お弁当に入っていて嬉しいものランキングで、常に上位をキープしているチキチキボーンだが、大人になるにつれて食べる機会が減っている。

私は職場に弁当を毎日持っていっている。しかもそれは自分で作っている。だがしかし、先ほど「弁当にチキチキボーンが入っていると嬉しい」なんてことを言っている割には、入れていないのだ。

何を隠そう、チキチキボーンの存在を忘れていたのだ。

そしてこの前、たまたまチキチキボーンを食べる機会があり、ああこれは私の好きな食べ物だと思い出したのだ。

存在を忘れていたくせに、思い出した瞬間に、のうのうと「お弁当にチキチキボーンがあると嬉しいよね!」なんていう私はとても浅はかである気はするが、そこは勘弁して欲しい。

人は、常日頃からチキチキボーンのことばかり考えているわけにはいかない。仕事のこと、政治のこと、世界の平和のこと、そして、これからの未来のこと──。

私には考えるべきことが多すぎて、ちょっとだけチキチキボーンの存在を忘れていただけなのだ。


こういうのは不思議なもので、一度思い出したら、スーパーでもチキチキボーンを見かけるようになった。いや、チキチキボーンは元々ずっとそこにあったのだ。それを今までの私は、まるでなかったもののように通り過ぎていたのだ。

しかし私の目に飛び込んできたのは、ただのチキチキボーンではなかった。


チキチキボーン(骨なし)なのである。

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加工肉売り場のセンターに鎮座する「チキチキボーン(骨なし)」の佇まいは堂々としていて、昨日今日売場に登場したものではないことがすぐにわかった。

むしろ骨ありのチキチキボーンは1種類しかなかったのに、骨なしのチキチキボーンは3種類あった。正確にいうとチキチキボーンは登録商標なので、他のものはチキチキボーン「風」ということだが、その存在感たるや、今や加工肉売り場を支配しているともいえた。

恐らく骨なしのチキチキボーンを見たことがある人は「骨がないのにボーンって。ちゃんちゃらおかしいゼ!」と思ったに違いない。

しかし私が感じたのは

「こいつを待っていたんだ!」

という気持ちだった。


チキチキボーンの醍醐味といえばあの「骨」であるという人は多いだろう。私もそう思っていた。

しかし大人になり、自分で弁当を作り、そして自分で弁当箱を洗う立場になってこう思った。

骨が邪魔くさいと。

まず弁当に入れる時、あの骨のせいでなかなか融通が利かない存在になっている。例えばウインナーだったら、ちょっとした隙間があればその大きさに切ることはできるが、チキチキボーンの骨を断つことはできない。

そして食べる時、箸だと食べづらいのだ。いや、チキチキボーンは手で食えよという意見もあると思う。それはもっともであるが、私もいっぱしの社会人である。職場で、チキチキボーンを手づかみで食べるのはさすがに気がひける。そこらへんの書類やキーボードが油でギトギトになるではないか。

加えて食べ終わった後に、骨が残ってしまうこともマイナスポイントだ。生ゴミ的な分類に入るので、職場で捨てるとなると、ちょっと一手間かけないといけない。袋で密閉して、給湯室の生ゴミ捨て場までいかないといけないので、これが結構面倒だったりする。

そういった点で、骨なしのチキチキボーンは大歓迎だった。むしろ開発者側としても、そういうユーザーの声は聞いていて、だからこそ製品化に踏み切ったのだし、本家の骨ありチキチキボーンを追いやってまで売場に鎮座するようになったはずなのだ。

そういうわけで、私が久々に買ったチキチキボーンは、骨がないタイプのものだった。

骨のないチキチキボーンといっても、味に変わりはないだろう。あくまでも骨を抜いただけ。チキチキボーンと名乗るくらいなら、それはもうチキチキボーンなのであろう。一体どんなものかなとソワソワしながら食べてみた。


唐揚げだった。


私は製品の袋を見直した。食べたのは間違いなく、骨なしではあるが「チキチキボーン」を冠したものである。だがいま、私の脳内は「唐揚げを食べた」と認識している。

何かの間違いかと思ってもう一個いってみた。


やはり唐揚げだった。


間違えて欲しくないのは、私は別に唐揚げが嫌いなわけではない。むしろ好きである。しかし、カレーを注文したのにオムライスが出てきたら、誰だって驚くだろう。その感覚だ。

そして私は先ほど、この骨なしのチキチキボーンのことを「もう一個」と表現した。本当にチキチキボーンであったらここは「もう一本」と表記するはずなのだ。

味は確かにチキチキボーンのそれである。チキチキボーン味の唐揚げといっても良い。そして間違いなくうまい。むしろ、それは私の求めていたはずのものだった。

しかし食べてみるとどうだろう。私はチキチキボーンを食べたという気に全くならなかったのだ。その時初めて、チキチキボーンというのは骨にかぶりついて、その骨にしゃぶりつくことまでがセットとなっている商品なのだと気付いた。

このことによって、改めて「骨があってこそのチキチキボーン」と考え直した。骨なしのチキチキボーンのことが気に入らないわけではない。何度も言うが、骨なしでも間違いなくチキチキボーン味なのだ。その点にはなんの不満もないし、むしろこれからも買いたいと思った。

でも、次の日に私は、骨ありのチキチキボーンを買った。この時の私は、大好きだった恋人から目移りして別の人と付き合おうと思ったけど、やっぱり元の恋人が愛しいと思うような、そんな気持ちになっていた。


別に、弁当に入れづらいとか、そんなことはもはやどうでもいい。


そんなの家で食べればいいだろう。


「弁当に入れるだけがチキチキボーン」という狭い見識を、いまの私は持ち合わせていない。チキチキボーンはもっと自由で、そして愛に溢れている食べ物なのだ。

私はそう思った。


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