yahoo .映画レビュー 3.8
2017/3/21時点
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️
演出 ⭐️⭐️⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐️
音楽 ⭐️⭐️⭐️⭐️
最高の人生の始め方は、モーガン・フリーマンが珍しくも主演の映画です。
The magic of Belle Isleが原題ですが、「最高の人生の見つけ方」という大ヒット作に因んだ邦題がついています。ロブ・ライナー監督とモーガン・フリーマンで再びタッグを組んだのがこの映画のようですが、この映画の興行収入はふるわず、日本未公開となった作品です。
そんな作品ではありますが、モーガン・フリーマン演じるモンテに訪れた幸福を眺めると、鑑賞後も心が温まり惹きつけられるところがありました。
若くして命を落としかけたり、身体やメンタルの障害を負ったり、自暴自棄になりお酒に夢中になったりして、周りから見れば廃人のように見えたとしても、かろうじて生きのびる時期を経験する人もいるかもしれません。
本人も周りの人達も、生き延びることに意味があるのだろうか、いっそ死んだほうがマシなのではないかなどと悲観して、希望を失いそうになる時もあるかもしれません。
この映画は、生きる意味や希望を観客に与えるため、そんな時に生き延びることに意味があるのだと背中を押してくれるような映画だと思いました。
主人公モンテ・ワイルドホーンは名の知れられた小説家でしたが、最愛の妻の死後、創作意欲を失ってしまい、連日一人で酒を飲むだけの廃人のような暮らしを送っています。
モンテは、下肢麻痺のため電動車椅子に乗る身体障害者ですが、プライドが高く斜に構えたキャラクターで人を寄せ付けません。
そんなモンテを心配した甥の誘いでモンテは湖畔にある家に越すことになります。犬の世話を頼まれたものの、モンテの言うことを聞かない犬スポットは、硬直して痛むというお尻ばかり舐めています。犬と暮らし始めても、モンテはお酒ばかり飲んで自室で一人叫ぶなど荒んだ生活を続けました。
ある日、隣のオニール家からもモンテに似た叫び声が聞こえてきて、モンテは自分に似た苦しみを抱える顔の見えない隣人に1人共感を覚えます。
隣家には三姉妹と美しい母親が越してきたばかりでしたが、モンテは交流を拒絶していました。
叫んでいたのはオニール家の次女フィン。両親の離婚前に父親や長年育った土地から引き離されて不安定だったのでしょう。隣家の女性達はモンテに興味をもちますが、小学生高学年に見えるフィンだけは、モンテがミミズを食べそうなどと語り悪態をつきます。彼女はモンテに性格が似ていたのかもしれません。
田舎の主な行事は葬式です。ある日、一方的で強引なモンテのファンである町民に誘われて、会ったこともない男性の死を悼む送別会にモンテは出席させられます。そこで、2人は偶然話す機会に恵まれます。
そこで、モンテは、ファンの町民にまた強引に町民の前で追悼文を読む社会的役割を与えられ、町のなかでの居場所を与えられます。ジャックナイフを自慢するやんちゃなフィンは、隣に住む小説家に興味を持ち始めます。文章の書き方を教えてほしいとフィンはモンテに頼みますが、モンテは取り合いません。
モンテは、人付き合いを拒み、自宅に引きこもっていましたが、強引なフィンはモンテの家のドアを開けてズカズカとモンテに歩み寄ります。
34ドル18セントというなけなしの貯金を差し出すと、不遜にも小説の書き方をレクチャーしてほしいという交渉を始め、有名な小説家モンテにフィンは交渉を飲ませるふてぶてしさを発揮します。
初回はイマジネーションについての授業。別の日には欺瞞について。また別の日には、映画の題名にもあるBelleの小さな道を眺めて、そこに見えないものを語れるように少女は訓練を受けます。そうして最後には、ワクワクするような物語を彼女は1人で作れる創造力を身に付けるのでした。
覚えたことを真っ先にお母さんへ伝えたくてフィンは大喜びで自宅に駆けだしていくのですが、その姿を眺めながら、モンテは自分のなかに凍りついていた愛情に再び気づけるようになります。
モンテ宅の近所には、カールという知的障害を抱える大きな肥満児も住んでいてカンガルーのように飛び跳ねて過ごしていました。
彼の母親もモンテに助けを求めていました。カールの父親は、生まれて来た子供に障害があることを知り家を出てしまったのだといいます。カールの母親は、カールに誰からも電話がかかって来たことがないので一度だけでもカールに電話をして欲しいと頼みますが、モンテはお酒を飲んで過ごし取り合いません。
お酒が切れたモンテは食料品を買いに出かけますが、酒を運んでもらうためカールを誘い出します。同情してもおかしくない状況に同情しないモンテでした。モンテは、カールにディエゴという名を与えて、敵に追われている格好よいヒーローとしての役割を演じさせます。
カールにカンガルー飛びはディエゴとして相応しくないことをモンテは伝えます。すると単純なカールは、早速カンガルー飛びをやめて格好よいディエゴとして誇りをもって振る舞おうとします。しかし、残念ながら、ディエゴに相応しいとカールは考えて街中で水中ゴーグルを付け始めてしまいます。
カールは、モンテの思い通りにはなりませんが、モンテと一緒に酒やサラミを買いに出かけるようになり、モンテのよき相棒になります。
オニール家の夕食にモンテは招かれたり、末娘の誕生会に招かれたり、オニール家の女性達とモンテは交流を深めていきます。
オニール家の夕食で、高校生くらいの長女は、ニューヨークでの都会暮らしに戻りたがっていて、父親と連絡を取ろうとして母親に反抗しています。オニール家の幼稚園児くらいの末娘は、父親が誕生会に来てくれると信じていて、象が大好きだと語り、モンテの小説に象が出ないのでガッカリしていました。
母親は、ピアノが得意で皆のためにベートーヴェンをひいてくれます。やがて隣家から聞こえるピアノの音がモンテの創作意欲を掻き立てるようになり、モンテは象の小説を書き始めるのです。そうして、モンテは隣人とのコミュニケーションを自覚し始め、酒の支配から逃れて人生を取り戻していきます。
誕生会では、オニール家の母親の美貌に惹かれた若い白人の村人が手品師の格好をして子供達の気をひいています。モンテは、その男性にマジックで自分の目前から消え失せろなどと語り競争心を刺激されています。
わんぱくなフィンが手品師の商売道具を壊すと手品師は子供達に切れて怒鳴り始めます。すると、モンテは拳銃を空に向かってうち、手品師を威嚇して、なんと拳銃を手品師に向けて立ち去るよう脅すのです。かなりクレイジーな展開ながら、守られたオニール家の母親はモンテに感謝します。
さらに、モンテは、父親が誕生会に来れず泣き出した末娘に象さんの物語をプレゼントします。末娘は大喜びします。母親は、モンテの自分に対する愛情に気づき始めます。
モンテはオニール家の次女に必要とされて、末娘と母親へ象の物語の続編を捧げるという創作活動に向けて、酒を飲まなくなっていました。
モンテは理想を求めていて、現実が理想とかけ離れたから酒に逃げ、現実が理想に近付いたから酒をやめたのだと知人に語ります。ただ、またいつか飲み始めてしまうのだろうと語っていました。
元来、面倒見がよい性格のモンテは、誰かに必要とされたかったのでしょう。田舎町にはモンテを必要とする人達が沢山いました。モンテは町の人達と暮らすようになります。
母親や妹に優しくしたモンテに嫉妬して、モンテを拒絶した可愛いフィンに、モンテは最後に自分のリアルな人生を素直に打ち明けます。
自分を信頼してくれたフィンのおかげで自分の人生が変わったことへ感謝を伝え、フィンが購入したモンテの小説で欠けていた最後のページを書き上げてプレゼントするのでした。
亡くなった妻との人生や自身の失敗を回避することなく誰かに語れること自体、モンテが過去の自分と折り合いをつけることができて自分を取り戻せた回復ということなのでしょう。
今回、誰かを育てる役割に立てたモンテの成長や恋愛がモンテに人生を意味あるものだと感じさせたのかもしれません。
華やかにベースボールの投手としてメジャーリーグ昇格の話をもらい、妻に報告しようと喜んで車で帰宅したモンテ。しかし、交通事故にあい下肢麻痺になってしまい離婚も覚悟した過去。
モンテを支えてくれた妻のおかげで、小説家としてモンテは再起を遂げます。しかし、その妻に先立たれてしまい絶望して酒に溺れたのでした。
妻とモンテは子供を持ちたいと願っていましたが叶いませんでした。もしも子供を持てたなら君のような娘を育てたかったと語るモンテにとって、フィンは夢のように大事な存在だったのだと気付かされました。
フィンにとっても、両親が離婚するという人生早期の危機を隣人モンテの愛情に救われ、小説家から小説の書き方について手ほどきを受けるいう貴重な経験を積むことができて、今までと違う最高の人生の始め方になったのかもしれないと思いました。
オニール家の子供達は、湖の対岸にある島へイカダを作って乗り出して、大樹の根元から子供の頃に母親が書いた日記を見つけて、両親が離婚したことを悲しんでいた子供の頃の母親に出会います。
長女は離婚調停を進める母親に反発することをやめて母親を気遣うようになります。三女はサンドウィッチをランチボックスに入れて母親にプレゼントしようとします。二女は余り同情に流されることなく、淡々と姉妹と行動を共にします。
離婚を繰り返してしまう家の子供が多い母親を見ていると依存症の家族に生まれたのではないかと心配になります。離婚しても依存症を抱えるモンテに惹かれてしまうのは、先行き不安も感じないわけではなく、束の間の恋愛やコミュニケーションに人生を見いだすモンテも不安定です。
ただ、この話は深みのなさが物語を軽くしていて見ていて気楽かもしれず、今を楽しんで誠実に暮らそうとするそれぞれの生き方に癒されました。たまたま幸運が訪れた人が良縁を機に一時的に人生を取り戻した現実を描いているように感じられました。
モンテと隣人達は、身体障害や精神障害を抱える障害者であり、母子家庭、妻に先立たれた独り身、裕福でもない境遇のなか、健気に平凡に暮らしています。舞台も、華やかな都会ではなく、田舎の小さな町の些細な日常が選ばれていて、制作費もあまりかかっていない映画かもしれません。
物欲主義を離れて、どんな立場に陥っても、支えあえば人は生きていける、それが出来れば人生は最高になりうると伝える理想郷を描くかのような話で、逆境にあっても生命力に癒されるような作品でしたし、田舎は心を病んだ人々を直ぐに精神科病院に隔離するでもなく包容してくれそうだと思えました。
映画の興行収入を見る限り、このような美談は銃や性犯罪のリスクが高く懸念されている白人社会のアメリカでは受け入れられなかったのかもしれません。揺るぎない信念を持つ人の話でもありませんが、環境に容易に左右される弱い一人の男性を描いた話にも感動しました。
確かに、将来またモンテを不幸が襲ったら、モンテ自身が回避や否認に陥らず次こそ乗り切れるよう祈る他ないほど弱い存在なのです。主人公がまた廃人のようになったら、周りの人達が諦めず愛情を持って支えることは容易なことではないかもしれません。
ただ、そんな時期も生き延びる意味は、この映画のように最高な人生を始めることのできる機会が人生には待っているからなのでしょう。あの時は廃人のようだった誰かと穏やかな会話が出来る日が訪れれば、介護者や当事者は生きていて良かったと何かに感謝できると今なら信じられます。
人生は幸福なことばかりではありませんが、不幸ばかりが続くわけでもなく、禍福は糾える縄の如しだと思います。人のなかで癒されていくモーガン・フリーマンの演技が流石だと味わえる、生きていれば良いこともあるということを信じられる、人生に希望がもてる一作でした。
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