亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

仲直りさせるつもりが・・・・

2015-09-05 | 学問

老いて何もすることが無くなった一老人の楽しみは?

市内各地で行われている講演を聞きに行くこと。

年間4,50位の講演を聞きに行くかも。

耳が悪いのでICレコーダをしのばせてこっそり録音、後で何度も再生して勉強する。

今度も出かけて行った。

今回の講師は、古文書を読み解く講座に参加していた講師で、

読み解くだけでは飽き足らずに歴史の研究 をしていると言う。

映画「武士の献立」をまねて「武士の縁談」というテーマ―だった。

内容はくだらぬ内輪もめの話。

これがもとの文書、何を書いてあるのかさっぱり。

これを活字に直したのが次の文章

それでもさっぱり分からないのでふり仮名を打ったのが下の文章。

読んでみるとどことなく現代文のよう。

これは講師が自分で現代の人が読みやすいようにふり仮名を打ったもの。

当時の人はこんなふうに読んでいたかは定かでない。

内容が理解しやすいようにと家系図まで入っていた。

時は享和元年(1801)前田直養母君(匂)と前田織江の母君(源昌院)は仲が悪かった。そこで何とか仲直りをさせようと、直養の祖父(大音厚層)の奥方が孫の(於飛ろ)と前田織江の縁談話を持ち出し、直養にその話を進めるように依頼して来た。

直養は母君(匂)に織江の母君(源昌院)にお頼みしてもらうことにしたが、もともと中の悪い御両人、なお話がおかしくなってしまい、結局前田織江を怒らせてしまい、縁談がまとまるどころか両家が今後一切の付き合いをしないと絶縁状をたたきつける結果となったとの話。

縁談を持ちかけた大音厚曹とは加賀騒動で名高い前田土佐守直躬と兄弟である。

映画「武士の献立」でも登場した直躬は中々の堅物だったようだ。

といった話。

この文章は前田直養が残した記録。それを直養の父君直方が編集したのが、この古文書。

資料を読み上げているが途中で解説が入り話が行ったり来たり。聞いている私には今どこを読んでいるのかさっぱり。

分かっているのは本人ばかり。

いや私だけなのかもしれないけど・・・

とにかく古文書、いや歴史は難しい。

なんでこうなったかというと、ブログを作りはじめたころ、何かネタが無いかと考え。そうだ神社巡りが良いと各地のお宮さんを周った。

その境内には石碑が立っていて神社の謂れなどが書いてある。

そんな物いい加減なものと高を括っていたが・・・

その後高砂大学にお世話になることになり、この石碑に書いてあるのは嘘ではないと知った。

それ以来、歴史に興味を持つようになった。

歴史は難しい。

古文書を読めるようになりたいと思ったが、活字に直した文章でもとても手におえないのに、古文書なんて無理、無理。

講演会に行っては居眠りしている私です。

 


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