ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコール依存症へ辿った道筋(その8)物の怪(“妄想”)が性欲を煽る?

2014-11-29 06:54:54 | 自分史
 新剤型薬LAの時からずっと私に付いて来ていたK子嬢が寿退職すると告げに来たのは私が39歳の秋だったと思います。

 数々の深夜残業を強いられたK子嬢にしてみれば私は憎たらしい上司だったでしょう。K子嬢は辛い残業にもよく耐えてくれました。私からしたらIk君に続き内勤業務を熟知していた熟練のK子嬢の退職はIk君以上の痛手でした。

 K子嬢が退職する前に仕事を引継いでもらおうと、早めに入社して来たのがN子嬢でした。英国にいる姉を頼って語学留学の経験があり、会社勤めは初めてでした。私が専任PMとなった年にはチーム・スタッフの入れ替えが続きました。

 一目惚れとは、初めて眼にした女性に一瞬オーラが見え、輝かしい聖なる美として固く自分の心に刻まれることでしょうか。澱みのない眼差しと生命力漲る明るさを一瞬眼にした時、私にはオーラが見えたと感じたことがありました。かつて会社でCMのオーディションがあった時、集まってきた応募者の若い女性たちには一瞬オーラが見えました。会場が華やいだ空気で異様に満たされていたことを覚えています。


 初対面のN子嬢を前にして一瞬オーラが見え、固く自分の心に刻まれてしまいました。まるで脳が金縛りにあって、視野が一点に固まり、自由を奪われた心の状態でした。

 一目惚れだったのですが、当時は分かりませんでした。それからというもの、N子嬢の姿を見るたびに心がザワついて、委縮したような感覚に襲われるようになってしまいました。この正体が何なのか、胸の内を手探りしてみてもシッカリした手応えがなかったのです。

 当時は、まるで物の怪(“妄想”)に取り憑かれたという表現がピッタリの、病的状態に嵌ってしまったのかと途方に暮れました。スタッフ不足も加わって神経の緊張が続き、相変わらずの習慣的飲酒のために、精神が相当病んでいるのでは(?)と気になってはいました。進行中のアルコール依存症の影響だったのでしょうか? 心の奥では何かに救いを求めていたのは確かです。その何かがN子嬢のオーラを見えさせたのだ、と今は考えています。

 間もなく心の異変が恋心かな(?)と思い付きはしたのですが、社内恋愛などもっての外で、断じて罷りならんと決めました。集中力が命の仕事に支障を来しそうでした。纏わりつく厄介な感情は、きっと性欲が変形したものにちがいないと見做しました。

 もちろん、N子嬢に健全な(?)性欲も感じてはいました。N子嬢はお尻の線がきれいでしたから・・・。素面になった今では、むしろ “妄想” が「恋する心」に変装し、煽情したものだという考えに落ち着きましたが・・・。病的な刷り込みから湧く感情は、長く長く続く厄介なものです。

 鬱々した心理状況がN子嬢の入社から半年ほど続く中、40歳の初夏になると、狭心症においても最終段階の比較検証試験を開始する時期を迎えました。その一方で、高血圧症ではすでに比較検証試験が進行中でした。

 多忙で危機的状況が続き、厄介な “妄想” を抑えておくのもそろそろ限界に近づいていました。公園の暗がりで “のぞき” をやってみたい、暗い夜道を一人歩く女性の跡を付けてみたい、こんな衝動に襲われたことが何度もあります。

 他のプロジェクトのPMと部下の女性社員の訝しげな場面を夜の街で偶然目撃したこともありました。精神がズタズタになっているのは自分だけではなさそうだと妙に納得したものです。

 そこで、機会を見つけ厄介な “妄想” を風俗で処理しようと心に決めました。知らぬ間に妻との間に隙間風が吹いていたのでしょうか、妻を空気のような存在としか感じていませんでした。

 今はデリヘルと呼ばれていますが、当時もホテトルという風俗が盛んでした。都会の盛り場近くではどこでも、公衆電話付近や歩道のガードレール、建物の出入り口の柱という柱、壁という壁など至る所にベタベタと名刺大の派手な勧誘カードが貼り付けられていました。その気になりさえすれば、電話で女性をホテルに呼ぶことは造作もないことでした。

 やって来る風俗嬢は皆ごく普通の身なりで、素人がアルバイトでやっていると一見して分かる人達でした。美人局(つつもたせ)という怪しからん輩にさえ用心すれば、見知らぬ他人が相手なので後々面倒なことに巻き込まれることはお互いにありません。

 狭心症で最終の比較検証試験を立ち上げる直前の時期でしたが、先行治験の開鍵後に2例分のデータが回収漏れしていたことが判明しました。

 このような事故に対して採るべき対応策は簡単明瞭です。データ回収を怠ったことを担当医師に謝罪する → 担当医師に事故によりデータが開鍵後の回収であった旨を追記してもらう → この事実を代表世話人と盲検化の管理者(コントローラーと言います)に報告し、集計・解析から除外扱いする了解を得る → 事実を記録に残し承認申請時に当局に報告する。この手順で対応完了となります。

 こういう事故は日頃疎遠にしている医師の所で起こるのが常です。このような謝罪に向かうのは気の重い厄介な仕事でした。

 日帰り出張でその事故対応に向かったのですが、その日は気分の重さが加勢して “妄想” が酷くなっていました。医師との面談まで相当な時間があり、この心理状態のままでは仕事にならないと思ったので、昼間なのに意を決して風俗嬢を呼びました。

 この時相手をしてくれた風俗嬢の本気とも思える反応に面白さを覚え、これが契機となって風俗への抵抗がなくなってしまいました。beginner’s luckです。典型的な依存の始まりパターンです。事故処理の仕事は1回だけの訪問で片付くものではありません。1週間後の訪問時にも同じ時間帯に同じ風俗嬢と再びお相手出来ました。

 風俗での性欲処理を次のように譬えた人がいました。

「空を飛びたいと言ったら、飛行機に乗せられた」、譬として座布団10枚の絶妙さです。

 コトが済んだ後でも、まだすっきりりせずにモヤモヤした気持ちが残り、後めたさも引き摺るものです。もう一つ満足できてないけれども、何よりも後にツケを残さないのが良い所です。この考えは今でも変わりません。宿泊を伴う出張の時には、ほぼ毎回電話をするようになりました。

 こんな異常な精神・心理状態のときに、このブログシリーズのブラックアウトで述べた事件 ―― 出張でチーム全員が宿泊したホテルで、深夜N子嬢の部屋に不審な電話があったという事件が起きたのです。

 このように書くとsex依存症かと訝られるかもしれませんが、実の話宿泊を伴う出張はほとんど無く、日帰り出張ではめったに時間を捻出できるものではありません。それと何よりも経済的不自由が厳然として立ち塞がりました。半年に一度支給されるボーナスの1ヵ月分が私の自由にできる小遣いでした。ここでも「無い袖は振れない」という厳粛な原則は健全でした。

 まだ遮二無二欲しいという心理状態ではなかったので病気の域に入ってはいなかったと思いますが、依存した状態ではありました。ただ、自由が儘ならず、幽閉されたに等しい鬱々した心に、せめてもの小さな風穴(?)を開けてみたかったのだと思います。

 Sex依存は心が危機に見舞われる度ごとに相当長い期間、断続的に続きました。

 思うに、自身に危機が迫っているような場合、子孫を残そうとする本能が覚醒するのか、男の場合殊のほか性欲が高まるようです。とにかく神経を使う仕事で、やたらと忙しさが続いたことから、私の場合も常に危機にどっぷり浸かっていたようなものでしょう。身体は正直ですから・・・。

 男にとって性欲は溜まって来ると手が付けられないほど厄介になってしまいます。風俗は、少なくとも火の着いた厄介な性欲を解消し、“妄想” も軽減してくれる重宝なものでした。

 もう一つ気付いた重要なことがあります。性欲の裏にいつも潜んでいる “妄想” の正体についてです。

 妄想とは「現実とは合わない歪曲された考えを現実として固く信じている場合のことで、論理的な説明や証拠があるにもかかわらず、歪曲された考えが是正されず、確実に持続していくこと」、これが定義だそうです。モヤモヤした変な考えが取り憑いているという病識はありましたし、その変な考えを現実だと信じ込んでいたわけでもありません。妄想とは違うと考えたので “妄想” と記述したわけです。

 私の場合は、欠乏感や喪失感から来る渇望で、もどかしさや焦りがあるときに “妄想” が湧いて来るようです。平穏な落ち着きを乱された心が、性的な刺激を受けて手当たり次第に性欲に火を着ける、それが “妄想” でしょうか。平穏な “秩序を乱された精神” が戦(おのの)き、狼狽(うろた)え、その混乱のままに動こうとしている状態と言い換えてもよいと思います。向かう先が何処か分からないままに、とにかく走り出した、その誘因がモヤモヤした “妄想” です。

 “妄想” を膨張・暴走(増幅)させる煽動者は、どうもアルコールのような気がしてなりません。アルコールは理性を司る大脳皮質の活動を低下させるといいますから、“妄想” を増幅させるのだろうと考えています。

  “妄想” は断酒後も相当長く続きます。

 危機に遭遇したとき、私は心のshelterを決まって女性に求めて来たようです。大学入試に失敗した時の予備校寄宿舎の女子従業員との件、ここで述べたN子嬢への一目惚れに纏わるsex依存の件、それが一因でもあった妻と別居に至った件、定年退職後に陥ったネットの出会い系やAV動画へ依存した件、これらの実体験から帰納した結論です。

 継続断酒を始めて1年経った今、たとえしつこい “妄想” であっても、アルコールを断って心が落ち着いた状態の “平常心” を取り戻せば必ず解消できるものと断言できます。継続断酒1年の今、しつこい “妄想” からやっと解放されています。
         *   *   *   *   *
 ここで述べてきたことは、39歳時の初冬から40歳時の初夏の半年間にあった心の迷路についてです。

 風俗通いを始めたのとほぼ同時期に、私生活では郷里から父親を連れ帰って短期間ながら同居する羽目になったこと、ほどなくして会社に重大事件が発生したこと、追いかけるように高血圧症の比較検証試験のまとめ作業が始まったこと、その一方では狭心症の比較検証試験が進行中、という更に凄まじい日々が待ち受けていました。最後に控える真打ちは妻の反乱でした。

 後日談ですが、N子嬢は私のプロジェクトの一員になってから2年後に、チーム内のメンバーと結婚しました。多分、私をずぅっと不気味に感じていたのでしょう。影の仲人は私だと揶揄する者もいました。


 アルコール依存症へ辿った道筋(その9)につづく



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1 コメント

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読者の皆さんへ (ヒゲジイ)
2015-02-11 06:48:05
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
男の業は”呑む””打つ””買う”といいますが、私の依存癖は”呑む””買う”に象徴されているようです。強いストレスを心に受けると、この二つに逃げ込むのがいつものパターンです。断酒を継続することが”買う”からの脱出にも繋がると考えています。
ありがとうございました。

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