熊本地震のときいろいろな物が転がり落ちたが、その中に沖縄から持って帰った焼き物のシーサーがある。
本物のシーサーの焼き物は別に2体持っているが、これは何かを入れるための容器としてシーサーをアレンジしたもので、顔もユーモラスだし、わりと可愛いのでとって置いた物だ。
(シーサーの形をした容器)
面白い顔をしているし、捨ててしまうのも気が引けたので台所の東の窓枠の上に置いていたのだ。
家の東北角で丁度鬼門にも当たるし、まじないでお前頑張れよの乗りだった。
1回目の震度7で転がり落ちたが割れなかったので、余震に備えて落ちた場所の床に立てて置いた。
よって2度目の震度7でも倒れず立っていた。
ところが先日何気なく見るとティシュペーパーのようなもので顔を隠している。
このシーサー、ただでさえ可笑しな姿形をしているのに、紙を頭に載せてちょこんと座って居るのは更に可笑しい。
シーサーが元置いてあった場所には、落ちても差し支えないティシュペーパーの箱が乗っかっている。
台所でペーパーを引っ張り出したりするとき、ペーパーの端が切れたりするので、切れ端がヒラヒラと落ちてシーサーの顔を覆ったとすれば、この偶然の起こりうる確率は一体・・・??
などと一人感じ入ってしまっていたが、とうとう一週間ばかり経った頃我慢できずに、この可笑しな現象を相方に話した。
「知ってるよ。私が載せたから・・」というこれまたビックリの返答がかえってきた。
台所の床に水が跳ねたので、ペーパータオルで拭いた後で面白そうだと思って細長く畳んで頭に載せてみた。
というのが事の真相だったのだ。
松本清張の小説に「10万分の1の確率」を題材にした小説があったが、世の中そうそう不思議な物語は起きないものなのだ。
ただ、「あれだけの被害の中でよくもまあこの程度の被害で済んだのは幸運だったね」と話かけられる度に小さな偶然の総和によって守られたのかな、という思いが心の隅に湧いてくることがある。
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本物のシーサーの焼き物は別に2体持っているが、これは何かを入れるための容器としてシーサーをアレンジしたもので、顔もユーモラスだし、わりと可愛いのでとって置いた物だ。
(シーサーの形をした容器)
面白い顔をしているし、捨ててしまうのも気が引けたので台所の東の窓枠の上に置いていたのだ。
家の東北角で丁度鬼門にも当たるし、まじないでお前頑張れよの乗りだった。
1回目の震度7で転がり落ちたが割れなかったので、余震に備えて落ちた場所の床に立てて置いた。
よって2度目の震度7でも倒れず立っていた。
ところが先日何気なく見るとティシュペーパーのようなもので顔を隠している。
このシーサー、ただでさえ可笑しな姿形をしているのに、紙を頭に載せてちょこんと座って居るのは更に可笑しい。
シーサーが元置いてあった場所には、落ちても差し支えないティシュペーパーの箱が乗っかっている。
台所でペーパーを引っ張り出したりするとき、ペーパーの端が切れたりするので、切れ端がヒラヒラと落ちてシーサーの顔を覆ったとすれば、この偶然の起こりうる確率は一体・・・??
などと一人感じ入ってしまっていたが、とうとう一週間ばかり経った頃我慢できずに、この可笑しな現象を相方に話した。
「知ってるよ。私が載せたから・・」というこれまたビックリの返答がかえってきた。
台所の床に水が跳ねたので、ペーパータオルで拭いた後で面白そうだと思って細長く畳んで頭に載せてみた。
というのが事の真相だったのだ。
松本清張の小説に「10万分の1の確率」を題材にした小説があったが、世の中そうそう不思議な物語は起きないものなのだ。
ただ、「あれだけの被害の中でよくもまあこの程度の被害で済んだのは幸運だったね」と話かけられる度に小さな偶然の総和によって守られたのかな、という思いが心の隅に湧いてくることがある。
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