ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコールPAWSの一つ “思考プロセス障害” の軛(くびき)

2016-05-20 19:03:53 | PAWS
 “うまく” やろうと構えてしまうと、“うまく” いかず不首尾に終わってしまうものです。取り越し苦労と同じ、結果の先読みから嵌るワナです。気負えば気負うだけ緊張して脳が固まってしまいます。こんな経験、ありませんか? 私にはアルコールの急性離脱後症候群(PAWS≒ドライドランク)がまだ残っていて、その一つ “思考プロセス障害” のせいで二重に難義しています。

 体験談を話しているうちに、いつの間にか体験者の解説をやっているみたい・・・と気付くことが最近よくあります。あたかも講釈を垂れるという表現がピッタリで、話している本人がそれに気付き、こんなハズではなかったと内心慌ててしまいます。動揺した分、脳が固まってしまい、一層まとまりに欠けた話になってしまいます。

 少し前の話ですが、院内例会で断酒中に経験したPAWSの体験談を語ったときのことです。話し終わった後、聞いていた人から一言「難しい講義だった」と言われてしまいました。切実なテーマなので、きっと皆の関心を惹くハズで、きっと “うまく” いくハズと思い込んで話し始めたのですが、結果は散々でした。穴があったら入りたい思いで一杯でした。

 テーマとしたPAWSはドライドランクとも言われ、素面にもかかわらず飲酒時代と変わらない感じ方や考え方に囚われた病的精神状態のことです。断酒を始めて3ヵ月後ぐらいから現れ、精神的にひどく脆い病的状態で、誰にでも必発します。

 自我の肥大(余計なお節介など)・自信過剰・自己憐憫などの情動の不安定、想起障害を伴う記憶障害、さらに心理的ストレスに過剰に反応しやすい(怒りや落ち込み)など、種々の症状が知られています。記憶障害以外は自覚しにくい症状なので、自分を病的とは自覚しないまま再飲酒してしまう危険性が最も高いと言われています。

 これらの症状は再飲酒の危険を孕んでいますから、私は今でも用心を欠かしたことはありません。患者仲間にも知識として共有してもらい、是非とも用心してもらいたい一心で話題にしたのです。注意を喚起したい一念で説明に熱中し過ぎたせいでしょうか、理屈っぽい解説口調となったのかもしれません。

 当たり前のことですが、体験談は理屈で解説するものではありません。私にはうまく説明がつくと納得してしまう癖があるので、何かと理屈を捏ねるのが好きなのですが、そのせいもあったのでしょう。しかも、PAWSにはそれを助長するところもあるのです。

 語る場合と同様に、文章を書いているときにも思惑違いがよくあります。何か書こうとする際は、動機となった事例やエピソード(モチーフ)がまずあって、そこから主題(テーマ)を決めて書き始めるのが普通でしょう。モチーフを補う周辺のエピソードまで、最初から完璧にそろえて書き始めることはまずないと思います。多くの場合、それらは書きながら敷衍して行くのが普通です。

 そんな作業中に、ほんのチョット周辺情報に触れておくつもりが、気が付いたら本道から大きく逸れてしまっていることがよくあります。7回前の投稿記事に「“生き残る”  ― この言葉に想うこと(隠居の雑感)」があります。起き掛けに浮かんで来た言葉がモチーフでした。 “生き残る” という言葉には覚悟を強要するところがあり、生き抜く覚悟をテーマにするつもりでした。最初の投稿時、山場の一つのつもりで書いた文章を再掲します。

 「よくよく考えてみると、よくぞここまで生き残れたものだと思うばかりです。・・・(病気で生死の境にあった事例)・・・事故や災害でも肝を冷やしたことがありました。・・・(生死を分けた事故や災害の事例)・・・ですから、『生き残った』というよりも、むしろ『生き残らせてもらっている』と表現した方が、今の私の正直な胸の内なのです。せっかくの命です。与えられた寿命が尽きるまで、粗末にするつもりはありません。
 “生き残る” などむやみに使う言葉ではないと自戒していたつもりでしたが、二男の結婚披露宴でつい使ってしまい・・・」

 これを投稿してから10日ほど過ぎた頃、何とはなしにこんなフレーズが浮かんできました。「自分の器がどれだけのものか、薄々気付いていながら仕事で無理を重ねていた・・・。」

 投稿したときから内容的に物足りなさがあって、何か引っ掛かるのが気になっていました。記事を読み返してみると、全体として表面的な出来事だけを並べているだけで、肝腎要となる自分の正直な胸の内にまったく切り込んでいなかったのです。そのことに気づきました。

 そもそもモチーフから連想されたエピソードというのは、会社幹部の年頭の挨拶と息子の披露宴で述べた私の挨拶という二つだけでした。それを補うため、後から生死を分けた出来事についても周辺情報として追加することにしたのです。さすがに人生と命については、素面となった現時点での覚悟をちゃんと書いています。ところが、生き残りを賭けて必死で生きて来たサラリーマン時代の生存競争についてどう決着をつけたのか、つまり自分の半生への総括がスッポリ抜け落ちていました。

 会社勤めは “まさか” の世界でした。まさか死にもの狂いの競争になろうなどとは思いもせず、十分な覚悟もないままに始めたので、是非とも総括しておくべき課題だったのです。これでは “画龍点睛を欠く” の如しで、まるで “枯れ木も山の賑わい” でお茶を濁しているとしか読めません。周辺情報を並べている内にその文章量に満足(?)してしまい、それで肝腎要の部分を書き忘れていたのか、あるいは無意識に避けようとしていたのか、それとも他に何か(?)・・・としか思えません。

 以前、ブログ原稿にはA4で2ページ半のノルマを課していると書いたことがあります。アルコールで傷んだ脳のリハビリのため、自分の考えを出来るだけ掘下げようという意図で課したものです。そのノルマからつい内容を盛り沢山にしようとするせいか、書いている内に自動的に筆(文)が進んでしまい、意に反して冗長になってしまうことがよくあります。

 特に、周辺情報に触れているときに冗長になりがちです。周辺情報の大方は事実の羅列か引用で、ただ並べるだけなのであまり考えなくとも出来るからです。これでは自分の考えを掘下げることにはならないので軌道修正が必要になります。こんなときの軌道修正は大変です。改めて自分の気持ちや考えを素直に表現しようとすると、途端に脳が抵抗してストライキを起すのです。先に投稿したときも、舞台裏の楽屋事情はこんな状態だったのだろうと思います。

 以上が今回 “思考プロセス障害” についてまとめてみようとしたキッカケです。以下、本題に入ります。
         *   *   *   *   *
 実は、自分の言葉で考えや気持ちを書こうとすると、必ずと言っていいほど立ち塞がることがあります。私はそれがPAWSの “思考プロセス障害” ではないかと考えています。“思考プロセス障害” こそが、PAWSの症状の中で “いの一番” に挙げられているものなのです。その特徴は、脳の働きにムラがあり、頑なで諄(くど)い思考や因果関係を理解できないこととされています。

 これを私の経験から言えば主に次の3点になるでしょうか。まず、まとまった文章を書こうとすると、なかなか考えがまとまらないこと。次に、脳が混乱して疲れやすく、よくストライキを起こすこと。三番目に、使うべき助詞は一体何が適切か、所謂 “てにをは” の類の使い方が混乱すること。私はこれらが “思考プロセス障害” の具体的構成要素と考えています。

 まず一番目に挙げた、なかなか考えがまとまらないことについてです。これをもう少し具体的に言うと、あれやこれやと文案や構想が入り乱れて自信をもって確定できないことに尽きます。全体構想の詰めはテーマに沿って集中して考えなければできません。そんな集中すべきときに、文案や構想が入り乱れてうまく練れなくなることがよくあるのです。それでつい論理が遠回りしてしまいます。

 このブログの原稿作成の際も、全体構想が詰め切れないまま見切り発車するのが定番になっています。とても練りに練った構想などとは程遠い状態です。生煮えのフワフワした構想で書き始めるものですから、発想があちこちに流れがちで、段落から段落への展開にも苦労しています。

 次に二番目に挙げた、脳がよくストライキを起こすことについてです。集中力にムラがあって長くは続かないこと、これに加えて考えがまとまらなくなったら脳が疲れて更に混乱し始めます。感覚的には脳が鬱血する感じでしょうか。この感覚が出だしたらすぐに思考停止となりますが、このことを私は脳のストライキと呼んでいます。“思考プロセス障害” の症状とするには一風変わっているかもしれません。

 脳のストライキは、パソコンが固まって動かなくなった状態をイメージしてもらうとピッタリです。こうなったら最後、作業を中断し席を立って一服するか、それでもダメなら一眠りするしかありません。睡眠をとった後は不思議なくらい捗ります。

 最後に三番目に挙げた、助詞の使い方の混乱についてです。因果関係の混乱に象徴されると思いますが、事柄同士の論理的関係が分からなくなることもしばしばあります。そのせいで、使うべき助詞は一体何が適切か、所謂 “てにをは” の類の使い方にさえ迷って混乱することがしょっちゅうです。そうそう、これに関係するかもしれませんが、時制についても現在形か過去形かでしばしば混乱します。

 アルコールの遺した置き土産 “思考プロセス障害” は斯くの如く厄介なシロモノです。上に挙げた構成要素が交互に作用して、たった一文を書く場合にも邪魔をします。このブログで何遍か触れたように、想起障害と共通した根っこから来ているものと考えています。
         *   *   *   *   *
 今回は、現在進行形で経験最中にある症状 “思考プロセス障害” について、改めて自分の言葉で書いてみました。今までは “脳の働きにムラ” が何を指すのかピンと来なかったのですが、自分の体験を掘下げてみて、ほぼ自分の言葉で形にすることができました。上に述べたことでお察しのように、私にとって最も苦手とすることです。自分の気持ちをありのまま正直に書くことがこんなにも難しいことなのかと改めて思い知らされました。

 今回も「好評を博したいから “うまく” 書こう」という気負いも勿論ありました。今の私にとって、それはあたかも鏡なしでやる身繕いのようなものです。ピシッと身なりを決めたいといろいろな文案が飛び交いますが、どれが最適なのかを鏡で確認せずに決定している状態なのです。確信をもって決められないので諄くもなります。それだけに脳が二重に緊張を強いられ、ストライキも頻繁に起こしました。実に難義なことです。

 ただ一つほのかに希望が見えてきています。PAWSの他の症状と同じように、“思考プロセス障害” も今でははっきり自覚できていることです。PAWSの他の症状は、峠を越えてから初めて自覚できたことが共通していました。今回まともに向き合えたことから、どうやら “思考プロセス障害” についても峠を越えられたのかもしれません。
 “一息ついて 一歩引いて  ありのままを ありのままに・・・”


 今回のモチーフとなった “うまくやる” は、ほぼ1ヵ月前のAAのミーティングで取り挙げられたテーマです。その場では少し奇異な感じがしたのですが、それだけにおもしろいテーマとも思いました。悩みの種のPAWSと絡めることで、やっと自分なりの体験談にまとめることが出来ました。拙い文章力の言い訳になってしまったようですが・・・。


“生き残る”  ― この言葉に想うこと(隠居の雑感)」もご参照ください。


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コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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タイトルを変えました (ヒゲジイ)
2016-06-04 19:08:41
下手な気取りは無用ですね。
内容がストレートに伝わるようタイトルを変えました。
より多くのアル症の方に読んでいただきたい一心です。

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