な枝葉でも、それを身の内に溜めていくうちに、今ある音楽も文学も、過去の中から拾い上げ組み立て築き上げたものがオリジナルな形になっているのだと実感します。
「あらゆものは全て過去の中にある」とは澁澤龍彦さんの言葉です。つまりは、このコメントも全てが受け売り・・ってことで(笑)
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